長文集  7月1週  ○カニクイザルの道具使用行動が  hi2-07-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/06/15 17:01:39
 【1】カニクイザルの道具使用行動が、本
書の趣旨である人類進化にどんな意味を持っ
ているか考えてみよう。
 カキやカニはタンパク質に富む、非常に高
品質な食物だ。【2】カキは多くの岩やマン
グローブの根に成育するので、大量にある食
物資源でもある。しかし、その一方で、カキ
は固い殻に覆われていて、霊長類にとっては
獲得し難い食物である。【3】カニクイザル
は、それを道具によって効率よく獲得・処理
して食べている。「脳=高度な知能=道具使
用=得がたいが高品質・大量の食物の獲得」
というヒト進化の原型がここにある。
 【4】カニクイザルはうまく叩けば、三回
ほどの打撃でカキの身を食べている。この行
動は、手ごろな石を握ること、それを三〇〜
五〇センチメートルの振り幅で振り下ろすこ
と、の二つの動作で構成されている。【5】
そのどちらも日常的に行っている動作であ 
り、それらの組み合わせである。ビデオ画像
を見ると、強力な拇(おや)指が関与するヒ
トの握りに比べると、把握のしっかり感にい
くらか欠けるものの、こういった打撃には十
分だ。【6】また、彼らが使っているハンマ
ーは楕円形をした平たい石が多く、握りやす
いとともに、打撃部分が点に近いため、カキ
やカニ割りには効率がよい。脳の発達に効果
器が重要であることが、ここでも証明されて
いる。
 【7】宮崎県、日向灘に浮かぶ幸島のニホ
ンザルたちも、海産物を食べることが知られ
ている。彼らの場合、岩に付着しているヨメ
ガカサなどのアワビの小型版の一枚貝を、道
具を使わず、下あごの前歯で剥(は)がして
食べる。【8】このため、彼らの前歯は磨耗
が激しく、オトナの中には歯肉から出た部分
がほとんどなくなった個体も多い。したがっ
て、カニクイザルの道具の効果は絶大と言っ
てよい。
 道具使用行動は、遺伝によって子孫に伝え
られる行動パターンではない。【9】他の個
体が行っているところを観察して、学習する
必要がある。群れを作って生活し、他の個体
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のやっていることを見て、真似ることは、文
化伝播・伝承の必要条件である。【0】私た
ちは、カニクイザルの子供たちが学習してい
るところを観察した。カキ∵割りの手順とメ
カニズムを十分に理解できていない子ザル 
が、獲物もないのに台石をハンマーで叩き、
叩いたところに口をもっていっていた。もう
しばらくすれば、カキの殻を叩き割ることや
獲物をその道具セットの場に持っていくこと
を覚えるだろう。こう考えると、子供の期間
が非常に重要で、霊長類における成長期間の
延長は、複雑・高度な行動パターンの学習に
は必要条件である。
 知能というものが、新しい行動パターンを
思いつくという最初の過程だけでなく、学び
取ること「学習」を含むということを、特に
強調したい。
(中略)
 小島の子ザルが、食物を置かずにハンマー
石を台石に無心に叩きつけている様子は微笑
ましい。しかし、その行動をビデオで何度も
見ているうちに、真似るということが、ヒト
以外の動物にとってどれほど困難なものであ
るのかを実感する。そして、子ザルがそのメ
カニズムを体得しようと取り組んでいる真剣
さに感動してしまう。それまで、カキ割りを
していなかったオトナなら、とっくにあきら
めてしまうのだろうが、子ザルはそれを執拗
に行う。生きる上で、この行動の習得が必須
だと思いこませるような遺伝的指令があるの
かとさえ感じてしまう。この指令が発達過程
に織り込まれているのは、ヒトにもあてはま
るだろう。それゆえに親や社会のメンバー 
は、子供たちのモデルである。
 脳はあっても適切な学習過程と学習環境が
与えられなければ、十分な機能を発達させら
れない。「あるがまま」「自然にまかせて」
の教育の恐ろしさは、そこにある。

(濱田穣()『なぜヒトの脳だけが大きくな
ったのか』(講談社ブルーバックス))