長文 7.1週
1.【1】「いただきます。」
2.
私は、世界の食べ物の中でカレーがいちばん好きだ。カレーだと、必ずおかわりをしなくては気が
済まない。カレーのどこが好きなのかと聞かれてもおいしいものはおいしいのだから理由などない。
3. この前、学校の林間学校で、
飯盒炊さんをしてカレーライスを作ることになった。【2】まず、学校の授業で、カレーに使われる材料や、カレールーの歴史などについて調べ、発表をした。そこで、カレーの材料にはいろいろな人が関わっていること、また、長い歴史があることが分かった。そして、自分の家で、一人でカレーライスを作ることが夏休みの宿題の一つとなった。
4. 【3】カレーが大好きな
私でも、生まれてから一度もカレーを自分で作ったことはなかった。母に教えてもらいながらやっとのことで作り上げたが、その時、こんなに大変なのに林間学校で自分たちだけで作れるのかと不安になった。
5. 【4】その不安を
抱えたまま、林間学校が始まり、二日目の夜に
飯盒炊さんが行われた。もし、作ることができなかったら、
私たちのその日の夜ご飯はなしになってしまう。
私は
薪の係りだった。お米を研ぎ、野菜を全て切り終わった後に火をつけた。【5】その火はまるで、
紅葉したモミジのように真っ赤だった。
途中で、火が消えそうになって
慌てたが、以前、火を作る練習をした時、火が消えそうになったらうちわであおげばよいと習ったのを思い出した。みんなで、
一生懸命うちわであおぐと、消えかけていた火が勢いを
盛り返した。【6】しばらくすると、
飯盒から、
水滴がたれてきた。
薪でさわってみると、ぐつぐついっている
振動が手にも
響いてくる。
6.「やったあ。」
7.なぜみんなが喜んでいるのかというと、そうなったらご飯が
炊けたという合図だからだ。【7】本当にできているか確かめるために、火から下ろし、軍手をした手で
飯盒のふたを開けてみた。すると、
真珠∵のような真っ白なご飯が
姿を現した。そのご飯を見たとき、
私はとにかくうれしかった。
8. ご飯は、
飯盒ごと逆さにして
蒸しておき、
私たちはカレーの
鍋の方に取り組んだ。【8】しかし、このあと、
私たちは小さな失敗をしてしまった。水を多く入れ過ぎてしまったのだ。
鍋の中はびちゃびちゃになっていたが、
私たちはあまり気にすることなく作業を続けた。そして、やっとカレーの方も完成した。
9.【9】「いただきます。」
10.と声をそろえ、
一斉に食べ始めた。
私は水が多すぎて、おいしくないカレーになっていないかと思っていたが、その心配は無用だった。なぜなら、家のカレーよりもおいしかったからだ。
私は、もちろん、それをおかわりした。
11. 【0】この
飯盒炊さん以来、
私はもっとカレーが好きになった。母が、今日の夕飯もカレーだと言っていたので、とても楽しみだ。
12.(言葉の森長文作成委員会 Λ)
長文 7.2週
1. 【1】こうしてケーキミックスは大ヒットした。アメリカ国内で売りつくすと、ヨーロッパやオーストラリアにも進出した。どこでも大当たりだった。そして次の有望な市場として日本に目が向けられた。
2. 【2】調査してみると、日本はすっかり
欧米化しているようだった。日本人の食生活の洋風化はきわだっており、インスタントコーヒー、粉末スープなどの市場がすくすくと成長していた。
和菓子がおとろえ、
洋菓子に人気が集まっていた。【3】
洋菓子の売り上げ全体の一
割でも
獲得できれば、利益はじゅうぶん得られる。
3. ただし、そのころの日本にはオーブンを持っている家庭がほとんどなく、
従来のケーキミックスをそのまま持ちこむわけにはいかなかった。【4】しかし、オーブンはなくても、
電気釜(自動
炊飯器)ならどの家庭にもある。そこで、
電気釜で作れるように改良することがケーキミックスの技術的な課題になった。アメリカの
優秀な技術
陣は、この課題を解決し、りっぱな製品を作り上げた。
4. 【5】そして、日本の主婦にモニター(意見を述べる役)を
依頼して、実際に
電気釜でケーキを作ってもらった。評判は上々だった。
5. この結果をふまえ、ケーキミックスの製造会社は自信満々で日本市場に進出することを決定し、日本の大手
企業との合弁会社(資金を出し合って作る会社)が設立された。【6】かなりの
宣伝費をかけて売り出すと、たちまちまねをする会社が現れて似たような製品を発売するほどで、成功はまちがいないように思われた。
6. ところが、ケーキミックスは日本の市場では完全な失敗だった。【7】さっぱり売れなかった。
7. この
段階になって、初めて
私に原因調査の
依頼があった。
私は主婦を集めてグループに分け、雑談形式で話を進めてもらった。最初は建て前ばかりでも、だんだんうちとけて本音を言うようになるものである。【8】初めのうち、ケーキミックスを使ったことのない人は、「おもしろそうね。」「作ってみたい。」などと言っていたし、使用経験者も「なかなかよくできてる。」などと好意的な意見を言っていた。【9】しかし、話が進むうちに、
8.「でも、あれは、バニラ(
香料の一種)やチョコレートが入っているのよね。」∵
9.という発言があった。これをきっかけに、いっきょに、売れない理由が解明されることになった。
10. 【0】日本の食文化におけるお米の重要さはいうまでもない。食生活が
