1. 【1】
噴水は、飲めない水である。浴びることの出来ない水である。しかも、その水はただそこを
循環しているだけであるから、何ものをも
潤さない。言ってみれば、何の役にも立たないものなのだ。そして、それがいい。【2】都市住民は、すべてが役に立つという
環境に
馴らされているから、目の前に
突如として何の役にも立たないものが出現すると、それだけで文化的
衝撃をうけ、深く
困惑する。つまり、この
困惑が新たな文化を
創り出すのであり、
噴水はそのためのものであろう。
2. 【3】現在先進
諸国の各都市では、
経済活動から文化活動へいそしむべく、都市とその住民に方向
転換を
促しつつあり、都市の各所に「何の役にも立たないもの」を出現させることで、住民に文化的
衝撃を
与えることが、静かに流行しはじめている。【4】ドイツのミュンヘンの街角に、コインの投入口のない自動
販売機が出現したのは、まだ
記憶に新しいところであろう。【5】もちろん当初ミュンヘンの住民は
苛立って、その自動
販売機を
叩き壊したが、
壊された自動
販売機がまた次の日、元通り投入口のないまま立っているのを見て、やめたのである。
3. 【5】現在その自動
販売機の周辺にはベンチが配置され、人々は
噴水の周辺に群がるように、やや
困惑しながらたたずんでいる。【6】もちろんミュンヘンには
噴水もあり、それも住民に対して同様の効果を
発揮してしかるべきなのであるが、ミュンヘンの住民は、コインの投入口のない自動
販売機ほどには
噴水を、「役に立たないもの」と見なさない
傾向にあるようなのだ。【7】もしかしたらミュンヘンでは、
噴水の水で
洗濯をしてもいいことになっているのかもしれない。
4. 【8】パリの
エッフェル塔の近くの
噴水でも、この夏人々が水浴びをしていたから、間もなく
彼等も、もし文化的に向上したいのなら、「もっと役に立たないもの」を、どこかに出現させなくてはいけな∵くなるであろう。【9】「金を受け取らない
乞食」などというものが、どこかの街角にうずくまることになるかもしれない。
5. その点、日本人はまだ
大丈夫である。
噴水は、
依然として「役に立たないもの」であり続けており、周辺に群がる人々も、
依然として「どうしていいかわからない」まま、
困惑している。【0】ただし、油断は出来ない。夏の日照りが続き、
恒例の水不足になると、都市によっては
噴水の水を停めてしまうところがあるからである。前述したように、
噴水の水というのは同じものが
循環しているだけなのであるから、どんなに水不足の場合でも、停める必要はない。停めたって、水不足を
補うことにはならないのだ。
6. にもかかわらず停めるのは、水不足について都市住民の多くが心配しているという局面に、そぐわないと考えるからであろう。この考え方がよくない。「そぐわないからこそ
噴水は
噴水なのである」という
視点が、ここには欠落している。「
真剣に生活しているものの生活感覚を、さかなでするものであるからこそ
噴水は
噴水なのである」という、まさしく
噴水の
立脚点とでも言うべきものが、
無視されている。
7. つまり、各都市が水不足になる度に、
我々の
噴水は
危機に立たされていると言っていいだろう。言うまでもなく、単に水が停められてしまうからではない。「停めなければならない」と考える人々の
姿勢の中に、
噴水の真に
噴水たるものを
否定する
傾向が芽生えるからである。
8.
噴水に、電気
仕掛けの細工をしたり、照明で色をつけたりするのもよくない。見ているものを楽しませようとする工夫であろうが、あれも、
噴水の真に
噴水たるものを見えにくくさせる。
噴水は、ただ水を
噴き上げていればいいのである。
9.(別役実『都市の
鑑賞法』による。サレジオ学院中)