長文集  12月3週  ★方言で「つるべ」(感)  mu-12-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/10 10:35:42
 【1】方言で「つるべ」のことをツブレ、
「ちゃがま」のことをチャマガ、「つごもり
」をツモゴリと言う所がある。【2】このよ
うな現象は幼児の言語に見られるもので、恐
らく起こりは幼児時代の言語に始まったもの
であろうが、ある地方でこのような誤りが定
着したのも、本来「釣る瓶(べ)」「茶釜」
「月隠(つごもり)」であるという言語意識
が薄れてしまったからであろう。【3】語源
がわからなくなると、もとの語の発音や意味
に変化を来すことがある。漢語の場合には、
それに使われた漢字が忘れられると、意味用
法の転ずることが少なくない。【4】ことに
話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしな
いから、意味を支持するものがないためにと
かく変化しがちである。
 【5】たとえば「馳走」「遠慮」「結構」
「世話」等の漢語は話し言葉で日常語として
使われているうちに、原義とかなり違った意
味用法になっていった。
 「馳走」は、もとの漢字から言えば、はし
るの意だが、今ではおいしい料理を意味する
。【6】おいしい料理はいろいろ手数や労力
がかかるから、「御馳走」と相手に礼を言っ
たところから、現在のような意味に転じたの
である。「遠慮」は、今はひかえ目にする、
さしひかえる意に使う。【7】しかし、もと
の意は、「遠きおもんぱかり」である。遠き
おもんぱかりによって、積極的には行動しな
いことが起こる。そのことから、現在のよう
な意味に転じたものであろう。
 【8】「結構」は、もと建物や文章の配置
構成を意味する語だ が、「立派な結構」「
見事な結構」というようなほめ言葉から転じ
て、立派だ、見事だという意になったのであ
る。【9】「好天」のことを「天気」と言う
のも、「よい天気」と使っているうちに「よ
い」が省かれて「天気」だけでも好天を意味
するようになったのと似ている。
 【0】「もう結構です」の「結構」は、立
派だ、見事だの意からさらに転じたものであ
ろうが、このように次々と意味が転じて行く
のは、話し言葉では「結構」という漢字の字
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面が思い起こされることがないからであろう

 「世話」も、世間話、世のうわさの意から
、今の「世話になる」「世話をかける」「世
話する」の用法が生まれた。(中略)
 「週刊朝日」に、電車の「つり皮」は現在
は皮ではなくてビニールを使っているから、
これを「つり皮」と称するのは不当で、「つ
りビニール」と言うべきであろう、「枕木」
は、近年は木ではなく∵てコンクリートを材
料としているから、「枕コンクリート」と言
うべきではないかという考えが掲載されてい
た。
 このような考え方をすると、言葉にはいく
らでもおかしなものが出て来る。「駅」や「
駐車」も、馬偏がついているのはおかしい。
昔のように馬や馬車が走っているのでなく、
「駅」は鉄道のステーションであり、「駐車
禁止」などの「駐車」は自動車をとめておく
ことだからである。「赤い白墨」「黄色い白
墨」もおかしな表現と言えるであろう。
 言葉の正しさを論ずる時にとかく語源が引
き合いに出されるが、語源の通りでは社会状
勢の変化のために合わなくなるものが多い。
社会は複雑になり、人の心理も単純ではなく
なるから、語源の通りであることが正しいと
いうことになると、今の現実の社会には合わ
ないことになる。
 そうかと言って、一々言葉を言いかえるの
も大変なことだろう。「つり皮」が当たらな
いからと言って「つりビニール」にしたとこ
ろで、もし今後ビニールが他の材料に変われ
ば、また名称を変えなければならないだろう

 「枕木」にしても同様である。現在、まだ
木のものもあるから、「枕木」と「枕コンク
リート」との二つを保存しなければならない
し、将来材料が変われば、また「枕○○」と
いう語を使わなければなるまい。ただ、こう
いう心理から、在来語を捨てて、外来語を使
ったり、新しい漢語を作って使ったりするこ
とも事実である。「洗濯」は本来水を使うこ
とである。近年のように揮発油を使ったりし
て清浄にするのを、「洗濯」で表現したので
は適当でないということで、「クリーニング
」が行われて来た。「床屋」も「理髪店」に
なった。
 結局、言葉は各人の言語意識によって動い
て行くようである。そして、その言語意識を
作り上げるのは、主としてその人の経験、教
養、学校で受けた教育である。言葉の正しさ
の規範意識もそこから生まれ出るようだ。 
(岩淵悦太郎の文による)