欧米化したといっても、一日のうちでいちばん大事な夕食が、いまだにお米中心であるということは、最近の厚生省の調査でも明らかだ。
欧米の
若い女性が手作りのケーキのよしあしで判断されたように、日本のおよめさんにとっては、ふっくらした白い
御飯をたくことが重要な課題なのだ。
11. ライス・カルチャー(お米の文化)といわれる日本文化の中で、お米は
純粋さの
象徴なのである。白米が
尊重され、カレーなどもあくまでも後からかけるものであり、
茶飯やピラフは、しょせん基本的な調理にはなりえない。
12. その
御飯をたくのと同じ器でケーキを作ると、バニラやチョコレートに
汚染されてしまうのではないか――。日本の主婦がひっかかったのはそこだった。
13.「
電気釜をよく
洗えばだいじょうぶだ」
14.というのは、ひじょうにあさはかな考えで、答えになっていない。人間の心理はそんなに
簡単なものではない。
15. 日本人のこうした感覚を
欧米人に説明するために、
私はこういうたとえを用いた。
16.「これは、イギリスの主婦に、ティーポットでコーヒーを作れ、というようなものだ。」
17. この
分析結果を聞いたケーキミックスは、きっぱり日本市場から引き上げていった。問題が、そこまで民族的な伝統に根ざしている以上、手の打ちようがないからである。
18. (ジョージ・フィールズの「
電気釜でケーキがつくれるか」にもとづく。開成中)
長文 7.3週
1. 【1】
私は改めて自分の部屋に行ってみた。
昨晩母が苦労して
片づけたおかげで、かなり快適そうな
子供部屋になっていた。全然見ない百科事典が
全巻あるのも今ならこの部屋にふさわしい。まるで
賢い子供の部屋のようだ。【2】こんなキチンとした部屋を使用している
子供なら、毎日規則正しく予習復習をやり、夕飯には野菜スープと肉の焼いたやつなどを食べ、家族と少し談笑をした後、
風呂に入ってすみやかに
眠るのであろう。【3】そして朝は早起きをし、
遅刻などという
愚かしい行為とは
縁がなく、学力
優秀で人望も厚いのである。もちろん、親から
怒られる事などない。
私とは、どこをとっても
異質な
子供の部屋である。
2. 【4】明らかに
急激に
片づけたとバレる気がする。日常とは
違う、とってつけたような空気が
充満している。
机の上がきれいなのもわざとらしい。だが
机の引き出しを開けてみると、昨日
捨てなかった小物類がゴチャゴチャと入っていた。【5】パンダの貯金箱やゴムボールや、紙せっけんや半分使った目薬もあった。こまかい物を母が適当にこの引き出しの中に入れたのだ。ちらかっていた昨日までの
子供部屋のミニチュア版という感じである。
3. 【6】一見きれいに見えるこの部屋も、引き出しを開ければこんなもんである。
所詮、
茶番にすぎないのだ。
4. 先生が来る時間が近づくにつれ、
私は
憂鬱になっていった。【7】どうせ母は先生に、ももこはちっとも勉強せずに手伝いをするわけでもなく
怠けてばっかりというような事を話すであろう。
遅刻ギリギリに登校するのは朝のトイレが長いせいだという余計な事まで言うかもしれない。【8】先生は先生で、ももこさんは学校では特に目立つ
活躍もない生徒だからもっと
奮起を望むところだというような事を母に告げるであろう。そして
私は先生が去った後に母から「アンタしっかりしなきゃだめだよ」などと言われるのが関の山である。
5. 【9】そんなつまらない情報を
交換するために
畳まで
替える必要があるだろうか。「あーあ……」という気分である。∵
6. やがて、先生はやって来た。母は先生をあの安宿のような和室に招き入れ、ヒロシの仕入れたイチゴを運んで
私についての話を始めた。【0】ふすまの向こうから、先生と母の声がきこえてくる。時折両者の笑い声もきこえる。
私についての話なのに、何をそんなに笑うのか、気になるところである。笑い声がきこえればきこえたで気になるし、静まれば静まったで気になる。自分の事というのは何かにつけ気になるものである。
7. 十五分余りで話は終わったらしく、先生と母が
子供部屋にやってきた。先生は、入ってくるなり「お、きれいに
片づいているなァ。
普段はもっとちらかっているだろう?」と一番
痛いところを
突き、
私と母は赤面した。だから、バレるようなことはしない方がいいのだ。先生は
私の
机の上を見て、「お、
机の上もきれいになっているね。だけど引き出しの中はどうかな」と言って引き出しを開けた。
8. 万事休す。もうおしまいである。ゴチャゴチャな引き出しの中を見た先生はプッと
吹き出し、
私と母はますます赤面した。
脳天にマグマが
上昇してゆくような熱さを感じた。うつむいて
黙って赤面している間も、新しい
畳の
匂いが
漂ってきてやるせない。
9. 先生がお土産を持って去った後、母は
私に「アンタ、もっとしっかりしなきゃだめじゃないの」と、予想通りの小言を言った。
私は母の小言を「はいはい」と軽く聞き流し、外へ遊びに行こうと思って店先に出た。
10.(さくらももこ「あのころ」より。東海大
附属浦安中)
長文 7.4週
1. 美術
担当の先生洋は、学校の近くで開かれている写生大会を見まわりながら指導していたが、その
途中で、
描くのに苦労している女の子の下絵をよかれと思って手伝った。一方、学校で何かと話題の中心になる根元少年の
姿が見えず、気になっていたが……。
2. ふりむくと――根元少年が立っていた。
3.―先生は
描かんのきゃあ?
