長文集  11月3週  ★誰もがよく知っている(感)  hu-11-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】誰もがよく知っているお伽噺「桃太
郎」は、「ある日おじいさんは山へ柴刈りに
、おばあさんは川へ洗濯に行きました」とい
う語り出しから始まっている。【2】このお
伽噺が昔から変わることなく子供たちをひき
つけてきたのは、波乱に富んだ冒険談の幕あ
けを、かつての日本人にとってもっともあり
ふれた日常生活の一場面に置いた、その巧み
な語り出しにあるのではなかろうか。
 【3】年寄りが行けるような身近な所に、
薪採りのできる林があり、また、家のすぐそ
ばには洗濯のできるきれいな小川が流れてい
るといった、この素朴な集落の光景は、日本
人にとっての一つの原風景といってもよいだ
ろう。【4】東アジアの季節風地帯に属し、
気候が湿潤であるために豊かな森林と川に恵
まれたこの国では、住民の生活は、この森と
川の恩恵のもとに営まれてきたのであった。
 (中略)
 【5】そこで思いあたるのは、この国のも
ともとの集落形成が、多くの場合、扇状地か
ら始められてきたことだ。扇状地は、山地の
渓流が平野に注(そそ)ぎ込む地点で砂礫が
堆積して作られた、なだらかな地形である。
 【6】背後に山を背負い前には平野をのぞ
むこの扇状地は、水はけのよい土に恵まれ、
またその末端のあちこちからは、一度伏流し
た谷川の水の一部が再び穏やかな小川となっ
て流れ出している。【7】それは、日本の自
然のなかでもっとも人間にやさしい部分とい
ってよいだろう。人びとはここに拠ることに
よって「荒々しい湿 潤」がその反面に持つ
豊穣を享受してきたのであった。
 【8】おじいさんは山に、おばあさんは川
に、という描写は、まさにこのような集落の
情景を表している。【9】ここでは、集落を
とりまく山麓の森林は薪炭材、日用材や農用
材のほか、緑肥、木の実、山菜から家畜飼料
などに至るまで、さまざまな生活資源を引き
出せる宝の山であり、また、そこから流れ出
す川は、良質な生活用水を供給する母なる川
だったのだ。∵
 【0】こうした人間の身近にあって生活の
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さまざまな面で利用されるような森林を、日
本人は里山と呼んできた。この里山の特色 
は、人間によってきわめて集約的に利用され
ながら、しかし、けっして消滅することなく
、長く維持されてきたことにある。(中略)
 しかし里山が長く維持されてきたもう一つ
の理由は、里山が、さきにも述べたような木
材以外の、さまざまな資源採取の場としても
利用され続けてきたからである。しかも、そ
うしたものの採取は、つねに取りつくす「刈
り取り」でなしに、必要な時に必要な分だけ
を求める「摘(つ)み採り」によってきた。
 刈り取りは、弥生時代以来の農耕文化のも
っとも基本的な収穫の方式である。しかし日
本人の里山の利用には、いわば縄文時代以来
の伝統ともいうべき多様な摘(つ)み採り行
為が含まれていたのだった。この国では長い
間、農耕地からの刈り取りと里山からの摘(
つ)み採りによって人びとの生活が成り立っ
てきたのである。
 また、こうした里山への働きかけの底流に
は、自然への畏敬があった。西洋の宗教と日
本の宗教の大きな違いは、前者が排他的な一
神教であるのに対し、後者は多神教であるこ
とにある。そこで、天上に唯一の神が在って
世界を支配するのではなく、地上のあらゆる
ものに神々が宿るとみる心から、山や川まで
が素朴な信仰の対象になっていたのであった
。このことが、西洋における自然の合理的制
御とは異なる、自然への順応を支えてきたと
みてよいだろう。
 その象徴が、集落を囲む里山の一角に必ず
あった、鎮守の森である。鎮守の森は、村人
の信仰の場であると同時に、里山のなかに巧
みに織り込まれた、今でいえば保存林にあた
る聖域でもあった。集落一帯の環境保全の急
所ともいえる場所に鎮守の森が配置されてい
たことが今では知られている。

(石城謙吉()「森はよみがえる」による)