長文集  10月4週  ○求めよ、さらば開かれん  hu-10-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/04 14:55:27
 求めよ、さらば開かれん

 ネコやイヌがドアの前でしきりに鳴くとき
、ぼくらは彼らが「開けてくれ」といってい
るのだと理解する。ところがものをむずかし
く考える人がたくさんいて、そのような理解
は正しくないと教えてくれるのである。
 たとえば、言語学者のレーヴェスという人
は、「イヌは開けてくれといって吠えるので
はなく、閉じこめられているから吠えるので
ある」といった。どうやら彼は、ある表現に
よって未来のことを支配しようとするのは、
人間においてこそ可能なのであって、イヌや
ネコのような動物にはそんなことはできない
、彼らにできるのは現状の報告だけである、
と考えていたらしい。
 これは、一時かなりの説得力をもったいい
かたであって、ぼくもそうかなと思ったこと
がある。
 けれど、動物行動学者のローレンツはこう
いうことをいっている――のどのかわいたイ
ヌが水道の蛇口に前足をかけて、ワンワン鳴
いているとき、それは人間の言語にかなり近
いことをやっているのだ、と。つまりこのイ
ヌは、疑いもなく、「早く蛇口をひねって、
水を飲ませてくれ」といっているのだ。
 ドアの前でネコが鳴くのも、それとまった
く同じである。とく に、彼らがトイレにい
きたいとか、子どもが先に外へ出てしまって
すごく心配であるとかいう切羽つまった情況
で、ぼくらの顔をじっと見ながら、ニャア…
…と鳴くとき、それはレーヴェスよりローレ
ンツのいったことにはるかに近いだろう。

 パンダの発明

 ただ鳴いて「開けてくれ」とたのむだけで
ない。オスネコのパンダはもっとおもしろい
ことを発明した。
 つまり彼は、人間のやっていることをつぶ
さに観察して、ドアを開けるとき人間たちは
必ずノブにさわっている、ということを発見
したのである。ここから彼はこういう解釈を
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した――したがって、ドアを開けたいときは
、ドアのノブにさわればよい。
 そこで彼は、部屋から外へ出たいとき、後
足で立ちあがり、体と∵前足を思いきり伸ば
して、前足の先でノブにさわることを始め 
た。
 おもしろいことに、そのときはほとんどの
場合、無言である。ひょこひょこっとドアの
前へ走っていって、ひょいと立ちあがり、ノ
ブに前足をふれるのだ。
 それを見てぼくらはすぐドアを開けてやる
から、パンダは自分の発明にすっかり自信を
もってしまった。一日何回でも、開けてほし
いときは必ずこれをやる。(中略)
 ところが、これがほんとうにノブというも
のの働きを理解した上での行動であるかどう
か、いささかわからなくなるような場合もあ
る。
 パンダが外へ出かけていって、庭から帰っ
てきたことがあった。食堂にぼくらがいるの
を見て、パンダは入れてくれという表情をし
た。そして、ガラス戸に手をかけて立ちあが
ったのである。
 三枚引きのガラス戸には、もちろんノブは
ない。かぎはあるが、外側からは何も見えな
い。その何もないところへパンダは前足をか
けたのである。もちろん、ガラスの部分でな
く、かぎのあるべき木枠のところにである。
ただ、その高さはドアのノブと同じだった。
けれどこれも、ちょうど全身を伸ばしてとど
く高さだから、たまたま一致しただけである
。そのときパンダは地面から体を伸ばしたの
だから、内側にかぎや引き手のあるところよ
りは、ずっと低い位置に足をかけたことにな
る。
 だとすると、パンダにとっては、ノブがあ
ってもなくても、体を思いきり伸ばして前足
でさわれば、それが開けてもらえるという認
識しかなかったのかもしれない。ノブが云々
という理解はなかったのではないか?
 人間以外の動物を人間的に理解すること、
つまり擬人主義をきらう人は、このような解
釈をよしとする。
 けれど、人間だって、たとえば横断歩道を
渡るときには手を上げて、などと教わると、
鉄道の踏切を渡るときも手を上げてゆく人が
いるのだから、似たようなものではないだろ
うか。

(日高敏隆「ネコたちをめぐる世界」)