長文 2.3週
1. 【1】動物たちの「ことば」と私たち人間の「ことば」との間には、たいせつな違うちが 点がいくつかあります。たとえば、アリやミツバチは、どのようにして「ことば」を身につけるのでしょうか。【2】お母さんのアリが子どものアリに向かって、えさを見つけたときにはこうするのですよ、と教えているというのは、考えてみただけでもほんとうにほほえましい光景です。でも、じっさいには、アリのお母さんはそんなことをする必要はないのです。【3】アリであれば、えさを見つけると、足の先からにおいのするものがしぜんに出てくるというふうに、生まれつき仕組まれているのです。ミツバチの場合も、お母さんが子どもの手足をとって、ダンスの仕方を教えてやるというわけではありません。
2. 【4】人間の「ことば」は、こういうふうにはいきません。私たちが日ごろ使っている日本語ですと、まるで生まれつき身についていたように思えるかもしれませんが、たとえば、どういう場合に「アニ」といって「オトウト」とはいわないのか、などということは、【5】みんな私たち自身が他の人から教えられたり、あるいは、他の人が使っているのを見たり聞いたりして学び知ったのか、どちらかです。ひとりでに使えるようになったというわけではありません。このことは、外国語を身につける場合を考えてみれば、もっとはっきりするでしょう。
3. 【6】動物たちは「ことば」の勉強をしなくてすむからいいな、などと思ってはいけません。動物たちは、たしかに人間のように、努力して「ことば」を学ばなければならないというようなことはありません。しかし、その代わり、動物たちは、いつも、そしていつまでたっても、同じことしか伝えることができないのです。【7】それからもうひとつ、動物の「ことば」は、いま、ここにあることがらを伝えることはできるでしょうが、「いま」と「ここ」を越えこ たもっと広い世界のことがらを伝えることはできないでしょう。
4. 【8】動物の「ことば」の仕組みは生まれつき身に備わっていますが、その代わり、動物たちには、もともと生まれつき定められたことしか、表したり、伝えたりすることができないのです。動物の「ことば」は、動物たちをせまい世界の中に閉じこめています。
5. 【9】私たち人間の世界は、このように閉じたものではありません。人間の「ことば」は「ここ」「いま」のことがらをはるかに越えこ て、過去のことも、未来のことも、そしてじっさいにはありえない想像上のことであっても、表し、伝えることができます。【0】人間は「ことば」を学ばなければならない代わりに学べば学ぶほど、新しい言いまわしを身につければつけるほど、世界が広くなっていきま∵す。そして、さらにすすんで、もし新しい外国語を身につけたとしたら、私たちの世界はどれほど広くなることでしょうか。私たちのほうでその気になれば、人間の「ことば」は私たちをいくらでも広い世界へと連れていってくれます。
6. 私たちがなんの気なしに使っている「ことば」――その「ことば」は、私たちにとってほんとうに深い深いかかわりをもっているのです。

7.(池上嘉彦よしひこ「ふしぎなことば ことばのふしぎ」による)