長文集  11月3週  ★「ああすれば、こうなる」(感)  mu-11-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】「ああすれば、こうなる」型の社会
では、さらに違った側面が現れる。その一つ
は、時間の変質である。頭の中では、時間は
過去、現在、未来に三分割される。ところが
、時間直線を描けばわかるように、「現在」
とはその時間直線の上の一点に過ぎない。【
2】それはただちに未来から過去へと繰り込
まれる、時の瞬間に過ぎないのである。もち
ろん常識はそうはいわない。【3】なぜな 
ら、われわれは現在とか今とかいう表現をた
えず用い、しかもその「現在」という時は、
実質的な時間幅を持つことが当然の前提だか
らである。それなら、そのように日常的に使
われる「ただいま現 在」の意味とはなにか
。【4】それはすなわち、「予定された未 
来」を指すのである。「ああすれば、こうな
る」で囲い込まれた時だ、と表現してもいい
。具体的にいうなら、手帳に書かれた予定で
ある。【5】来月の三日は、会社の創立記念
日だから、これこれこういうことをする。そ
れが決まれば、その日までに「どのような準
備をするか」は決まってしまう。そのために
は、今日、知り合いの店に電話をしておかな
ければならない。【6】当日には自分は会社
を休むわけにはいかない。したがって地方へ
の出張は、その日を避けることになる。こう
して、来月の三日に予定があるということ 
は、現在をすでに強く拘束する。そうした拘
束された時、それをわれわれは現在と見なす
のである。
 【7】それなら未来とはなにか。本来の未
来とは、なにが起こるかわからない「ああす
れば、こうなる」で拘束されていない時間で
ある。それなのに子どもが育ち始めると、母
親はこの子をどの幼稚園に入れて、と考え出
す。【8】その幼稚園が終わったら、どの小
学校に、そのつぎにはどの中学から高校へ、
どの大学のどの学部 へ、と考える。こうし
て「漠然たる」未来は、現代社会ではただち
に拘束され、急速に失われていく。【9】大
人はそれでちっとも困らない。自分ではそう
思っている。ただし、自分がどの段階でどれ
だけ年老い、どれだけの体力を失い、感覚が
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
どれだけ鈍るか、それは手帳に書いてない。
【0】さらにいつ、どういう病にかかり、そ
の結果、いつ死ぬことになるか、やはり手帳
には書いてないのである。考えてみれば、そ
の手帳がすなわち意識である。意識という手
帳は、そこに書かれていない予定を無視する
。いかに無視しよう と、しかし、来るべき
ものはかならず来る。意識はそれをできるだ
け「意識しな∵い」ために、意識でないもの
、具体的には自然を徹底的に排除する。人の
一生でいうなら、生老病死を隠してしまう。
人はいまでは病院で生まれ、いつの間にか老
いて組織を「定年」となり、あるいは施設に
入り、やがて病院で死ぬ。日常の世界では、
そういうものは「見ない」ことになる。こう
して世界はますます「ああすれば、こうなる
」ものであるように「見える」ようになる。
その世界では、意識がすべてとなり、時間は
すべて現在化するのである。
 これをみごとな物語に描いたものが、ミヒ
ャエル・エンデの『モモ』であることは、も
はやお気づきであろう。『モモ』の主人公が
自称百歳のモモという「少女」であることは
、たいへん象徴的である。モモは「時間泥棒
」と闘って、町の人々の幸福を取り戻そうと
する。現代の東京でも、灰色の服を着て黒い
鞄をもった時間泥棒たちなら、いくらでも見
ることができる。かれらの最大の被害者たち
は、「漠然とした、定まらない未来」だけを
財産としている子どもたちである。子どもた
ちには地位はなく、力はなく、知識はなく、
お金も名誉もない。かれらが持つものは、唯
一「真の未来」だけである。現代社会はそれ
を惜しみなく奪う。
 政治家が国家百年を思わなくなった。医師
は、もっぱら患者の検査に没頭する。それは
すべてが現在化したからである。百年を思う
よりも、ただいま現在の状況を徹底的に把握
し、それに対して有効な手を打たなければな
らない。「ああすれば、こうなる」ようにし
なければならないのである。医師も同じであ
る。患者は、「先生、どうしたらいいですか
」と尋ねる。だから医師はその患者の「現在
の」状態を徹底的に把握しようとする。それ
を把握すれば、「ああすれば、こうなる」は
ずだということが、わかるはずだと思うから
である。そうした状況を私が批判すると、若
者は、こう質問する。「先生、じゃあどうし
たらいいんですか」。その答があるというこ
とは、つまり「ああすれば、こうなる」が成
立するということである。若者たちが、それ
を常識としていることが、こうした質問から
よくわかるのである。
 (養老孟司『考えるヒト』による)