4.と、きいた。
5.―ん? 今日は見まわるだけで
手一杯やからな。
6.正直に答えてから、ふと気になってきき返した。
7.―根元はもう
描いたンか。
8.根元少年は
黙って画板をさしだした。白紙だった。ピンを外して
裏返して見ても何も
描いてなかった。
9.―今までなにしてたンや。
10.ちょっときつい声になってとがめるように言ってしまった。根元少年は平気で、チョウチョを追いかけとった――と答えた。
11.―白紙なんか受けとらヘンよ。
12.と言ってやっても、やっぱり平然としている。そしてさっきとおなじ質問をした。
13.―先生は
描かんの?
14.―
描く用意してへんさかいなあ。
15.根元少年は
黙って自分の画板と絵具箱と、カンヅメを利用した水入れをさしだした。
16.―根元のを
描いてやるわけにはいかんがな。
17.やんわり断ると、根元少年はついと横をむいて鼻を鳴らした。
18.―女の子のは手伝ってやったのによ……。
19.どこからか見ていたらしい。
20.―あんまりおそいから、ほんのちょと手伝うたンや。
21.弁解がましくなると知りながらも正直に説明した。すると根元少年は自分の画用紙を指して、おれの方がもっとおそい……と、つぶやいた。
22.―それはちがうで。あの子は
一生懸命やってもおくれたンや。根元はチョウチョを追うとっておくれてただけやろ。
23.∵さすがに洋もちょっととんがった声で言ってやると、根元少年は首をすくめ、
24.―言えてる。
25.さすがに自分のさぼったことをみとめた。
26.―今からでも
描くか。手伝わンけど、見てたるさかい……。
27.洋が
誘うと、根元少年は素直にうなずいた。
28.―どこで
描くンや?
29.―さっきの女の子のとこ。
30.根元少年はただちに答えた。
31.―あそこ、先生の気にいったとこだろが。
32.―なんでわかるンや?
33.―チョウチョ追いかけながらでも気がついとったけど、先生、あそこに五ヘンも立ってたもんだでよ。
34.(ちゃんと見ておったンやな。いや、おれをつけとったな。そやさかい、こっちが
探しても見つからんわけや……。)
35.洋は苦笑して、さっきの場所へいそいだ。ところがそこで思いもかけない光景を見てしまったのだ。
36.(
今江祥智 「牧歌」)
長文 8.1週
1. 【1】「いってらっしゃい。」と妹、「早く帰ってきてね。」とぼく、そして、「気をつけてね。」と母の声。
2.「行ってくるよ。ゆうすけ、あっこちゃん、学校がんばってな。」
3.毎朝、同じ会話が交わされ、静かな朝の道へオートバイが走り出していく。父の
出勤だ。
4. 【2】父は、
消防署に
勤務している。いつ、どこで発生するかわからない火災や事故を相手にする
緊張した仕事だ。朝
出勤すると
翌日の朝まで帰らない。日曜も祭日もなく一日おきに
勤めている。非番で家にいる日も午前中は
寝ている。前日は
勤務で
寝ていないからだ。【3】父が
寝ている間は、家族も音を立てないようにして歩かなければならない。「いやだ。
消防署なんてやめちゃえ。」と、父の仕事を
憎く思ったこともある。しかし午後、目が覚めると
僕と妹に本を読んでくれたり、
一緒に遊びに出かけてくれたりする。制服を
脱ぐと本当に
優しい父だ。
5. 【4】三年生のとき、社会科で
消防署の仕事について習った。市民の安全を休みなく守る消防士さん、それが
僕の父なのだ、と思ったとき、
僕は初めて父の仕事に感謝し、その仕事を
誇りに思った。
6. 無
遅刻、無
欠勤で働き続けたために、
署の招待で家族旅行に行ったこともある。【5】
新婚旅行をしなかった両親にとって、
結婚十周年を
兼ねた旅行となり、とても楽しかったそうだ。また、十五年
勤務のお祝いには、母も
消防署に招かれ、感謝状を
贈られた。
7.「火災
出勤があるとね、神様に手を合わせて、どうか無事に
勤めが果たせますように、って
拝むのよ。」
8.と母は話してくれた。【6】冬の夜、
緊急の出動があるときも、母は飛び起きて父を送る。そのあと
風呂をわかしたり、布団をあたためたりして、寒くても父の帰りを待っている。そんな母の心づかいを、きっと父も感謝しているに
違いない。∵
9. 【7】父の頭の中はまるで市内の地図だ。休みの日、車で街を走ってもらうと、いろいろな道を知っていることに
驚く。地図で調べたり、道を聞きながら走ったりしたのでは火事が広がってしまうから、父にとっては当たり前のことなのだろう。
10.【8】「消防士の仕事は、一秒が大切だ。だからといって、早ければいいわけじゃない。失敗や事故は許されないから、正確でなくてはいけない。だから、心にゆとりを持つことだ。そして、いつでもきちんと動けるように、体を大切にしないとね。」
11.父はそう話す。【9】なんだか父の
勤務への心構えは、いつも
僕たちに何かを教えているように思えてくる。
12. 健康な体。早く正確に。心にゆとりを。多くの人の、仕事や日々の生活にとって、同じように考えられると
僕は思うのである。【0】
13.(言葉の森長文作成委員会 ι)
