長文集  2月3週  ★(感)一を聞いて十を知る  he2-02-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】「一を聞いて十を知る」
 十のうちの一を聞いただけで全体を知る。
つまり、賢いことを意味している。まるで日
本の格言のようになってしまっているが、じ
つは「論語」に記された言葉である。弟子で
ある顔回の聡明さを、師の孔子がそう評した
のだ。
 【2】だが、ぼくはこの言葉こそ、日本文
化の性格を端的に言い当てた表現とみなす。
と言っても、日本人が無条件に賢い、という
わけではない。日本人の発想形式を、この言
葉が見事に言い当てている、というのである
。どのように?
 【3】日本人は多弁や説明を嫌う。日本の
詩を代表する俳句をみれば、それがよくわか
ろう。たった十七文字で詩的世界を表現しよ
う、などという文学の形は、世界のどこを探
してもない。このような形式が成立するとこ
ろに、「一を聞いて十を知る」日本的性格が
遺憾なく示されているではないか。
 【4】日本的風土からもっとも遠いのは、
おそらく砂漠地帯だろう。湿潤で四季に恵ま
れた日本とは正反対の乾ききった広大な砂の
世界。ぼくは、その砂漠へ何度となく足を踏
み入れた。そして、その都度、あらためて日
本的風土を強く意識することになった。
 【5】ある夏。オアシスでの午後のこと。
真昼の、悪魔のような太陽を避けて、わずか
なナツメ椰子の木陰に身を寄せて横になっ 
た。 ぼくは退屈しのぎに、日本から持って
きた文庫本のページを繰っていた。そんなぼ
くの姿をめざとく見つけて、トゥアレグ人が
やってきた。【6】彼らも時間をもてあまし
ていたのである。
「それは何だ? コーランか」と、そのうち
の一人が聞いた。
「いや、日本の、有名な詩人の詩集だよ」と
、ぼくは答えた。ぼくが手にしていたのは「
芭蕉俳句集」だったのである。【7】日本と
まったくちがった風土で、日本を感じさせる
ものを読むのが、ぼく流の旅の仕方なのだ。
「ほう、どんな詩かね」と、もう一人が聞い
た。
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 彼らはフランス語と片言の英語をしゃべる
。ぼくは弱った。【8】が、無理をして「古
池や蛙(かわず)飛びこむ水のおと」を、な
んとか訳し∵てやった。みな、うなずいた。
どうやら通じたのだ。
 しかし、そのあとがいけなかった。という
のは、「それで?」と目を輝かせて、彼らは
つづきを待っていたからである。
【9】「それだけさ」と、ぼくは言った。だ
が、彼らは納得しな い。蛙が水に飛び込ん
で水音がした、ということは了解したのだ 
が、彼らにしてみれば、それはたんなる事実
にすぎず、詩などと は、とうてい受けとれ
ないからである。【0】(中略)
 なにも、サハラの奥だけではあるまい。た
ぶん、世界中どこへいっても、こうした芭蕉
の句は同じような反応を引き起こすことだろ
う。なぜなら、ほとんどの民族は、十の説明
から一つのものを導き出す、というのが普通
なのだから。(中略)
 これは俳句にかぎったことではない。日本
的会話、日本的論議、すべてにわたって言え
ることだ。そこで、日本人は一を言って、相
手に十の理解を求めることになる。
 だが、世界は、こうした日本的な直感的思
考とは、ほど遠いところにある。それなのに
、グローバル・コミュニケーション時代のい
まに至ってもなお、日本人は直感形式のコミ
ュニケーションですませようとしてしまう。
 重ねて言うが、西欧はじめ、日本以外の文
化圏では、「一を聞いて十を知る」ではなく
、「十を聞いて一を知る」のである。それ 
は、理解力が足りない、ということではない
。人間同士の関係において、それだけ「十分
な説明」が重要視されている、ということな
のだ。
 言葉をつくして、自分の考えを相手に理解
させ、相手からも十分な言葉によって情報を
得る。それが日本以外の、世界のルールであ
る。この点で、日本はたしかに「異質」だと
言える。では、どうすべきか。
 日本人が説明上手になるしかない。いまま
で一ですませてきたものを、十の言葉で説明
して相手に理解させることだ。言葉の壁は、
こうした文化的背景の違いにある。だから、
ぼくたちがどれだけそうした差異を自覚して
相手に接するか、ということにつきよう。
(森本哲郎『この言葉!』)