長文 2.4週
1. 【1】わたしが作曲家として携わったずさ  ているのは西洋音楽です。いわゆるクラシック音楽と呼ばよ れ、皆さんみな  ご存知 ぞんじであろうバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ブラームス、ワーグナー、ドビュッシー、と続いてきた伝統があります。【2】わたしはその線上に乗って、現代において作曲をしているわけです。クラシック音楽というと今や音楽の一ジャンルになっていますが、そもそもはヨーロッパにおいて、特に教会を中心として発達してきた、ある意味では非常にローカルな音楽なのです。【3】西洋という一地域ちいきにおける民族音楽とも言えます。
2. とはいえ現在、西洋音楽はグローバルなものとして広まっています。なぜここまで世界的な音楽として成功したかというと、要因の一つには、五線紙というものに機能的に記録する形式を獲得かくとくしたことが大きく働いています。【4】「楽譜がくふを書く」という大原則が根本にあったために、数百年前の作品も残っているのです。これを楽譜がくふ中心主義と言います。
3. たとえばこんな話があります。日本では音楽そのものを「ミュージック」と訳しやく ていますが、西洋においてミュージックと言うと、まず頭の中にイメージするのは楽譜がくふなのです。【5】辞書を引いてみるとわかると思います。欧米おうべいに行って、オーケストラや室内楽といった創作そうさくする現場へ行くと、
4.「おれのミュージック、どこかへいってしまったぞ。お前、今日ミュージック貸してよ」
5.といったふうに、日常の会話の中では「楽譜がくふ」という意味でミュージックという言葉が使われています。
6. 【6】つまり、西洋音楽の存在そんざい裏づけるうら   もっとも重要な要素として、まず楽譜がくふ(ミュージック)があるということです。
7. 西洋音楽を楽譜がくふ中心主義という大原則のもとに、いくつかの要素に分けて分析ぶんせきしてみましょう。【7】まず楽譜がくふが中心にあって、それを音(サウンド)に変換へんかんする人がいる。演奏えんそう(パフォーマンス)する、演奏えんそう家です。さらにその演奏えんそう聴取ちょうしゅ(リスニング)する人、∵聴衆ちょうしゅうがいます。以上は楽譜がくふから生み出される要素でした。
8. 【8】一方で、楽譜がくふからさかのぼるものもあります。いわば上流の部分には、その楽譜がくふを生み出す過程があります。その楽譜がくふを書く人の内にある何らかの音楽的要求、まずは欲求よっきゅうと言ってもいいのかもしれませんが、そこから音楽が始まります。
9. 【9】つまり音楽によって何かを表現したいという自己じこ表現欲求よっきゅうがあって、それを自分の外部に、楽譜がくふという形式で、その音楽的要求(リクワィアメント)を固定する過程があるわけです。もうおわかりと思いますが、これが作曲(コンポジション)です。
10. 【0】以上の三つの過程が「作曲→演奏えんそう聴取ちょうしゅ」と連続した図式(スキーマ)によって西洋音楽は成立しています。わたしは作曲家ですから、最も上流の部分で自分の表現したいものがあり、それを楽譜がくふに固定する立場です。演奏えんそう家がそれを音にして、聴衆ちょうしゅうがそれを聴くき 。このような創造そうぞう過程によって音楽が成り立っているわけです。
11. この図式は、建築とよく似ています。家を建てるプロセスを考えてみると分かりやすいかもしれません。建築家がまず設計図面を書く、大工さんがそれを建物にする、そしてそこに住む人がいる、というスキーマです。

12. (茂木もぎ健一郎けんいちろう江村えむら哲二てつじ『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書))