1. 【1】みなさんには、まだ字を読めないころの読書体験がありますか。いや、これは
矛盾していますね。字を知らなければ、読書はできない。言い直しましょう。【2】字が読めないことを意識しつつページをめくり、「ここには何が書いてあるのだろう」と思い、もどかしい
興奮をおぼえたことがありますか――ちょうど
開かずの
間の戸を見るように。
2. わたしにはあります。【3】
雑誌だったか、その付録だったか、とにかく兄の本です。そこに「
漫画の
描き方」のようなものがのっていました。しかし、字は読めない。だからこそ、想像を絶するほどおもしろかったのです。で、また
矛盾したことを申し上げましょう。【4】そのおもしろさを、想像してみてください。そこにあったのは、実に不可思議な世界です。技法説明のため、さまざまな表情や
姿がならんでいました。かと思うと、それらを生み出す、
裏方のペンやインクの絵が
描いてあったりします。
3. 【5】わたしが一番
強烈におぼえているのは、こういう場面です。古い
漫画の手法では、人が歩いた後に、マッシュルームを横にしたような印が、次々についていきます。
砂ぼこりの
象徴なのでしょう。【6】さて、その本の中の人物は、ほこりマークを現実にあるもののように
扱っていたのです。手に持っていたのかもしれません。拾い集めていたか、あるいは、歩く人物の後ろに置いていったのかもしれません。【7】そうやって、
描き方を説明していたのです。なんとも
奇妙な絵でした。「ここに書いてある字が読めたらなあ」と、強く思いました。どういう部屋のどのあたりにすわっていたかも
含めて、その時の
記憶が
鮮やかにあるのです。【8】小学生になってからも、時々、あの
漫画にもう一度会いたいと思いました。
4. さて、「
漫画の
描き方」は、本来の目的からいえば、
鑑賞のためにあるのではなく、実用のためにあるものです。【9】しかし、わたしにとって、それは
謎に満ちた物語、通常の音階を持たぬ歌だったのです。これこそ、本というものの持つ力ではないでしょうか。た∵とえば、夏目
漱石の読み方に、これという絶対の正解があるのなら、われわれは、その答えを人から聞けばいい。【0】しかし、
漱石への対し方は読者の数だけあります。
5. 下手な手品は一方からしか見られないといいます。しかし、
魔法は、上から下から
斜めから見ても、人の後ろに立って見ても、遠く
離れて望遠鏡で見ても
魔法でしょう。ある人には、
胸のポケットから取り出したものが
蝶と見え、また、ある人には
蜂鳥と見える。しかし、どちらも真実なのです。
6. つまり、本を読むというのは、そこにあるものをこちらに運ぶような機械的な作業ではない。場合によっては、作者の意図をもこえて、
我々の内になにかを作り上げて行くことなのだと思います。
7. しかし、仮にあげた例は、あくまでも例なので、今あの時の「
漫画の
描き方」が手に入ったとしても、それは昔のかがやきをもったものではないでしょう。
幼い日に読んで血をわかした本が、
後年読み返してみると、思いの
外につまらなかったりすることは、間々あるものです。けれども、
砂時計を手に取りひっくり返すように、あるときからは、また新しい
砂が積もりだすものです。中学生の時、読んで少しもおもしろくなかった本の
妙味が、年を重ねることによってわかるようになったりもします。
8. そういう読みにたえられる、厚みを持ったものが、古典です。
9. 手ごわい相手、理解できない書に行きあたると、文字の読めない
幼児のように、その昔に帰ったようにもどかしく、「この本が読めたら」と足ずりしたくなります。歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当
違いの
解釈をすることも多い。だが、わたしにとっては、それこそが読書の楽しみなのです。
10. (女子学院中)