長文 8.2週
1. 【1】みなさんには、まだ字を読めないころの読書体験がありますか。いや、これは
矛盾していますね。字を知らなければ、読書はできない。言い直しましょう。【2】字が読めないことを意識しつつページをめくり、「ここには何が書いてあるのだろう」と思い、もどかしい
興奮をおぼえたことがありますか――ちょうど
開かずの
間の戸を見るように。
2. わたしにはあります。【3】
雑誌だったか、その付録だったか、とにかく兄の本です。そこに「
漫画の
描き方」のようなものがのっていました。しかし、字は読めない。だからこそ、想像を絶するほどおもしろかったのです。で、また
矛盾したことを申し上げましょう。【4】そのおもしろさを、想像してみてください。そこにあったのは、実に不可思議な世界です。技法説明のため、さまざまな表情や
姿がならんでいました。かと思うと、それらを生み出す、
裏方のペンやインクの絵が
描いてあったりします。
3. 【5】わたしが一番
強烈におぼえているのは、こういう場面です。古い
漫画の手法では、人が歩いた後に、マッシュルームを横にしたような印が、次々についていきます。
砂ぼこりの
象徴なのでしょう。【6】さて、その本の中の人物は、ほこりマークを現実にあるもののように
扱っていたのです。手に持っていたのかもしれません。拾い集めていたか、あるいは、歩く人物の後ろに置いていったのかもしれません。【7】そうやって、
描き方を説明していたのです。なんとも
奇妙な絵でした。「ここに書いてある字が読めたらなあ」と、強く思いました。どういう部屋のどのあたりにすわっていたかも
含めて、その時の
記憶が
鮮やかにあるのです。【8】小学生になってからも、時々、あの
漫画にもう一度会いたいと思いました。
4. さて、「
漫画の
描き方」は、本来の目的からいえば、
鑑賞のためにあるのではなく、実用のためにあるものです。【9】しかし、わたしにとって、それは
謎に満ちた物語、通常の音階を持たぬ歌だったのです。これこそ、本というものの持つ力ではないでしょうか。た∵とえば、夏目
漱石の読み方に、これという絶対の正解があるのなら、われわれは、その答えを人から聞けばいい。【0】しかし、
漱石への対し方は読者の数だけあります。
5. 下手な手品は一方からしか見られないといいます。しかし、
魔法は、上から下から
斜めから見ても、人の後ろに立って見ても、遠く
離れて望遠鏡で見ても
魔法でしょう。ある人には、
胸のポケットから取り出したものが
蝶と見え、また、ある人には
蜂鳥と見える。しかし、どちらも真実なのです。
6. つまり、本を読むというのは、そこにあるものをこちらに運ぶような機械的な作業ではない。場合によっては、作者の意図をもこえて、
我々の内になにかを作り上げて行くことなのだと思います。
7. しかし、仮にあげた例は、あくまでも例なので、今あの時の「
漫画の
描き方」が手に入ったとしても、それは昔のかがやきをもったものではないでしょう。
幼い日に読んで血をわかした本が、
後年読み返してみると、思いの
外につまらなかったりすることは、間々あるものです。けれども、
砂時計を手に取りひっくり返すように、あるときからは、また新しい
砂が積もりだすものです。中学生の時、読んで少しもおもしろくなかった本の
妙味が、年を重ねることによってわかるようになったりもします。
8. そういう読みにたえられる、厚みを持ったものが、古典です。
9. 手ごわい相手、理解できない書に行きあたると、文字の読めない
幼児のように、その昔に帰ったようにもどかしく、「この本が読めたら」と足ずりしたくなります。歯の立たないものをかんだようなつもりになって、見当
違いの
解釈をすることも多い。だが、わたしにとっては、それこそが読書の楽しみなのです。
10. (女子学院中)
長文 8.3週
1. 【1】ユーモアについて、話がしたくなりました。
2. 第二次大戦の時、イギリスの主要都市は、ドイツ空軍の
激しい爆撃にさらされました。特にロンドンは
熾烈でした。【2】この時、建物を大破されたロンドンのあるデパートが、
3.「平常通り営業。本日より入口を
拡張しました」
4.というカンバンを出しました。よく知られているエピソードです。
5. 先日、イギリス人がユーモアについて書いてあるものを読んだらこうありました。
6.【3】「
私たちイギリス人は、『ユーモアのセンス』というものには特別のプライドを持っているし、また、それについて
敏感である。たとえばイギリス人に向かってモラルがないとか、仕事ができないと言ってもおこりはしない。【4】自分には音楽がわからない、と
自慢する者もいる。しかしイギリス人にユーモアのセンスが無いと言ったらぶんなぐられるはずだ。他国では、人の悪口を言うとき、ばか、
臆病者、極悪人などと
呼ぶが、イギリスでは『ユーモアのセンスが無いね』と言うのである。【5】これは最高の
侮辱となる」
7. 国民性のちがいと言ってしまえばそれまでですが、日本では、ユーモア感覚は、それほどまでには高く評価されていないように感じます。【6】「
