長文集  11月1週  笑顔の赤ちゃん  hu-11-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/11 09:42:56
 【1】我が家のリビングには、僕の赤ん坊
の頃の写真が飾られている。よく「小さいこ
ろの写真を見るのは恥ずかしい」という人が
いるが、この写真に限って言うなら、僕はそ
うは感じない。物心ついたときからそこにあ
り、毎日見ているため、もはや慣れてしまっ
て、今さら照れくさい気持ちにはならないの
である。
 【2】むしろ、写真の中の赤ちゃんは、我
ながらとてもかわいらしいと思うほどだ。何
がそんなに嬉しいのか、というほど目を細 
め、口を上げて微笑んでいる。それがピント
もばっちりのアップで写された、良い写真で
ある。【3】僕はときどき「こんなに可愛い
赤ちゃんが、今ではすっかりかわいくない少
年になってしまった ね」と冗談を言う。母
はそれを聞くたびに、そうねえと大笑いをす
るのだ。
 ある日、僕はひとりで留守番をしていて暇
だったので、その写真をしげしげと眺めてみ
た。【4】本当に自分なのか疑った、という
わけではないが、成長した現在の顔と、どれ
くらい変わったか見比べてみようと思ったの
だ。
 色々と見回してみて、一つ、昔と今でまっ
たく変わっていない部分を発見した。それは
、鼻の頭にある小さな傷だ。【5】今では痛
くもかゆくもない傷あとであるが、写真では
ついたばかりのよう で、よく見ると結構痛
々しい感じだった。こんな傷があるのににこ
にこしているとは、やはり赤ん坊は無邪気な
のだなと、僕は他人事のように思った。
 【6】やがて母が帰ってきて、僕は気付い
たことを報告した。すると母は、やけに重々
しい口調で、「実は今まで隠していたことが
ある」と切り出した。それは、僕にとって衝
撃の事実であった。
 なんと、僕の鼻の傷は、まさにこの写真を
撮った時についたものなのだという。【7】
カメラを構えた父に向かって、赤ん坊の僕は
すごい勢いで這っていったらしい。母が止め
る暇もなかったとい う。そして僕はそのま
まカメラのレンズに激突し、火がついたよう
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に泣きわめいたのだそうだ。∵
 【8】そう、微笑ましい一枚だとばかり思
っていたこの写真は、笑っているのではなく
、痛みと驚きで泣き出す寸前の歪(ゆが)ん
だ表情をとらえたものだったのである。
 人間の先入観とは恐ろしいものだ。ただ、
それが分かった上で見てみても、写真の中の
赤ちゃんはやはり幸せそうに見える。【9】
痛みや失敗も含めて、愉快な家族の思い出に
なっているからだろうか。
 今まで注目してこなかった写真にも、さま
ざまな隠された物語があるのかもしれない。
僕は今度の留守番のとき、改めて古いアルバ
ムを開いてみようかと考えた。【0】

(言葉の森長文(ちょうぶん)作成委員会 
ι)