長文集  4月2週  ★ふだん私たちは、コインを(感)  ma-04-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】ふだん私たちは、コインを丸いもの
と見なしている。そして、百円玉、十円玉な
どと言う。もちろん、「丸い」とか「玉」と
言っても、それは決してビー玉のような球形
ではなく、つまり、正確には円盤形のことだ
と、誰でも承知している。【2】コインをテ
ーブルなどの上に置いたとき、あるいは床や
地面に落としたとき、見おろすと丸く見える
ということだ。コインが自然に安定しやすい
姿勢で置かれているとき、人間の視線の自然
な角度から見ると、丸い。そこで、私たちは
、「コインは円形だ。」という文を承認す 
る。
 【3】けれども、もちろんコインは、年じ
ゅう円形に見えるわけではない。水平方向か
ら眺めれば、あきらかに、薄い長方形に見え
るはずだ。短い棒状に見えるはずだ。そして
私たちには、そんなことはわかりきっている
ように思われる。【4】しかし、ものはため
しに「コインは長方形だ。」という文を口に
出して言ってみると、なぜか、まことに異様
な発言をしているような気がする。
 私たちは日常において、いつもある視点か
らある光景を見る。【5】視点だけではなく
、人間の認識一般は、ある立場からの有限の
アプローチである。その有限性は、たいてい
、言語表現に反映してあらわれる。ある位置
にあぐらをかいたまま、腕を組んで眺めてい
るだけでは、ものの真相はよく見えない。【
6】自分の認識が――したがって自分のこと
ばが――有限で一面的だと、いつも承知して
いる人は、やがて、実験的に自分の視点を変
え、多様なアプローチをこころみることにな
る。
 文学作品などにおいても、おなじひとつの
事実を、きわめてことなることばで言いあら
わすことがある。【7】視点がちがう。その
ちがいは、おなじひとつのコインに対して「
円形である」および「長方形である」という
、まるで別の見かたが成立した事情と似てい
る。そして、そういった表現は、ヨーロッパ
に古くから伝えられ た、たくみに表現する
技術体系であるレトリックと深い関係にあ 
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る。
 【8】レトリックは、私たちの認識と言語
表現の避けがたい一面性を自覚し、それゆえ
に、もっと別の視点に立てばもっと別の展望
がありうるのではないか……と探求する努力
のことでもある。創造力と想像力のいとなみ
である。
 【9】たとえば、枝からはなれた果実が地
面へ落ちるという事態を目撃したとき、たん
に「りんごが地面へ落ちた」と考えるだけで
は満足しないことである。【0】ことによる
と、「りんごに向かって地面が突進してきた
」とも考えられはしないか、あるいは「りん
ごと地∵面はたがいに引きつけ合った」と考
えるべきではないか……と、さまざまな想像
力を働かせることであろう。レトリックとは
そのように多角的に考え、かつ多角的なこと
ばによって表現してみることである。レトリ
ックは発見的な認識への努力に近い。
 こんにち、価値の多様化ということがしば
しば問題になる。それは、ものの見かたの多
様性という問題でもある。ひとつの事実を眺
め、表現するにあたって、すべての人が、ま
るで統制を受けたかのように、おなじ視点か
らおなじことばで語る、という時代ではある
まい。人と人とが理解し合うことも、容易で
はない。自分の視点と自分のことばづかいだ
けが正しいと信じきっている人は、想像力な
いし創造力を欠いているために、自分とはこ
となる立場から見える景色を思いえがくこと
ができない。肝心なのは、相手の立場、別の
視点に立ってみればどんなぐあいにものが見
えるか、ということを思いえがいてみる能力
である。
 このように考えてみると、レトリック感覚
は、発見的な認識には欠くことができない上
に、人をできるだけよく理解するためにこそ
必要なのだ、ということになる。新しい視野
を獲得するためにも、また、相互理解のため
にも、こんにちほどレトリック感覚の必要と
されるときは、かつてなかったように思う。

(佐藤信夫「レトリックの記号論」による。

(注)アプローチ=接近すること。