長文集  10月3週  ★激しい雨が降りつづくなかで(感)  mu2-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】激しい雨が降りつづくなかで、乗っ
ていた特急が停まっ た。これで三度目だな
と私は思った。豪雨地帯だということもある
けれど、この紀伊半島を走る紀勢線と私とは
、不思議に相性が悪いらしい。過去にも二度
ほど不通になった経験があった。
 【2】この日も見知らぬ駅に特急は臨時停
車したままで、車内には土砂崩れのために停
車しているという車内放送が何度か流れた。
そのうち乗客たちに牛乳と菓子パンが配られ
、そしてさらに何時間かが過ぎ、復旧のみこ
みがないので臨時バスで輸送することが告げ
られた。
 【3】そういえば、山が崩れるほどの豪雨
は、私の畑のある群馬県の上野村でも、何度
か経験したことがある、と私は思いだしてい
た。道路が全く通行できなくなって、路上で
どうすることもできなくなった日もあった。
【4】ところが、同じような豪雨による土砂
崩れでも、上野村で遭遇したときと、この紀
勢線の場合とでは、私の受け取り方が面白い
ように違っていた。
 【5】汽車が豪雨で停まったときは、その
ことに対して私は不便を感じているのに、上
野村での私は、雨が上がったあとの畑仕事の
段取りなどを考えて、それはそれで結構楽し
んでさえいたのであ る。【6】豪雨は一方
では私の行動を阻害する困ったものになり、
他方では村にいるときは、私は豪雨もまた自
然の営みと受け入れていて、この雨によって
生まれた自分の仕事をも、当然の村の生活だ
と感じていた。
 この違いは、どこから生じているのだろう
か。【7】そんなことを考えているうちに、
「場所」という言葉が生まれてきた。
 村にいるときは、私は村という「場所」の
なかで、ものごとを考えている。そして村と
いう「場所」は、村人の暮らすところである
とともに、自然が暮らす「場所」でもある。
【8】だから自然とともに「場所」を共有す
る人間が、自然の営みを受け入れ、その結果
生じた仕事をこなしていくのはごく当たり前
のことであって、何ら自然によって不便を強
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いられたことにはならないのである。
 【9】ところが汽車のなかでは、私は営み
の「場所」をもたない旅人である。この汽車
のなかは、私が生活する「場所」ではない。
そのような「場所」をもたない人間としての
感覚が豪雨という現象を、不便なもののよう
に感じさせる。∵
 【0】とすると、人間の思考のなかには、
「場所」をもつ思考 と、「場所」をもたな
い思考とが、あることにはならないだろう 
か。
 ところで、そんなふうに考えていくと、私
たちが学んできた近代思想は、「場所」をも
たない思想だったという気がしてくるのであ
る。近代社会は、共同体や地域とともにあっ
た思想を否定し、「場所」をこえた共通の思
想を、その意味で普遍的な思想をつくりだそ
うとした。「場所」ごとにさまざまな思想が
あったのでは、近代的な世界を成立させるこ
とはできなかったのである。こうして「場 
所」に影響されることのない人権思想や、近
代的個人観などが生まれてきた。それととも
に、私たちも、「場所」に影響されることの
ない普遍的な思想こそが、すぐれた思想だと
思うようになった。
 だがそれでよかったのだろうか。私が紀勢
線のなかで感じていたのは、こんな思いだっ
た。豪雨を不便なことだと感じる「場所」を
もたない思考と、豪雨をも村の営みのなかに
包みこんでいく「場 所」をもった思考。そ
のどちらの思考のほうが、人間や自然にとっ
て、自由な思考なのだろうか。
 おそらく自由もまた、「場所」とともに成
立する自由さと、「場所」をもたない自由さ
とは異なっているはずなのである、その「場
所」のなかでは、人間が制御できない自然の
動きも不自由を強いるものではないのに、「
場所」を失った感覚のなかでは、制御不能な
自然の動きが不自由なものとして感じられる
ように。
 人間同士の関係でも同じようなことがいえ
る。その「場所」のなかで暮らしているとき
は、不自由と感じることなく受け入れている
決まりでも、その「場所」がなければ、人間
たちに不自由を強いるものでしかないものは
、たくさんあるはずである。
 とすると、「場所」は自由にどのような影
響を与えるものなのだろうか、このような視
点から、私は近代的自由を検証しなおしてみ
ようと思う。

(内山 節「自由論」より)