長文集  11月4週  ○人間が自由で平等だというようなことが  mu-11-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/11 13:44:56
 人間が自由で平等だというようなことが、
原則として認められている社会、これが、近
代だといってよいでしょう。 
 それでは、そういうものが果たして我々日
本人に固有のものか、我々自身の生活の中か
ら出てきたものかというと、これはそうでは
ないということが、すぐお分かりになると思
います。近代的なものは、生活の観念にしろ
、社会生活の形にしろ、みな西洋から来てい
ます。西洋人にとって近代は、つまり自分の
中から出たものです。自分たちのものの考え
方、あるいは感じ方の必然の結果です。とこ
ろが、我々にとっては、それはよそから受け
入れたものだ。そこのところが、同じ近代で
も甚だ違うのです。 (中略)
 森鴎外は、晩年に徳川時代の漢方医で明治
時代にはほとんど忘れられてしまって、そし
てもし鴎外が書き残さなかったら、我々は全
然知らないだろうと思うような人たちの伝記
を非常な熱情をこめて書いています。(中略

 恐らく、日本人は西洋の影響を受けてから
悪くなった、今の文明のあり方を見ると、日
本人に将来救いがあるかどうか分からない。
ただ、そういう西洋の影響を受けない前の日
本人のある人々の生き方に、自分は非常な尊
敬を感じて、そういう人たちの生き方に及ば
ずながら自分も従ってゆこうという気持ちに
、やっと自分の救いを見いだすというのが鴎
外の考えであったようです。鴎外のように、
西洋もよく知っており、自然科学の知識もあ
り、最も日本の近代化ということを評価して
もいいような人が、非常に否定的であった、
これは我々が記憶しておいてよいことだと思
います。 
 同じようなことが漱石についても言えます
。漱石は、鴎外よりよほどおしゃべりですか
ら、自分の思想をはっきり述べているのです
が、その中で有名なのは、この人が和歌山県
でやった「現代日本の開化」という講演でし
ょう。これは、漱石の思想の核心に触れてい
る講演です。読んでもなかなかおもしろい。
洒脱で、ユーモアにも富んでいて、時々、聴
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衆をうまく笑わせたりしています。しかし、
内容は近代日本の文明について非常に悲観的
な見方をしています。漱石は、そこでまず文
明というものあるいは文化(開化という言葉
を使っていますが)は、内発的な開化と、外
発的な開化と二つあ る。外発的というのは
内部から出るものでなくて、外からの刺激に
よって文化が大きく変わるということです。
内発的とは、∵ちょうと時候が暖かくなって
花が開くとか、雲が大空を飛んでいくとか、
これは漱石の比喩なのですが、そんなふうに
、内から自然の力に押されて何かができあが
るということです。
 ところで、日本の開化はどうか。漱石の見
るところでは、徳川時代の終わりまではだい
たい内発的に進んできた、と言う。これには
だいぶ問題があるでしょう。なぜなら、日本
は古代から外来文化を輸入し続けてきた、と
いう事実があるわけです。しかし結局のとこ
ろ、私は漱石の考えが正しいのではないかと
思います。 
 日本は島国で荒い海に囲まれている。外国
が現実の力になって襲ってくるということは
何百年、何千年に一度くらいの例外はある 
が、ふだんは適当にその海が、ちょうどフィ
ルターのような役割を果たしてくれる。した
がって、外国は敵対する力としてでなく、い
つも文化として入ってくる。仏教も儒教もそ
うでした。外国人というのは、いつも珍しい
お客さんであって、歓迎してかえせばよい。
気に入らない時は殺してしまえばよい。キリ
シタンが入ってきた時はそれをやった。江戸
時代ごろまでの外国との接触は、いつも自然
によって守られていたのです。 
 ところが十九世紀になって、蒸気船ができ
る。海という自然の力を征服してしまうよう
な交通機関が発明され、それによって外国は
初めて現実の力、侵略的な力として我々の周
りに迫ってきた。そうした力に動かされて、
明治維新が達成されたわけです。今から見れ
ば、ずいぶんのんきなものであったにしろ、
当時の日本としては大事件でした。
 明治維新は、つまり日本の近代化の出発点
は、単に優れた文化に接してこれを学ぶとい
うような穏やかなものでは決してなかった。
それを学ばなければ、こっちがやられてしま
う、国としての独立を維持してゆくことがで
きない、という事情があったのです。こっち
が生活あるいは社会組織を西洋風に改めなけ
れば、逆に、西洋人の力によって、こっちが
いやおうなく西洋風にされてしまう、そうい
う危機として、外国が現実の力を振るったわ
けです。ですから、日本が初めて外発的な力
に動かされた、と漱石が言うのも、決して誇
張ではなかったのです。(中村光夫の文章よ
り)