お互いにもっとユーモアの感覚をみがこう」というより「人間マジメに、
一生懸命に働くのが一番だ」という言葉のほうが、説得力を持つのではないでしょうか。
8. 【7】
空襲で
爆破されたデパートが、「本日より入口を
拡張しました」というカンバンを出すなんて不真面目だ。「
空襲による
被害のためお客様にご
迷惑をおかけいたします」と書くべきだ。というのが真面目な人の反応でしょう。
9. 【8】真面目な国から真面目をひろめにやってきたような人っているものです。そういう人は、もしかしたら
欠陥人間と
呼んでいいかもしれません。自動車のハンドルにあそびがあるからこそ、自動車を安全に運転することができます。【9】ユーモアは命を運転して人生をわたっていくのに欠かすことのできないものです。
10. と言いながら、生真面目な言い方になりますが、明治以来、日本∵の文学は
喜怒哀楽の
怒と
哀だけに
片寄り過ぎたように思います。【0】喜びや楽しみを書いたものは評価が
一段低かった。近代の
苦悩について書いたものが文学としては上等で、人生の深みにおもりを下ろしていると
最敬礼されてきました。
11. 詩に限ってみても、上質の軽みに
成熟を示した詩、ユーモアの詩が書かれるようになったのは戦後のことです。
12. ただ、ユーモアというものは、
論理で
解釈できるものではなく、それを受信する感性の
装置をそなえているかどうかなのですね。頭がどんなによくても、それだけではだめ。いくら知識があっても、それだけではだめだということです。
13.「平行な二直線が他の直線と交わってできる
錯角は等しい」という定理なら、これを証明することができます。しかし、ユーモアは、たとえるなら花のかおりのようなもので、口ではうまく説明できない。
14. 数学なら数学、物理なら物理、こういう真面目なことというものは、
一生懸命努力すれば分かります。少なくとも分かるはずです。しかし、ユーモアというものは、ユーモラスと感じるか感じないかというセンスの問題になるわけです。
15. (
横浜共立学園中)
長文 8.4週
1.「そう。古田の
婆さん、なんていったの?」
2.「……なんにも……」
3.「貸してくださいっていったんでしょう?」
4.「……うん……」
5.「でもだまってたの?」
6.「……うん……」
7. そのあと母がなにもいわないので、ぼくは母を上目づかいにみた。母はやさしく笑ってぼくをみているだけだった。でも、母は泣いていた。ぼくに笑いかけながら、
涙が
頬をつたっていた。ぼくは母をなかせてしまったとせつなくなった。本当のことをいわなければ。ぼくは重い口を開いた。
8.「貸してって、心の中で、いったんだ……。口にだしていわなかった……」
9.「そう」
10.母はぼくの手をとった。細くて、あたたかくて、白くて、きれいな手だった。あのぬくもりはいまでもぼくの手に残っている。
11.「久志は自分がどういうことをしたか、わかっているわよね」
12.「……うん……」
13.「これからは絶対にそんなことをしちゃだめよ」
14.母はやさしくぼくを
諭した。
15.「約束してくれる?」
16.「……うん……」
17.「父ちゃんに、ちゃんとお金を返してもらおうね」
18.「うん」
19.「約束だよ。久志がやったことは人間としてやってはいけないことなの。でも、本当のことをいってくれて、母ちゃん、久志のこと、安心したよ。本当のことをいうのは、勇気がいるよね。でも母ちゃんは、久志はほんとうのことをいってくれるとしんじていたよ」
20. そういうと、母は
突然ベッドの上で息を
詰まらせたように泣き出した。ぼくの手をにぎり、ぼくをみつめたまま、ポロポロと
涙をこぼした。
21.「ごめんなさいね。母ちゃん……本当にごめんなさいね」そういって母は
震えだした。
22. なぜ母がぼくに謝らなければならないのだろう? ぼくはとまどい、どうしていいのかわからず、だまって母をみつめることしかできなかった。
23.「ごめんなさいね。本当にごめんなさいね」∵
24. 母は声を
震わせていつまでもぼくに謝るのだった。いつまでも……。
25.(川上健一「
翼はいつまでも」)
長文 9.1週
1.【1】「まあ、ありがとう。」
2. 祖母は目を細めた。今日は、祖母の七十
歳の
誕生日。
古希と言う、おめでたい節目の
年齢だ。
私は、小さいころから大好きだった祖母にどんなお祝いをしようかずっと頭を
悩ませていた。【2】一つ前の六十
歳のお祝いのときは、小さくてまだ何もわからなかったので、特別な年の
誕生日はこれが初めてである。最初はお
小遣いを貯めて、喜ぶものを買ってあげようかと思っていたのだが、お年寄りの気に入るものを選ぶのはなかなか
難しいし、お金も足りない。【3】そこで、
私は自分にしか作れない手作りの
贈り物をすることにした。作文、詩、手紙、絵、
私は自分が得意なもので勝負しようと考えた。親友のちかちゃんのように手芸が得意だったらさらによかったのだが。
3. 【4】
