1. 【1】あまのじゃくな人が
嫌われるのは、みんなと歩調を合わせないので、なにかと足手まといになるからです。人間は一人で生きているのではなく、他人とともに生きるようにつくられているのです。ところが、一人ひとりの人間はあらゆる点で
違います。【2】生まれつきの差もありますが、ものの見え方や音の聞こえ方も経験によって
違ってくるように、後天的につくられる
脳機能の差はさらに大きいのです。その
違いがいわば個性ということになります。個性というと、先天的な差を連想する人もいるので、個人差という方が
誤解が少ないでしょう。【3】単なる感覚でさえも一人ひとりが
違うのですから、
価値観やものの考え方が
違うのも当然です。
2. このように、一人ひとりが
違うのですが、その
違いを
お互いに主張し合えば、
誰もがあまのじゃくになってしまいます。そこで、人間同士の間には一種のなれあい現象が必要になってきます。【4】つまり相手と意見が
違っても、すぐに
反論するのではなく、一応は聞いておいて、自分の意見も修正し、相手の考え方もおだやかに改めてもらえるように工夫します。
お互いに
妥協するということにもなります。
3. 【5】たとえば、ある料理を食べたときに、相手が「さすがにホンモノの味だ」といったとしても、自分にはそうも思えないというようなことはよくあります。しかし、それを口にすることはせずに一応は
相槌を打って、味わい直してみるのがふつうでしょう。それでその場はなごやかに過ごせるし、自分の味覚が進歩することにもなります。
4. 【6】このように、他人と歩調をそろえなければならないときには、
誰もがひとりでになれあうのがふつうです。
従って、あまのじゃくになるひとつの原因は、そこにいる人と歩調をそろえるつもりがないために、自分の意見をそのまま主張するということです。【7】
誰に対してもあまのじゃくになるとしたら、その人はできるだけ自分だけで生きてゆこうとする人です。実際はそんなことは無理であっても、そういう
姿勢をとろうとするわけで、どこかで人間
嫌いになる原因があったのでしょう。
5. (中略)∵
6. 【8】動物であれば、
吠えたり、さえずったりして、自分の
存在を周囲に
訴えるところを、なにかと他人と
違う意見を主張することによって
自己顕示するというあまのじゃくもいます。
7. 【9】つまり、あまのじゃくにはいろいろの原因があるわけですが、原因はなにであれ、それが集団の歩調を
乱すという意味では
迷惑なことです。あまのじゃくが
仁王様にふみつけられるはめになるのはそのためでしょう。特に、日本人は自他の一体性が強いので、あまのじゃくを
嫌うようです。
8. 【0】しかし、なれあいや
妥協も度を過ごすと、自分独自の考えがなくなり、個性が
薄れてしまいます。特に、
創造的な活動を必要とする場合は、それではまずいということになります。「逆転の発想」ということばもあるように、天動説が支配的な
状況の中で、地球が動いているのではないか、と考えるような態度が大きな発見につながってゆきます。
創造性の強い人の中には「変人」といわれる人が少なくありません。部分的にはあまのじゃくとされることも多いでしょう。つまり、他人と歩調をそろえる心得も持ちながら、自分の意見をしっかり持っているというバランスが必要なのです。
9.(『ヒトはなぜ夢を見るのか』千葉康則)