1. 【1】考えることが得意でない風に見える人々がいる。たとえばほとんど口をきかず、毎日にこにこと店でトンカツばかり
揚げているようなおやじは、そう見えるかもしれない。しかし、このおやじのトンカツがとびきりうまいとしたら、この人ほどものを考えている人間は少ないかも知れない。【2】とりあえずは、そう仮定しておく必要がある。
私たちは、こういう人の
存在に実に
鈍感になった。
鈍感になって、いつもひりひりとした自負心、
嫉妬、
焦燥、
退屈にさいなまれるようになった。【3】
誰もかれもが、得体の知れないこの時代にともかくも
遅れまいとし、
遅れていない外見を作ることに
忙しくなった。それで
私たちは、一体何を考えているのだろう。
2. トンカツ屋のおやじは、
豚肉の性質について、油の温度やパン粉の付き具合についてずいぶん考えているに
違いない。【4】いや、この人のトンカツが、こうまでうまいからには、その考えは常人の
及ばない
驚くべき地点に達している可能性が大いにある。このことを
怖れよ。この
怖れこそ、大事なものである。
3. むろん、
私はうまいトンカツの重要性について述べているのではない。【5】では、何の重要性について述べているのか。それを
簡単に言うことは、どうも大変
難しい。けれども、大事なことはみな、このように
難しいのである。だから、トンカツ屋のおやじは
黙ってトンカツを
揚げている。【6】
彼は学問を軽んじているのでも、思想を
軽蔑しているのでもない。ただ、
彼は自分の仕事が出会ういろいろなものの
抵抗で、それらの
抵抗を
克服する工夫で、いつも心をいっぱいに満たしているから、余計なことを考える
暇も必要もないのである。【7】こういう男のトンカツが、いつのまにか万人の舌を説得している、このことにこそ人間の大事があると、
私は思っているに過ぎない。
4. ここに中学生の男の子がいるとしよう。この子は、学校の勉強以外、学ぶということを一切したことがない。【8】したがって、トンカツ屋のおやじを
怖れるだけの
知恵がない。だから、
怖れ気もなくこ∵う
尋ねる。おじさん、なぜ人を殺してはいけないの? おやじは、まずこんな質問には耳を貸さないだろう。じゃまだから、あっちに行ってろと言うだけだろう。【9】それでおしまいである。何の
騒ぎも起こらない。この子が中学を出て、高校などには行かず、トンカツ屋のおやじのところに見習いに入ったとしよう。そこで、同じ質問をする。お前は
見込みがないから、ほかで仕事を
探せと言われるだろう。【0】しかし、このおやじがもっと親切なら、見習い
坊主は
張り倒される。それでおしまいである。
5.
怖れのないところに、学ぶという
行為は成り立たない。遊びながら楽しく学ぶやり方は、元来
幼稚園の発明だが、今の日本の学校はそれが大学まで
普及し
尽くしてしまった。日本だけではなかろう。
二十歳を過ぎてもまだ遊んでいる人間が数えきれずいる国では、やがてそういうことになる。遊ぶことと学ぶこととが、どう
違うのかわからない。
子供たちは何も
怖くないから、勝手に教室を歩き回るようになる。
6.
怖れることができるには、自分よりけた外れに大きなものを察知する
知恵がいる。ところが、このけた外れに大きなものは、けたが外れているが故に、
寝そべっている人間の眼には見えにくい。見習い
坊主もまた、パン粉を付けてみるしかない。それは、初めちっとも面白い仕事ではないだろう。
怖れる
知恵がまだ育っていない者に、心底面白い仕事などあるわけがない。だが、
知恵は育つのだ。
豚肉やパン粉があり、
怖いおやじがいる限りは。
7.(前田
英樹『
倫理という力』)