フジ の山 12 月 4 週
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◎自由な題名

★清書(せいしょ)

○いもがあたえられると、
 いもがあたえられると、サルたちは、目の色をかえてとびつき、いもをつかむと、いそいで海にもっていきます。いもについた砂をあらって食べるためです。いもを両手にもち、あとあしで立って走るサルもいます。そのために、ほかの場所にすむサルは、めったに二本あしでは歩かないのに、この島のサルたちは、立って歩くことが、とてもうまくなりました。
 年よりたちは、海水にいもをつけ、手でごしごしこすって、砂をとります。ところが、母ザルたちは、海水のなかで、かるくゆするだけです。それで、じゅうぶん砂がとれます。しかも、母ザルは、ひとくちかじるたびに、いもを海水につけています。「どうしてだろう。」キョンは、ふしぎでした。でも、海水になかに落ちているかけらを食べてみて、わけがわかりました。おかあさんは、いもに塩味をつけていたのです。
 「ペペッ」キョンは、口のなかのものを、あわててはきだしました。砂浜にまかれたむぎを食べると、砂がいっしょにはいってきて、すごくまずいのです。
「ばかね、こうするんだよ。」とでもいうように、おかあさんは、むぎを砂といっしょにかきあつめ、それを手でつかんで海へもっていき、水のなかになげいれました。むぎについていた砂がすっかりとれ、むぎは、水中で、金のつぶのように光っています。おかあさんは、それをひろって食べました。
「ふうん、いいやりかただな。」と思って、キョンはまわりを見ました。と、みんな、そうしているのです。「へええ、頭がいいんだな、みんな。」キョンは、すっかり感心してしまいました。
「あれ、どうしたんだろう。」キョンは、サンゴを見て、ふしぎに思いました。サンゴは、この群れでいちばん強いメスです。それが、むぎあらいをせず、すわったまま、きょろきょろとまわりを見まわしているのです。
 ノギクが砂を手でかき、むぎを集めはじめました。サンゴは、それをじいっと見ています。ノギクがむぎを集めて手にもち、海になげいれると、サンゴは、すかさず走っていって、ノギクのせなかをつきとばしました。ノギクは「キャッ」と悲鳴をあげてとびのきます。そのすきに、サンゴは、水中になげられたむぎを、よこどりしてしまったのです。ノギクは、しばらくくやしそうに見ていましたが、強いサンゴにさからう勇気はありません。すごすごと、また、むぎを集めました。∵
 サンゴは、よこどりが専門です。「悪いやつだなあ。」と、キョンは、あきれはててしまいました。(中略)
 幸島(こうじま)は、海にかこまれているのに、むかしは、だれも海にはいるものはいませんでした。ある日、海に落ちたピーナツをひろうのに、子ザルが海にはいってから、みんなが海にはいるようになったのです。でも、カミナリをはじめ、年をとったサルたちは、けっして水のなかへはいろうとしません。考えかたが古いので、新しくはじまった行動をとりいれることができないのです。新しい発見や発明をするのは、ほとんど、古い習慣にとらわれない子どもたちです。子どもは、文化のつくり手です。
 潮がひくと、群れは、いっせいに海岸へ行き、貝を食べます。ウノアシやヨメガカサのように、岩にぴったりはりついているものは、歯ではがしとります。まき貝のクボガイもだいすきです。キョンも、クボガイをひろって食べました。おいしくて、ほっぺが落ちそうです。
 むかしは、貝を食べるものは、だれもいませんでした。それが、十数年まえに、はじめて、食べるものがあらわれたのです。だれがさいしょだったかは、わかっていません。でも、これも、きっと好奇心の強い、子どものサルだったのでしょう。貝を食べる行動は、しだいに群れのサルにつたわっていき、いまでは、ほとんどみんなが食べるようになりました。新しい食習慣が、群れにできたのです。
 つまり、貝食いという食物文化が、新しく生まれたのです。
 その後、キョンがおとなになってから、島の漁師がすてた魚を食べるものが出てきました。なかには、つり人がつった魚を食べるものが出てきました。なかには、つり人がつった魚をねだるものもあらわれはじめ、つり人をこまらせています。いずれ、魚食いも、この群れの食物文化になることでしょう。世界じゅうのサルのなかで、生魚を食べる習慣をもった群れは、ほかにありませんから、この行動は、とてもめずらしがられることでしょう。
 それにしても、幸島のサルたちは、いもあらい、むぎあらい、貝食い、魚食いと、つぎつぎと新しい文化を生みだしてきました。新しい行動を身につけたり、問題を解決していくちえをもっているのには、びっくりします。そして、「文化をもっているのは、人間だけではないんだなあ。」と、考えさせられます。
(河合雅雄「ニホンザル」)