長文集  2月4週  ○それにしても、五億冊というのは  me-02-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2022/11/04 14:39:55
 それにしても、五億冊というのはおどろく
べき数字である。世界広しといえども、これ
だけの量の本がつくられ、そして消費されて
いる国は、そうたくさんはない。おそらく、
日本人は、世界中で最もよく本を読む民族な
のである。
 そして、つくられ、消費される本の量以上
に注目すべきことは、このように大量の書物
が日本では家庭の中にまでとけこんでいると
いう事実である。四人家族で年に十二冊、五
年で百冊、とにかくちょっとした「蔵書」が
、たいていの家庭でできあがっているのだ。
 もちろん、西洋の家庭にも多少の書物がな
いわけではない。しかし、わたしの見たかぎ
りでは、ふつうの家庭の場合、書物はたとえ
ば暖炉のうえに数冊の小説がのっている、と
いう程度のものであって、何十冊も何百冊も
が本棚を埋めているのは、かなり知識人の家
庭にかぎられている。
 実際、家庭用の本棚をこんなに多種類とり
そろえて家具売り場で売っている国は、世界
でおそらく日本だけだ。アメリカでもヨーロ
ッパでも、もし家庭用の本棚というものがあ
るとすれば、せいぜ い、サイドボードぐら
いのものであって、数十冊を収容することな
ど、とうていできそうもない。本棚は、よほ
ど特殊な場合は別として、家庭の標準備品で
はないのである。
 ところが、日本の家庭にはたいてい本棚が
ある。規模の大小は別として、ともかく「蔵
書」がある。たとえば書斎はなくても、廊下
のつきあたりとか居間の壁ぎわとかに本棚が
あり、全集ものがならんでいる。それが平均
的な日本の家庭の風景なのだ。書物のない家
庭は日本にはない。
 これと対照的に西洋の家庭で気がつくのは
、やたらに大型のグラフ雑誌などがゆきわた
っているという事実だ。どこの家に行って 
も、アメリカなら、たとえば『ライフ』のよ
うな雑誌が居間の机の上に、必ずといってよ
いほど積み重ねてある。しかし、それは日本
の家庭ではあまり見かけない風景だ。事実、
日本のグラフ雑誌は、だいたいお医者さんや
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床屋さんの待合室の備品であって、家庭の備
品にはなりにくいのである。
 それでは、書物を備品とする日本の家庭と
グラフ雑誌を備品とする西洋の家庭とは、ど
うちがうのだろう。第一にいえることは、グ
ラフ雑誌がその読まれ方、あるいは見られ方
において集団的であるということだ。居間の
ソファに腰をおろして、主婦がグラフ雑誌を
∵開いているとき、夫や子どもは、それに「
参加」することができる。グラフは、一種の
絵本のようなものだから、それをのぞきこん
でいっしょに見ることができるのだ。ちょう
どそれはテレビを見ているようなもので、集
団的なものである。
 だが、書物となると、そういうわけにはゆ
かない。書物はひとりで読むものである。の
ぞきこんでいっしょに読むことは難しいし、
第一、そんなことをされたら落ち着かない。
たとえすぐそばにだれかがいても、読書とい
うのは孤独な個人の行為なのである。
 だから、日本の茶の間では、たとえば、主
人が経営学の本を読 み、主婦は文学全集を
、子どもはマンガを、それぞれに黙って読ん
でいる、といったような風景が出現する。一
冊のグラフ雑誌をかこんで、家庭の全員が集
団的になにかを見るのではなく、家族のそれ
ぞれが、それぞれの本を通じて、それぞれの
世界に没入している――それが日本の家庭に
おける読書風景なのだ。
 いささか飛躍するようだが、これはことに
よると、日本の住居に個室がないことと関係
しているのかもしれない。どこにいても、家
族と顔をつきあわせていなければならないの
だから、せめて本でも読んで、自分だけの精
神の個室をつくりたい、という欲求が生まれ
るのである。ひとりひとりが個室をもってい
る西洋人が、居間のグラフ雑誌をかこんで集
団的な世界をたのしむのに対して、もともと
がべったりと集団的な日本の家庭では、書物
によって、個室的な世界を求めようとするの
だ、といってもよい。いつだったか、三畳ひ
と間に六人というひどい住宅環境を紹介する
テレビ番組を見ていたとき、この六人の家族
が、みな肩を寄せあって、それぞれに本を読
んでいた情景にわたしは打たれたことがある

 現実に個室が十分でないとき、人は、心理
的な個室を、読書という方法で手に入れるこ
とができるのである。

(加藤秀俊「暮しの思想」)