長文 7.4週
1. 【1】サルは集団で暮らしく  ている。ストレスが溜まるた  。そこで彼らかれ が編み出した方法というのが、グルーミングというものだ。お互い たが の毛づくろいをする。
2. 【2】衛生的な目的であれば、グルーミングしている時間と身体の大きさが正比例するはずなのだが、そうではなく、社会的なグループの大きさと時間とが比例するという。つまり、複雑で大きな集団になればなるほど、グルーミングの時間が増える。
3. 【3】しかもグルーミングの相手は無差別ではない。特定の相手とのみ、おこなわれる。グルーミングは社会的に仲良くなろうとする行為こういであるのだ。親子同士はもちろんだが、仲間内の、特定の相手が選ばれて、グルーミングをする。【4】いわば親しい友人である。そして近くにこの友人がいるときほど、特に仲間のために警戒けいかい音を発したり、えさを見つけたよという合図をおこなうことが多いという。つまり、利他的な行為こういは、ふだんのグルーミングによる付き合いの結果なのだ。
4. 【5】グルーミングによって親しい友人が増やせるし、生きていくのも簡単かんたんになるのなら、なるべく多くのグルーミング相手がいたほうがいい。しかし、このグルーミングの相手になる数は限られている。グルーミングは一対一でしかおこなわれない。【6】しかも一日のうち、四十パーセントの時間をグルーミングに費やすということも観察されている。小さな集団であれば、それで充分じゅうぶんなのだが、より強大になろうとし、より大きな集団を作ろうとしたとき、グルーミングでは間に合わなくなってくる。【7】そこで、音声による友人作り、つまり言語が始まったのだ、というのがダンバーの説である。言語によって、グルーミングと同じように、友だちを増やしている。【8】つまり、ことばが、情報のやり取りではなく、仲良くなるという目的で使われている。
5. 小田は、コンタクト・コールという特定の相手との音声の呼びよ 交わしが、かなり原始的なサルにも見られると報告している。【9】コンタクト・コールは、移動中などにお互い たが の位置を教えあうためにおこなわれると考えられているものだが、特定の相手と頻繁ひんぱんにおこなわれることから、やはり、集団を維持いじするためにおこなわれると考えられる。【0】グルーミングの補助ほじょ役割やくわりを果たしていると考えられ、これがわたしたちの日常会話の原型なのではないかという。∵
6. グルーミングにせよ、コンタクト・コールにせよ、お互い たが が仲良くなるための手段しゅだんとして使われている。異性いせい間に限られない。また家族間にも限られない。そこで伝えられているものは、たぶん、隣人りんじん愛と呼ばよ れるものの最も原初的なものなのではなかろうか。
7. 人間以前のことばが隣人りんじん愛を伝えているとすれば、これは、ファティックであると言える。繁殖はんしょく期になって、オスがメスを呼ぶよ 。それが、愛であるのならば、お互い たが の共同生活を作るものならば、ファティックと言える。
8. 外敵から身を守るために集団で暮らすく  ことを選んだ人間の先祖たちは、その集団のまとまりを維持いじするために、ことばを使い始め、そうして社会を形成した、という考えなのだ。
9. 今まで、ことばの起源きげんは、動物の発する相手に対する威嚇いかくの声や逃げるに  ときの悲鳴などが初めにあって、それらが、今あることばの働きかけの機能、自己じこ表出の機能になったと考えられてきた。働きかけは、相手に何かを頼んたの だりすること、自己じこ表出は、自分の気持ちを表現すること。これらがことばの最も原初的な働きであり、それがすなわちコミュニケーションであると考えられてきたフシがある。しかし、そうした働きは、ことばの一面を言っているにすぎない。
10. ことばはコミュニケーションの道具である、とよく言う。しかし、ことばは情報伝達の道具というだけではすまされない。ことばの起源きげんの現場を見た人はどこにもいないのだから、あくまでも仮説にすぎないけれど、ことばがお互い たが が仲良くするという目的のために生まれたのだという考えは、ちょっと魅力みりょく的だと思う。

11.(金田一秀穂『新しい日本語の予習法』(角川oneテーマ二十一))