長文集  10月4週  ○潔  mu-10-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/04 14:55:32
「潔」と進がいった。「われのところに新し
い本が東京から送って来たと違うか」 
「ああ」ぼくはいった。「この間、小包で送
って来たんや」 
「貸してくれんか」と進はやさしくいった。
 
「いいよ」 
とぼくはほとんどいそいそとしていった。進
の意を迎えることのできる材料が意外にも身
近にあったのがうれしかった。 
「今日持って行こうか」 
「おれがわれんちに行くわい」と進はいった
。 
 その日進は約束した通りやって来た。ぼく
はかれを自分の部屋に通して、伯母にたのん
でそこに作ってもらってあったこたつに入る
ように勧めた。
 進はぼくの見せた本のどれにもこれにも目
をかがやかした。 
「東京にはもっとあるんやろう」 
「たのむから送ってもろうてくれんか」 
「おれ今まで家の手伝いで読めんなんだろう
、冬に入ってようやく読む時間ができたんや
」 
「四月に入れば、中学に入るための勉強せん
ならんから、読めんようになるしな」 
と進は興奮したように次から次へとしゃべっ
た。 
 東京に残っている本を小分けにして小包で
送って欲しいとその日のうちに手紙でたのん
でみると進に約束すると、進はようやく興奮
を鎮(しず)め安心した風を見せた。 
 ――その日進は高垣眸の「竜神丸」と南洋
一郎の「吼(ほ)える密林」とを借りて行っ
た。 
 そして進との交友は再び復活し、冬休みの
時と同じくらいの頻度でおたがいの家を往(
ゆ)き来した。家での進は学校での進と別人
の観があった。進が学校でも、家で会う時と
同じように振る舞ってくれたら、ぼくは進を
本当に親友と見なし大切に思ったに違いな 
い。しかしぼくは家を出て家に帰るまでの進
の専横な振る舞いを決して忘れるわけには行
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かなかった。進がそんなぼくの気持ちに感づ
いていたかどうかは分からなかった。しかし
とにかくぼくたちは二人だけでいる限り、気
が合い、話題も尽きなかった。話は戦争の見
込みや、∵勉強の計画、自分たちの将来など
に及んだ。 
 たとえば将来の夢について、「戦争が長び
くようやったら」と進はいうのだった。 
「おれァ、海兵を受けることにやっぱり決め
たわ」 
 もし終わったらどうするかというぼくの問
いに対してかれは答えた。 
「高等学校へ入って帝大へ行き高文を受けて
、官吏になるわ、われの家の人みたいにな」
 
 かれの頭に、成功した郷里の先輩としてぼ
くの父が描かれていたことに間違いなかった
。そしてかれがおそれていることは戦争が早
く終わって、ぼくが東京に早く引き揚げてし
まい、一緒に受験勉強もできなくなってしま
うことらしかった。その証拠に、かれは何度
となく、 
「戦争が終わっても六年はここで終えて行く
のやろ、それから東京の中学を受ければいい
にか」とぼくに確かめたからである。もちろ
んぼくはそうするつもりだと嘘をついた。 
 ぼくらはよく一緒に風呂へも行った。する
と風呂で一緒になる大人たちは、浜見一番の
あんぼ(しっかり者の長男)と寛平(かんぺ
い)さの東京の子がすっかり意気投合し親友
になったことを祝福してくれた。するとぼく
の心は自分が間違って見られていることに対
する不満と、そんな風に誤解されてもしよう
がないように振る舞っている自分に対する嫌
忌の念にひそかに包まれた。ぼくはいつも心
の奥底で、自己に忠実でありたかったから、
家に帰ってからの進との往き来を今のような
形で続けるのを拒否すべきか、もしくは進の
方で学校での態度を改めるべきだと思ってい
た。そのことが二つとも実現しない限り、自
分に忠実でなく、虚偽の生活を行っているの
だと思っていたのだった。しかし現実のぼく
は、内心の願いとはまったく逆に、昇の貢物
の一件以来、進の勢力の偉大さを思い知らさ
れ、もはや昇と協力して級を改革する夢にふ
けることもできなくなり、努めて進の意にそ
うように振る舞っているのだった――