長文集  1月2週  ★産業革命以来、機械は(感)  me-01-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 15:54:42
 【1】産業革命以来、機械は人びとの生活
を豊かにする打出の小槌の役目を果たすもの
だと思われて来た。そしてその進歩はイコー
ル人類の幸福につながるとも信じられていた
のである。過去百年の間、わたしたちはなん
の疑いもなくそれを信じて来た。【2】その
信仰がまちがいでなかったことは、人類がつ
いに月に到達することによって証明されたか
のように見えた。まさに科学の勝利を確認す
る成果だったわけである。そうした背景に立
ったとき、なによりも頼りになる確かなより
どころは、工学的なものの考え方であった 
し、またそう信ずるのが当然のなりゆきでも
あった。【3】そして数量的に証明できるも
のにこそ真理があり、それのみが正しいとす
る考え方が、広く行きわたっていったのであ
る。
 だが最近になって、それだけがすべてでは
ないということが、反省されるようになった
。【4】経済の高度成長下にあっては、その
目的を達成する一番有力な武器は、工学的な
発想と工学技術であった。だがいまやその行
きすぎがいろいろな面で見直されようとして
いる。それを補うための最も有効な方法の一
つとしてあげられるのは、生物学的な発想で
あろう。【5】「二〇世紀は機械文明の時代
であったが、二一世紀は生物文明の時代にな
る」というような言葉が使われている。これ
もまたそのことを示唆するとみてよいであろ
う。
 いまここで述べてきたことは、デザインの
分野についてもあてはまることである。【6
】以下にとりあげるのは、やや片寄った対象
ではあるが、わたしの関係するインテリアの
分野を例にしてこの問題を考えてみたい。
 生物学と建築というと、いまのところいか
にも縁遠い存在のように思われる。だが果た
してそうであろうか。
 【7】動物学は、かつてはおもに医学の補
助手段として発達した面があった。一八世紀
以来の比較解剖学や、一九世紀になって発展
した比較生理学は、そうしたところから出発
した学問であった。【8】だがそれらの科学
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は、現在ではもっと広く人間そのものの生き
方や、人間観の構成という分野にさえも、寄
与するようになって来ている。おなじ事情は
植物学についてもいえることである。
 【9】それにもかかわらず、一般には生物
学が建築とかかわり合う範囲は、動物学なら
建築害虫、植物学なら造園の分野くらいでし
かないという単純な受け取り方がある。これ
はいささか近視眼的にすぎるのではないだろ
うか、とわたしは思う。∵
 【0】これまでの建築は芸術性と工学的な
技術に重点がおかれていた。建築学が一つ一
つの独立した建物をつくる技術であった段階
まではそれでよかったであろうが、それが一
方では都市という空間にまで拡大し、他方で
はまた、インテリアというミクロの空間にま
で細分化されて来た現在では、その底流に生
物学的なものの見方、考え方がしっかり根を
下していないと、建築もインテリアも本当に
人間のためのものになりえないということが
、いま反省され始めようとしている。
 考えてみるとわれわれの生活の大部分は、
生物的嗜好でよいわるいを判断していること
のほうが多い。だが従来の工学的立場では、
そういうあいまいさは技術とは認められなか
った。そこでなんとか数量的にあらわそうと
するが、現在の技術の段階ではどうしても割
り切れない部分が残ってしまう。その断層を
埋める手段が、しばしば芸術の名のもとに、
単なるカッコよさとすり換えられるおそれも
あったのである。だが新しい生物学は、そう
したあいまいさに対して、一つのよりどころ
を示す可能性を持つようになった。そして同
時に、数量的に割り切れるものだけが科学の
すべてではない、ということも教えてくれる
ようになって来たのである。
 いま都市空間の例をあげよう。ブラジリア
はあらゆる技術を駆使して二一世紀の夢の都
市としてつくられたはずであった。だが実際
にできあがってみると、かんじんの人間がな
かなか住みつかない。その理由を調べてみる
といわゆる街角がなかったためだという。気
楽に人と人とが接し合う泥臭い片隅がなくて
、街のたたずまいも、周辺の人造湖も、よそ
ゆきの冷たい美しさで整いすぎていた。ある
がままの人間臭さのよどみ、といったものが
欠けていたのが原因だったというのである。
 そうした話題はわれわれの身辺にも少なく
ないようである。新宿副都心ができてから一
年後の反省は、予想していたほどの人が寄り
つかないことだったという。その原因は、人
を引きつけるなにかがまだ足りない。庶民的
な泥臭さ、たとえば赤ちょうちんや縄のれん
というようなものが欠けていたことに気がつ
いたというのである。住まいの環境が美しく
あることは、たしかに望ましいことにちがい
ないが、芸術第一主義では庶民にはとても住
めない。庶民は人間であるよりもさきに、ま
ず生物で、生物は本来もっと泥臭いものだと
いうことが、いつの間にか忘れられていた。
それに気がついたわけである。

(小原二郎の文章による)