私は、いろいろなアイディアを頭にめぐらせた。祖母がびっくりするようなもの、記念になるようなもの、そして何より
私らしいものがいいと思った。
私は書くこと、
創作が大好きだが、とりわけ、物語を作るのが好きだ。【5】そうだ、祖母の登場する物語、いや、いっそのこと、祖母の伝記を作ってみよう。
私は自分の
壮大な
企画に
驚いたけれど、まだ時間はあるし、ぜひやってみようと思った。祖母にわからないように、母や
親戚のおばさんたちから話を集め、少しずつ書き
溜めた。【6】祖母が
若いころのモノクロの写真も手に入れた。父の手も借りて、パソコンを使って編集した。字は祖母に読みやすいように大きなフォントにした。きれいな色のかわいいイラストも入れた。∵
4. 【7】お祝いの会直前に仕上がった「おばあちゃんの伝記」は、予想以上のできばえで、大人たちの
豪華なお祝いの品にも
見劣りがしない気さえした。うれしいことに祖母は、会の間中、何度もそれを手にとって見ていた。【8】
私は、正直なところ、自分がここまでできると思わなかったので、どうしてこんなにがんばれたのかを考えてみた。そして、作っている間中、いつも祖母の喜ぶ顔を
思い浮かべていたことに気付いた。【9】今までは、祖母からしてもらうことばかりだったけれど、今度は祖母を喜ばせることができるかもしれないという思いが原動力となっていたのだ。
私は、この体験を通じて、人間にとって
贈りものとは、
贈る相手のことを考え、それを形にするという
行為なのだなあと思った。【0】
5.(言葉の森長文作成委員会 φ)
長文 9.2週
1. 【1】
噴水は、飲めない水である。浴びることの出来ない水である。しかも、その水はただそこを
循環しているだけであるから、何ものをも
潤さない。言ってみれば、何の役にも立たないものなのだ。そして、それがいい。【2】都市住民は、すべてが役に立つという
環境に
馴らされているから、目の前に
突如として何の役にも立たないものが出現すると、それだけで文化的
衝撃をうけ、深く
困惑する。つまり、この
困惑が新たな文化を
創り出すのであり、
噴水はそのためのものであろう。
2. 【3】現在先進
諸国の各都市では、
経済活動から文化活動へいそしむべく、都市とその住民に方向
転換を
促しつつあり、都市の各所に「何の役にも立たないもの」を出現させることで、住民に文化的
衝撃を
与えることが、静かに流行しはじめている。【4】ドイツのミュンヘンの街角に、コインの投入口のない自動
販売機が出現したのは、まだ
記憶に新しいところであろう。【5】もちろん当初ミュンヘンの住民は
苛立って、その自動
販売機を
叩き壊したが、
壊された自動
販売機がまた次の日、元通り投入口のないまま立っているのを見て、やめたのである。
3. 【5】現在その自動
販売機の周辺にはベンチが配置され、人々は
噴水の周辺に群がるように、やや
困惑しながらたたずんでいる。【6】もちろんミュンヘンには
噴水もあり、それも住民に対して同様の効果を
発揮してしかるべきなのであるが、ミュンヘンの住民は、コインの投入口のない自動
販売機ほどには
噴水を、「役に立たないもの」と見なさない
傾向にあるようなのだ。【7】もしかしたらミュンヘンでは、
噴水の水で
洗濯をしてもいいことになっているのかもしれない。
4. 【8】パリの
エッフェル塔の近くの
噴水でも、この夏人々が水浴びをしていたから、間もなく
彼等も、もし文化的に向上したいのなら、「もっと役に立たないもの」を、どこかに出現させなくてはいけな∵くなるであろう。【9】「金を受け取らない
乞食」などというものが、どこかの街角にうずくまることになるかもしれない。
5. その点、日本人はまだ
大丈夫である。
噴水は、
依然として「役に立たないもの」であり続けており、周辺に群がる人々も、
依然として「どうしていいかわからない」まま、
困惑している。【0】ただし、油断は出来ない。夏の日照りが続き、
恒例の水不足になると、都市によっては
噴水の水を停めてしまうところがあるからである。前述したように、
噴水の水というのは同じものが
循環しているだけなのであるから、どんなに水不足の場合でも、停める必要はない。停めたって、水不足を
補うことにはならないのだ。
6. にもかかわらず停めるのは、水不足について都市住民の多くが心配しているという局面に、そぐわないと考えるからであろう。この考え方がよくない。「そぐわないからこそ
噴水は
噴水なのである」という
視点が、ここには欠落している。「
真剣に生活しているものの生活感覚を、さかなでするものであるからこそ
噴水は
噴水なのである」という、まさしく
噴水の
立脚点とでも言うべきものが、
無視されている。
7. つまり、各都市が水不足になる度に、
我々の
噴水は
危機に立たされていると言っていいだろう。言うまでもなく、単に水が停められてしまうからではない。「停めなければならない」と考える人々の
姿勢の中に、
噴水の真に
噴水たるものを
否定する
傾向が芽生えるからである。
8.
