長文集  11月2週  ★私たちが日常(感)  mu-11-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/10 10:22:40
 【1】私たちが日常、ことばを使っている
ときは、普通表される内容がまずあって、そ
れを持って運ぶ手段としてことばがあるとい
うふうに考えています。【2】私たちの関心
はもっぱらこの内容のほうにあるわけで、そ
れを運ぶ仲介役としてのことばが入っていて
も、ことばそのものにはあまり注意を払いま
せん。ことばというのはあるようでないよう
なもの、存在しながら、存在していないよう
な、何か透明になってしまっているような感
じがするのではないでしょうか。
 【3】ところが、「かっぱ」のような詩を
読みますと、俄然ことばが、私たちの前にふ
さがって、それに私たちが頭をぶつけている
――そんな印象を持つのではないかと思いま
す。【4】ことばがそこでは不透明になって
、私たちの意識が素通りすることを許してく
れないわけです。日常あまり意識してないこ
とばそのものの存在ということを、否応なし
に意識させられてしまいます。【5】こうい
う状況は、詩によく出てきます。詩のことば
は日常のことばと同じではありません。その
ため私たちはそこで一度立ち止まって、考え
なくてはいけないということが起こってきま
す。【6】つまりことばが不透明なものにな
ってしまい、私たちがことばというものを改
めて認識することになるのです。
 そういう意味でもう一度「かっぱ」の詩に
戻ってみましょう。【7】使われている単語
はそんなに多くも難しくもありません。「か
っぱ」が出て、それから「かっぱらった」が
出てきます。【8】たとえばこの「かっぱ」
と「かっぱらった」ということばは、日常の
ことばとして考えている場合は、私たちはこ
の両方がよく似た形をしたことばであるとい
う意識を持つようなことはないでしょう。【
9】ところが、ことばが不透明になって私た
ちの前に立ち現れますと、「かっぱ」と「か
っぱらった」は、形が非常によく似ていると
いう意識を否応なしに持たされます。【0】
そうしますと、ことばについての非常に素朴
な感覚として、語形が似ていると語の意味も
似ているのではないかというふうな発想が働
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きはじめます。つま り、「かっぱ」と「か
っぱらった」とでは「かっぱ」という所が共
通である。そうすると意味のほうでも関係が
あるのではないか。たとえば、「かっぱ」と
いうのはいたずら好きな生物だから、「かっ
ぱらう」という行為も、何かもともと「かっ
ぱ」のするようなことをいうのではなかった
のか。もちろん語源的にはそういうことはな
いでしょうけれ∵ども、そんな印象をきっと
持つでしょう。日常のことば遣いですと、「
かっぱ」と「かっぱらう」は私たちの頭の中
の全然違う所にしまい込まれていて、相互に
連想するなどということもないでしょう。し
かし二つ並べられてみますと、語形が互いに
よく似ている、そうすると語の意味も似てい
るのではないかと考えたくなるわけです。私
の場合ですと、かっぱの口の先の逆みたいな
形をしている――そんな類似点を連想します
。あるいはまた、かっぱが鳴くとするとらっ
ぱのような音を出すのではないか――そんな
ことを思ったりもします。(中略)
 私たちの日常の生活では、ことばのきまり
というものが習慣的に決まっています。そし
て、私たちはいちおうきまりの範囲内でこと
ばを使うことで満足していて、それを超える
というようなことは比較的まれです。前に言
いました二つのことばの使いかた――経験が
先行してそれをことばで表すことと、ことば
が新しい経験を生み出すこと――これは「伝
達」と「創造」ということでとらえることも
できますし、あるいはことばの「実用的」な
働きと、ことばの「美的」な働きと言われる
こともあります。この後者のほうは詩のこと
ばに典型的に見られるということで、ことば
の「詩的」な働きという言い方をすることも
あります。
 私たちのことばについての認識は、ふつう
その実用的な働きのほうに大変かたよってい
て、もう一つの詩的な働きのほうは忘れられ
がちです。それは、この詩的な働きがよく現
れるのは、詩のことばであるとか、子どもの
ことばとかどちらかといいますと、ことばの
「中心」でない部分だからでしょう。そうい
うことばの詩的な働きというものが日常のこ
とばにおいてよりも重要な役割を果たすとい
う意味で、子どものことばと詩のことばとは
似ているということができます。(中略)
 普通の人が、日常的な経験を日常的なこと
ばで表現して満足しているのに対して、「詩
人」と呼ばれるような人たちは、日常的な経
験を超える経験をもつでしょう。そして、そ
れを表そうとすると、もはや日常のことばの
使い方では不十分なはずです。そこで、どう
しても、日常のことばの枠を超えるというこ
とが必要になってくるのです。
 参考:「かっぱ」の詩(谷川俊太郎作) 
かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱら
った/とってちってた/かっぱなっぱかった
/かっぱなっぱいっぱかった/かってきって
くった