1.「潔」と進がいった。「われのところに新しい本が東京から送って来たと
違うか」
2.「ああ」ぼくはいった。「この間、小包で送って来たんや」
3.「貸してくれんか」と進はやさしくいった。
4.「いいよ」
5.とぼくはほとんどいそいそとしていった。進の意を
迎えることのできる材料が意外にも身近にあったのがうれしかった。
6.「今日持って行こうか」
7.「おれがわれんちに行くわい」と進はいった。
8. その日進は約束した通りやって来た。ぼくはかれを自分の部屋に通して、
伯母にたのんでそこに作ってもらってあったこたつに入るように
勧めた。
9. 進はぼくの見せた本のどれにもこれにも目をかがやかした。
10.「東京にはもっとあるんやろう」
11.「たのむから送ってもろうてくれんか」
12.「おれ今まで家の手伝いで読めんなんだろう、冬に入ってようやく読む時間ができたんや」
13.「四月に入れば、中学に入るための勉強せんならんから、読めんようになるしな」
14.と進は興奮したように次から次へとしゃべった。
15. 東京に残っている本を小分けにして小包で送って欲しいとその日のうちに手紙でたのんでみると進に約束すると、進はようやく興奮を
鎮め安心した風を見せた。
16. ――その日進は
高垣眸の「
竜神丸」と南
洋一郎の「
吼える密林」とを借りて行った。
17. そして進との交友は再び復活し、冬休みの時と同じくらいの
頻度でおたがいの家を
往き来した。家での進は学校での進と別人の観があった。進が学校でも、家で会う時と同じように
振る舞ってくれたら、ぼくは進を本当に親友と見なし大切に思ったに
違いない。しかしぼくは家を出て家に帰るまでの進の専横な
振る舞いを決して忘れるわけには行かなかった。進がそんなぼくの気持ちに感づいていたかどうかは分からなかった。しかしとにかくぼくたちは二人だけでいる限り、気が合い、話題も
尽きなかった。話は戦争の
見込みや、∵勉強の計画、自分たちの将来などに
及んだ。
18. たとえば将来の夢について、「戦争が長びくようやったら」と進はいうのだった。
19.「おれァ、海兵を受けることにやっぱり決めたわ」
20. もし終わったらどうするかというぼくの問いに対してかれは答えた。
21.「高等学校へ入って
帝大へ行き高文を受けて、
官吏になるわ、われの家の人みたいにな」
22. かれの頭に、成功した郷里の
先輩としてぼくの父が
描かれていたことに
間違いなかった。そしてかれがおそれていることは戦争が早く終わって、ぼくが東京に早く
引き揚げてしまい、
一緒に受験勉強もできなくなってしまうことらしかった。その
証拠に、かれは何度となく、
23.「戦争が終わっても六年はここで終えて行くのやろ、それから東京の中学を受ければいいにか」とぼくに確かめたからである。もちろんぼくはそうするつもりだと
嘘をついた。
24. ぼくらはよく
一緒に
風呂へも行った。すると
風呂で
一緒になる大人たちは、
浜見一番のあんぼ(しっかり者の長男)と
寛平さの東京の子がすっかり意気投合し親友になったことを祝福してくれた。するとぼくの心は自分が
間違って見られていることに対する不満と、そんな風に誤解されてもしようがないように
振る舞っている自分に対する
嫌忌の念にひそかに包まれた。ぼくはいつも心の
奥底で、自己に忠実でありたかったから、家に帰ってからの進との往き来を今のような形で続けるのを
拒否すべきか、もしくは進の方で学校での態度を改めるべきだと思っていた。そのことが二つとも実現しない限り、自分に忠実でなく、
虚偽の生活を行っているのだと思っていたのだった。しかし現実のぼくは、内心の願いとはまったく逆に、
昇の
貢物の一件以来、進の勢力の
偉大さを思い知らされ、もはや
昇と協力して級を改革する夢にふけることもできなくなり、努めて進の意にそうように
振る舞っているのだった――