噴水に、電気
仕掛けの細工をしたり、照明で色をつけたりするのもよくない。見ているものを楽しませようとする工夫であろうが、あれも、
噴水の真に
噴水たるものを見えにくくさせる。
噴水は、ただ水を
噴き上げていればいいのである。
9.(別役実『都市の
鑑賞法』による。サレジオ学院中)
長文 9.3週
1. 【1】世界じゅう、どこに行っても日本人の旅行者たちは、身のまわりに、「日本」をもって動き回る。食べものも飲みものも言語も、ことごとく日本のもの――それにとりかこまれていないとなかなか安心できないのである。【2】旅行者たちをとりかこむ小さな「日本」、あるいは、
彼らが持ち歩く「日本」、それを、わたしは「文化的カプセル」と名づける。日本人は、日本文化を
微分化した小さなカプセルの中に入って、そこではじめて、安心するのである。【3】日本航空の客室は、そうしたカプセルのひとつであり、また日本人
専用のホテルや観光バスもそれぞれに、「文化的カプセル」である。その中に入っているかぎり、目にみえない文化の
皮膜のようなものが、日本人を外界から
遮断してくれるのである。【4】そして、その
皮膜の中から日本人はほとんど足をふみ出そうとしない。もちろん、人間というものは、おしなべて保守的な
存在であって、自分にとってなじみのある世界から
離れることを非常に
嫌う習性がある。【5】じっさい、日本の観光客が「日本」にすっぽりとつつまれていることを
批判するアメリカ人だって、みずからが外国旅行に出かけるときには、アメリカ文化の
皮膜を身のまわりに張りめぐらしているではないか。【6】
彼らは、アメリカの航空会社の飛行機にのり、世界の主要都市につくられたアメリカ資本のホテルに
泊り、そして、食事といえばアメリカ風ハンバーガーだの、ステーキだのに安住する。文化的カプセルは日本だけの特産品なのではない。【7】アメリカ人だって、フランス人だって、それぞれの文化的カプセルにつつまれて生活するのが快適なのだ。そもそも「文化」というのは、そういう性質のものなのである。【8】日本人だけが「文化」の
皮膜にかこまれていると考えるのは、まちがいだ。
2. しかし、おそらくひとつ問題として残るのは、その
皮膜の強度の問題であろう。【9】そしてわたしのみるところでは、日本人の場合、とりわけその「文化的カプセル」の外
皮膜は、かなり強く、それを内がわから破ることを日本人はあまりしたことがないように思えるのだ。
3. 【0】ある年のお正月にも日本から一万人以上の観光客がハワイにやってきた。そんなにたくさんの日本人が一度に来たのは、ハワイにとってはじめてのことであったから、ハワイ州の観光局は、観光客∵を
歓迎して特別のプログラムを組んだ。すなわち、ホノルルの市民に
呼びかけて、日本の人たちを家庭に招きましょう、という「家庭
訪問」プログラムをつくったのである。じっさいハワイのホテルに
宿泊し、観光バスに乗っているだけでは、ハワイ生活、あるいはアメリカ生活というのはわからない。
相互の理解を深めるためには家庭に招くのがいちばんよろしい。招くといってもせいぜい一時間か二時間、お茶でもさしあげましょう、といった程度の、きわめて気楽で
簡単なご招待だ。大変結構なアイデアである。このプログラムはホノルルの新聞でもくわしく伝えられた。そして、数千人の市民たちが、ぜひ日本からのお客をもてなしたい、と申し出た。観光局はそのリストを整理して観光客を待ち受けた。そして次から次へと
到着する日本人旅行者に、どうぞハワイの家庭を
訪ねてください、とさそったのである。
4. ところが、
驚くべきことが起こった。この一万余の日本人が、ことごとく
尻ごみしたのである。関心を示さないのである。結局のところ、この「家庭
訪問」プログラムに応じてホノルルの家庭を
訪ねた日本人は、たった六人であった。観光局が準備した
歓迎計画は、完全に失敗した。
5. しかし、もしこれと同じようなことを、事態を逆転して考えてみるとどういうことになるだろうか。つまり、アメリカから日本への観光客に、日本の家庭を
訪ねてみませんか、とさそってみたら、どういう結果になるだろうか。わたしの観測では、多くのアメリカ人は身をのり出して、ぜひ
訪問してみたい、と
好奇の目を光らせるにちがいないのである。外国に出かけたのだからその土地の人と知り合いになってみるのはおもしろいことだ。いったいどんな家で、どんなふうにこの人たちは
暮らしているのだろう――そういう
好奇心が西洋人の心の中に芽生えるのである。
6.
