長文集  3月4週  ○私はゲオルク・ジンメルという  he2-03-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/18 17:17:17
 【1】私はゲオルク・ジンメルという約百
年前ドイツで活躍した社会学者の研究を専門
にしていて、数年前に『ジンメル・つながり
の哲学』(NHKブックス)という本を書き
ました。その作業中、まさに百年前にドイツ
で生きたジンメルという人間と、「どうな 
の? これどうなの?」という会話をしてい
る実感があったので す。【2】たしかにそ
こまでのめり込むには相当な集中力を要しま
す。でも、真剣にある程度耳を傾けようとす
れば、「いま・ここ」にはいない筆者と、い
つのまにか直接対話しているような感覚を味
わえることもあるのです。
 【3】みなさんでしたら、大好きな小説家
、詩人、歴史上の人物でもいいでしょう。本
の世界に没頭していくと、文字を通して、書
き手や登場人物の肉声がなんとなく聞こえて
くるような感覚、コミュニケーションがだん
だん双方向になっていく感覚が生じてくるこ
とがあるのです。
 【4】もちろん本を読めばいつでも、とい
うわけにはいきませ ん。でも、私が『つな
がりの哲学』を書いていたときは、「ジンメ
ルだったら今の日本をどういうふうに見るん
だろうな」というようなことを、ずっと考え
ながら執筆していたので、【5】なんとなく
彼がいつのまにか今の時代にタイムスリップ
してきて、今の日本を見ながら私に語りかけ
てくれているような気分になっていました。
 コミュニケーションの本質って、じつはこ
ういうところにあるんじゃないかと思います

 【6】具体的な人との関係でも、漫然と言
葉を交わしているだけではだめなのです。
 ちょっと心地よくなると、すぐその場を放
棄できてしまう言葉がいくつも準備されてい
て、自分の感覚的なノリとかリズムとか、【
7】そういうものの心地よさだけで親しさを
確認していると、やはり関係は本当の意味で
深まっていきません。料理でいうと「苦み」
のない、ただ甘いだけの料理を求めてしまう
感じですね。
 ノリとリズムだけの親しさには、深みも味
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わいもありません。【8】そればかりか、友
だちは多いのに寂しいとか、いつ裏切られる
かわからないとか、ノリがちょっと合わなく
なってきたらもうダメだと∵か、そういう希
薄で不安定な関係しか構築できなくなるので
はないかと思います。
 【9】読書のよさは、一つには今ここにい
ない人と対話をして、情緒の深度を深めてい
けること。しかも二つ目として、くり返し読
み直したりすることによって自分が納得する
まで時間をかけ理解を深めることができるこ
と(実際の会話では「えっ、今なんて言った
の。もう一度言ってみて」、なんて何度も聞
きなおすことはできませんものね)。【0】
あと三つ目としては、多くの本を読むという
ことは、いろんな人が語ってくれるわけです
から、小説にしても評論にしても、「あ、こ
んな考え方がある」「ナルホド、そういう感
じ方があるのか」という発見を自分の中に取
り込めるということ。実際のつき合いではそ
んなにいろいろなキャラクターの人とコミュ
ニケーションすると「人疲れ」するころがあ
りますよね。でも本を読む上では作者でも登
場人物でも、いろいろな性格の人と比較的楽
に対話することができます。その結果、少し
ずつ自分の感じ方や考え方を作り変えていく
ことができるわけです。そういう体験を少し
ずつ積み重ねることは、多少シンドイ面もあ
りますが、慣れてくると、じつはとても楽し
い作業になるのです。

 (菅野仁()『友だち幻想 人と人の「つ
ながり」を考える』(ちくまプリマー新書)