1. 【1】
私はゲオルク・ジンメルという約百年前ドイツで
活躍した社会学者の研究を
専門にしていて、数年前に『ジンメル・つながりの
哲学』(NHKブックス)という本を書きました。その作業中、まさに百年前にドイツで生きたジンメルという人間と、「どうなの? これどうなの?」という会話をしている実感があったのです。【2】たしかにそこまで
のめり込むには相当な集中力を要します。でも、
真剣にある程度耳を
傾けようとすれば、「いま・ここ」にはいない筆者と、いつのまにか直接対話しているような感覚を味わえることもあるのです。
2. 【3】みなさんでしたら、大好きな小説家、詩人、歴史上の人物でもいいでしょう。本の世界に
没頭していくと、文字を通して、書き手や登場人物の肉声がなんとなく聞こえてくるような感覚、コミュニケーションがだんだん
双方向になっていく感覚が生じてくることがあるのです。
3. 【4】もちろん本を読めばいつでも、というわけにはいきません。でも、
私が『つながりの
哲学』を書いていたときは、「ジンメルだったら今の日本をどういうふうに見るんだろうな」というようなことを、ずっと考えながら
執筆していたので、【5】なんとなく
彼がいつのまにか今の時代にタイムスリップしてきて、今の日本を見ながら
私に語りかけてくれているような気分になっていました。
4. コミュニケーションの本質って、じつはこういうところにあるんじゃないかと思います。
5. 【6】具体的な人との関係でも、
漫然と言葉を交わしているだけではだめなのです。
6. ちょっと心地よくなると、すぐその場を
放棄できてしまう言葉がいくつも準備されていて、自分の感覚的なノリとかリズムとか、【7】そういうものの心地よさだけで親しさを
確認していると、やはり関係は本当の意味で深まっていきません。料理でいうと「苦み」のない、ただ
甘いだけの料理を求めてしまう感じですね。
7. ノリとリズムだけの親しさには、深みも味わいもありません。【8】そればかりか、友だちは多いのに
寂しいとか、いつ
裏切られるかわからないとか、ノリがちょっと合わなくなってきたらもうダメだと∵か、そういう
希薄で不安定な関係しか構築できなくなるのではないかと思います。
8. 【9】読書のよさは、一つには今ここにいない人と対話をして、
情緒の深度を深めていけること。しかも二つ目として、くり返し読み直したりすることによって自分が
納得するまで時間をかけ理解を深めることができること(実際の会話では「えっ、今なんて言ったの。もう一度言ってみて」、なんて何度も聞きなおすことはできませんものね)。【0】あと三つ目としては、多くの本を読むということは、いろんな人が語ってくれるわけですから、小説にしても
評論にしても、「あ、こんな考え方がある」「ナルホド、そういう感じ方があるのか」という発見を自分の中に
取り込めるということ。実際のつき合いではそんなにいろいろなキャラクターの人とコミュニケーションすると「人
疲れ」するころがありますよね。でも本を読む上では作者でも登場人物でも、いろいろな性格の人と
比較的楽に対話することができます。その結果、少しずつ自分の感じ方や考え方を作り変えていくことができるわけです。そういう体験を少しずつ積み重ねることは、多少シンドイ面もありますが、慣れてくると、じつはとても楽しい作業になるのです。
9. (
菅野仁『友だち
幻想 人と人の「つながり」を考える』(ちくまプリマー新書)