7. (富士見中)
長文 9.4週
1. 日本人は笑わないなどと言えば、すこし大げさになりますが、少なくも、日本人は表情にとぼしい、心の中の感情を顔や動作に表さない、ということは、よく言われることです。なるほど言われてみれば、そのとおりです。日本人はいつもお能の面のように、表情のない顔をしている、と言った人もいます。
2. また日本人は戦争が好きだ、命を
捨てることをなんとも思っていない、ということも、世界中で評判になっています。そして古くは、ハラキリ、近ごろでは、カミカゼというような日本語が、ひろく外国にまで伝えられているほどです。(中略)
3. あまりありがたくない評判ばかりならべましたが、実はうれしい評判だってあるのです。たとえば、日本人は
勤勉だ、朝早くから夜おそくまでよく働く、ともいわれています。また、日本人はとてもきれい好きだとか、がまんづよい、どんな苦しいことでも、歯をくいしばってよくがまんするとか、日本人は手先が器用で、りっぱな美しいものを生み出すとか、いろいろなことをいわれているのです。それがわたしたちにとって、ほんとうによろこんでいいことなのかどうかということは、よく判断してみなくてはなりません。しかし世界の人たちの目には、日本人がそういう
姿で、うつっているのです。
4. 日本の文化について、ある外国人が、次のように書いているのを読んだことがあります。
5. 日本は二階建ての家で、二階には西洋式の生活や
風俗や文化が、なにからなにまでそろっている。また一階にはむかしながらの生活や
風俗、日本式の文化がそのまま残っている。しかし、ふしぎなことは、その一階と二階とを結ぶ
階段がみあたらないことである。――と、そういうたとえを引いて日本の文化の
姿を
批評しているのです。このたとえも、たしかにおもしろいと思います。わたしたちの生活のまわりを
見渡しても、たとえば洋服と和服(着物)、
靴とげた、いすの生活と
畳の
暮らし、洋食と日本料理、西洋画と日本画、西洋音楽と日本音楽、――といったように、一方では日本にむかしから伝わっているものがよろこばれています。町を歩いてみても、ヨーロッパやアメリカの町にくらべて少しもおとらない、りっぱなビルディングが立ちならび、電車や自動車がめまぐるしく走っている。ところが、その町の中にも、のれんをかけ、店さきに
畳∵をしいた、むかしふうのお店があるし、
白壁の
土蔵も見られるし、また神社の鳥居がたっていたり、お寺のあたりからお
線香の
煙りがにおってきたりする。きれいな
訪問着に
着飾ったむすめさんが、デラックスな自動車から
降りても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎに思いませんが、外国人の目から見ると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。それと同じことで、よくおすし屋や、おそば屋などの店さきに、テレビが置いてあって、そのそばに、
酉の市で買ってきた大きなくまでが
掛かっていたりする、そんな風景も、外国人にはふしぎでたまらないようです。
6. 一九五七年に日本を
訪れたソビエトの作家エレンブルグは、次のように書いています。
7.「日本は、外から来るものをおどろかせる。最初にめにうつるすべてのものが、ひどく
矛盾しているように思われる。電化された汽車、いすの
背の角度を自由に調節できる、乗り心地のよい車室、そこには食堂もついている。給仕のむすめが
香の高いコーヒーを運んでくれる。着物
姿のふたりの日本のむすめが手文庫に似た小さな箱を開けて、生魚やほした
昆布をつめ合わせたお米の弁当を食べている。食事がおわると、本をとり出す。ひとりはサルトル(フランスの作家)の小説を手にしているし、もうひとりは家政の教科書を読んでいる。こんな光景を見ていると、自分がいったい世界のどこにいるのか、アジアにいるのか、ヨーロッパにいるのか、アメリカにいるのか、わからなくなる。しかも古い時代、新しい時代、さまざまな世紀がからみ合っているのだ。
8. 日本では、どの日本人も一日のうち何時間はヨーロッパ的な、またはアメリカ的な生活を送り、また何時間かはむかしながらの日本の生活を送っている。日本人のなかには、たがいに
異なる二つの世界がいっしょに
存在している。」
9. わたしたちは日ごろ見なれていて、なんとも思わないことが、外国人の目にはこのようにうつっているのです。
10. (
岡田章雄「日本人のこころ」)