1. 【1】
誰もがよく知っている
お伽噺「
桃太郎」は、「ある日おじいさんは山へ
柴刈りに、おばあさんは川へ
洗濯に行きました」という語り出しから始まっている。【2】この
お伽噺が昔から変わることなく
子供たちをひきつけてきたのは、
波乱に富んだ
冒険談の
幕あけを、かつての日本人にとってもっともありふれた日常生活の一場面に置いた、その
巧みな語り出しにあるのではなかろうか。
2. 【3】年寄りが行けるような身近な所に、
薪採りのできる林があり、また、家のすぐそばには
洗濯のできるきれいな小川が流れているといった、この
素朴な集落の光景は、日本人にとっての一つの原風景といってもよいだろう。【4】東アジアの季節風地帯に属し、気候が
湿潤であるために豊かな森林と川に
恵まれたこの国では、住民の生活は、この森と川の
恩恵のもとに営まれてきたのであった。
3. (中略)
4. 【5】そこで思いあたるのは、この国のもともとの集落形成が、多くの場合、
扇状地から始められてきたことだ。
扇状地は、山地の
渓流が平野に
注ぎ
込む地点で
砂礫が
堆積して作られた、なだらかな地形である。
5. 【6】
背後に山を
背負い前には平野をのぞむこの
扇状地は、水はけのよい土に
恵まれ、またその
末端のあちこちからは、一度
伏流した谷川の水の一部が再び
穏やかな小川となって流れ出している。【7】それは、日本の自然のなかでもっとも人間にやさしい部分といってよいだろう。人びとはここに
拠ることによって「
荒々しい湿潤」がその反面に持つ
豊穣を
享受してきたのであった。
6. 【8】おじいさんは山に、おばあさんは川に、という
描写は、まさにこのような集落の情景を表している。【9】ここでは、集落をとりまく
山麓の森林は
薪炭材、日用材や農用材のほか、緑肥、木の実、山菜から
家畜飼料などに
至るまで、さまざまな生活
資源を引き出せる
宝の山であり、また、そこから流れ出す川は、良質な生活用水を
供給する母なる川だったのだ。∵
7. 【0】こうした人間の身近にあって生活のさまざまな面で利用されるような森林を、日本人は里山と
呼んできた。この里山の特色は、人間によってきわめて集約的に利用されながら、しかし、けっして
消滅することなく、長く
維持されてきたことにある。(中略)
8. しかし里山が長く
維持されてきたもう一つの理由は、里山が、さきにも述べたような木材以外の、さまざまな
資源採取の場としても利用され続けてきたからである。しかも、そうしたものの採取は、つねに取りつくす「
刈り取り」でなしに、必要な時に必要な分だけを求める「
摘み採り」によってきた。
9.
刈り取りは、
弥生時代以来の農耕文化のもっとも基本的な
収穫の方式である。しかし日本人の里山の利用には、いわば
縄文時代以来の伝統ともいうべき多様な
摘み採り
行為が
含まれていたのだった。この国では長い間、農耕地からの
刈り取りと里山からの
摘み採りによって人びとの生活が成り立ってきたのである。
10. また、こうした里山への働きかけの底流には、自然への
畏敬があった。西洋の
宗教と日本の
宗教の大きな
違いは、前者が
排他的な一神教であるのに対し、後者は多神教であることにある。そこで、天上に
唯一の神が在って世界を支配するのではなく、地上のあらゆるものに神々が宿るとみる心から、山や川までが
素朴な
信仰の対象になっていたのであった。このことが、西洋における自然の合理的
制御とは
異なる、自然への順応を支えてきたとみてよいだろう。
11. その
象徴が、集落を囲む里山の一角に必ずあった、
鎮守の森である。
鎮守の森は、村人の
信仰の場であると同時に、里山のなかに
巧みに
織り込まれた、今でいえば
保存林にあたる
聖域でもあった。集落一帯の
環境保全の急所ともいえる場所に
鎮守の森が配置されていたことが今では知られている。
12.(
石城謙吉「森はよみがえる」による)