長文集  10月1週  ○明治十年(一八七七)に(感)  mu2-10-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/09/13 11:16:21
 【1】明治十年(一八七七)に英語のソサ
イエティが社会という言葉に翻訳され、明治
十七年にインディヴィデュアルが個人という
言葉に訳された。しかし訳語が出来ても社会
の内容も個人の内容も現在にいたるまで全く
実質をもたなかった。【2】西欧では個人と
いう言葉が生まれてから九世紀もの闘争を経
てようやく個人は実質的な権利を手に入れた
のである。日本で個人と社会の訳語が出来て
もその内容は全く異なったものだった。なぜ
なら日本では古代からこの世を「世間」と見
なす考え方が支配してきたからである。【3
】では、この「世間」はどのような人間関係
をもっていたのだろうか。そこにはまず贈与
・互酬の関係が貫かれていた。「世間」の中
には自分が行った行為に対して相手から何ら
かの返礼があることが期待されており、その
期待は事実上義務化している。【4】例えば
お中元やお歳暮、結婚の祝いや香典などであ
る。
 重要なのはその際の人間は人格としてそれ
らのやりとりをしているのではないという点
である。贈与・互酬関係における人間とはそ
の人が置かれている場を示している存在であ
って、人格ではないのである。【5】こうし
た互酬関係と時間意識によって日本の世間は
ヨーロッパのような公共的な関係にはならず
、私的な関係が常にまとわりついて世間を疑
似公共性の世界としているのである。
 【6】贈与の場合それは受け手の置かれて
いる地位に送られるのであって、その地位か
ら離れれば贈り物がこなくなっても仕方がな
いのである。贈り物の価値に変動がある場合
も受け手の地位に対する送り手の評価が変動
している場合なのであり、あくまでも人格で
はなく、場の変化に過ぎないのである。【7
】しかし「世間」における贈与は現世を越え
ている場合もあり、あの世へ行った人に対す
る贈与も行われている。
 日本における人間関係を考える場合、この
贈与・互酬慣行を無視することは出来ない。
【8】何らかの手助けをして貰ったときなど
にもお礼としてものなどを送ることがある。
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その場合にも返礼はしなければならないが、
場合によっては礼状で済ますことも出来る。
日本で人間関係を良く保ちたいと思えば、こ
の慣行をうまく利用することが必要となる。
【9】単に場に対する贈り物であっても、自
分の人格∵に貰ったものとして丁重に礼状を
書き、場合によっては返礼をするのである。
これは贈与・互酬慣行を逆手にとった手であ
って、それによっては相手の敬意を受ける場
合もある。
 【0】次に時間意識の問題がある。「世間
」の中には共通の時間意識が流れている。日
本人の挨拶に「今後ともよろしくお願いしま
す」という挨拶があるが、これは日本特有の
ものであって、欧米にはそれに当たる挨拶は
ない。なぜなら日本人は「世間」という共通
の時間の中で生きているので、初対面の人で
も何時かまた会う機会があると思っている。
しかし欧米の人は一人一人の時間を生きてい
るので、そのような共通の時間意識はない。
 これと関連して日本では「先日はありがと
うございました」という挨拶がしばしば交わ
される。しかし同じ挨拶は欧米にはないので
ある。欧米ではそのときのお礼はそのときに
するものであって、遡ってお礼をいう習慣は
ない。日本の「今後ともよろしく」という挨
拶がお礼の先払いであるとすると、「先日は
ありがとう」という挨拶は過去の行為に対す
るお礼の後払(あとばら)いということにな
る。
 「世間」は広い意味で日本人の公共性の役
割を果たしてきたが、西欧のように市民を主
体とする公共性ではなく、人格ではなく、そ
れぞれの場をもっている個人の集合体として
全体を維持するためのものである。公共性と
いう言葉は公として日本では大きな家という
意味であり、最終的には天皇に帰着する性格
をもっている。そこに西欧との大きな違いが
ある。現在でも公共性という場合、官を意味
する場合が多い。「世間」は市民の公共性と
はなっていないのである。

(阿部謹也『近代化と世間』による)