長文集  10月2週  ★文明人は時計によって(感)  mu2-10-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】文明人は時計によって時間を測る。
それによって、一日は二十四時間に正確に区
切られ、共通の時間が設定される。これは多
くの人間が社会をつくっていくためには、非
常に大切なことであ る。【2】これによっ
て、われわれは友人と待ち合わせもできる 
し、学校も会社も、同一時刻に一斉に始める
こともできる。時計の発明によって、人類は
どれほど時間が節約できるようになったかわ
からない、本当に便利なことだ。
 【3】ところで幼児たちは、大人のもつ時
計によって区切られた時間とは異なる時間を
生きているようだ。「きのう」とか「あし 
た」とかの意味も、はっきりとしていない子
もある。【4】「ま た、あしたにしようね
」などと言っている子も、それは厳密にあし
たということをさすのではなく、「近い将来
」を意味していることも多い。
 【5】あるいは、何かに熱中していたが、
何かで中断しなければならなくなったとき、
「また、あしたにしよう」と言うのは、この
ことを言うことによって、中断することを自
らに納得させようとする意味あいで言ってい
る子もある。【6】この場合の「あした」 
は、二十四時間の経過後に存在する時期など
ではなく、断念しなければならないという気
持ちと、何か希望を残しておきたいような気
持ちの交錯した現在の状況をのべている表現
なのである。
 【7】道くさをしたために叱られる幼児た
ちが、悪かったという気持ちをあらわしなが
ら、何とも納得のいきかねる表情をしている
ことがよくある。彼らも叱られながら、「お
くれてしまった」「おそくなって悪かった」
ということはよくわかっているのである。【
8】しかし、なぜおそくなったのだろう。「
ぼくは何もしてなかったのに」、「ちょっと
だけ、おたまじゃくしを見てただけなのに」
と思っているのである。たしかに子どもたち
は「ちょっとだけ」何かをしていたのである
。【9】しかし、残念なことに、それは大人
のもっている時計では、「一時間」も道くさ
を食っていたことになるのだ。
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 おたまじゃくしを見ていた子どもが、一時
間を「ちょっとの間」と思ったように、われ
われ大人でも、同じ一時間を、長く感じたり
短く感じたりする。【0】時計の上では一時
間であっても、経験するものにとっては、そ
の一時間の厚みが異なるように感じられるの
である。もちろん、時間そのものには厚みな
どあるはずがないか ら、あくまで、それを
経験するものの主観として、厚みが生じてく
るのだ。
 何かひとつのことに熱中していると、時間
が早くたっていくことは誰もが知っているこ
とである。といっても、何かひとつのことを
∵していると、必ず充実した時間を過ごした
ことになるとは限らない。たとえば、テレビ
のドラマなどを見るともなく見ていると、つ
いひきこまれて終わりまで見てしまう。終わ
ってみるといつの間にか一時間たってしまっ
ている。しかし、このあとでは充実感よりも
空虚な感じを味わうことだってある。時間は
早くたったと感じられるが、その厚みの方は
うすく感じられるのである。
 あるいは、ひとつのことをしていても時間
が長く感じられるときもある。その一番典型
的な場合は、「待っている」時間である。誰
かが来るのを待っているとき、われわれはな
かなか他のことができない。そわそわしなが
ら待つ。しかもその間は随分と長く感じられ
るのである。「待つ」ということだけをして
いるのだが、時間を長く感じてしまう。
 これらのことを考えると、自分のしている
ことに、その主体性がどのように関係してい
るかにしたがって、時間の厚みが異なってく
るらしいと思われる。「待つ」ことは、受動
的なことである。その人がいつ来るかは、そ
の人の行動にまかされているわけで、待って
いる方としては、ただそれにしたがって待つ
より仕方がないのである。これはテレビの場
合でも同様である。テレビを見終わって充実
感のない場合は、私たちがテレビを見たので
はなく、テレビが私たちをひきこんでしまっ
たのである。私たちは受動的に見ていたの 
だ。(中略)
 テレビは見たいが勉強はどうするのか、父
親は野球が見たいが子供は漫画が見たい。こ
れをどう解決するか。食事中にテレビを見な
いのはわが家のおきてである。ところが、食
事時間にどうしても見たい番組ができた。こ
れをどうするか。
 これらの葛藤と対決していくことによって
こそ主体性が得られ る。対決を通じて獲得
した時間、それは主体性の関与するものとし
て、「厚み」をもった時間の体験となるので
ある。

(河合隼雄「子どもの『時問』体験」より)