長文集  11月1週  ★ひとは食べずには(感)  mu2-11-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】ひとは食べずには生きていけない。
そして食べるために は、食べるものを作ら
なければならない。狩猟民や採集民にして 
も、獲物や採集物を、調理もせずに食べるの
はまれであろう。【2】調理は、人間生活に
おけるもっとも基礎的な行動であることは疑
いない。火がしばしば文明の象徴とされるの
も、おそらくそういう理由からであろう。
 が、この調理といういとなみに、奇妙なこ
とが起こっている。【3】独身の人たちにか
ぎらず、料理をしないひとが増えてきたとい
うのは、正確な数字情報はもっていないけれ
ども、コンビニエンス・ストアやデパートの
地下の食料品売り場、あるいは夜の居酒屋な
どの風景を見るかぎり、どうもたしかな事実
のようである。【4】昼休みともなると、み
ずから調理したお弁当を開けるひとはさらに
少なくなる。ほとんどのひとが社員食堂に行
くか、弁当を買いに行く。パンやスナック菓
子ですませるひとも少なくない。
 【5】他方で、テレビをつければ、朝から
晩おそくまで、料理番組やグルメ番組がずら
っと並んでいる。ワイドショーがめじろ押し
の「主婦」の時間帯には、料理番組がもとも
と多い。が、最近は深夜十一時をまわってか
らの、それもたっぷり時間をとった番組が増
えている。【6】料理のレシピを伝えるとい
うより、あきらかにゲーム感覚のショーとい
った感じである。それに、ふだんとても手に
入らないような食材を使っている。つまり視
聴者があとで作るであろうことは計算に入っ
ていない。【7】そしてそれで番組がなりた
っているということだ。
 作らないということは、食事の調理過程を
外部に委託するということだ。調理を家の外
に出すということ、そのことの意味は想像以
上に大きいようにおもう。
 【8】たしかに、むかしは調理も公共の場
で、たとえば露地の共同炊事場でおこなわれ
ることが多かった。それは戦後の二十年くら
いまではふつうの光景だった。【9】その後
料理の仕事は「マイホーム」に内部化された
のだが、現在ふたたびその過程が、わたした
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ちからは見えない場所に移動させられつつあ
る。それはちょうど、かつて排泄が野外や共
同便所でなされ、汲み取りもわたしたちの面
前でなされていたのに、下水道の完備ととも
に排泄物処理が見えない過程になったのと同
じことである。∵
 【0】それとほぼ並行して、病人の世話が
病院へと外部化され た。出産や死という、
人生でもっとものっぴきならない瞬間も家庭
の外へと去った。家で母親のうめき声を聴く
ことも、赤ちゃんの噴きだすような泣き声も
聴くことはなくなってしまった。いや、じぶ
んの身体でさえ、もはやじぶんでコントロー
ルできず、体調がすぐれないときには、すぐ
に医院にかけつけるしまつだ。自己治療、相
互治療の能力はほぼ枯渇した、その点で、身
体はもはやじぶんのものではない。
 誕生や病いや死は、人間が有限でかつ無力
な存在であることを思い知らされる出来事で
ある。同じように排泄も、じぶんがほかなら
ぬ自然の一メンバーであることが思い知らさ
れるいとなみである。そういう出来事、そう
いういとなみが、「戦後」という社会のなか
で次々に外部化していった。そして家庭内に
のこされたそういう種類の最後のいとなみが
、調理だった。
 ひとは調理の過程で、じぶんが生きるため
に他のいのちを破壊せざるをえないというこ
と、そのときその生き物は潭身の力をふりし
ぼって抗うということを、身をもって学んだ
。そしてじぶんもまたそういう生き物の一つ
でしかないということも。そういう体験の場
所がいまじわりじわり消えかけている。見え
ない場所に隠されつつある。このことがわた
したちの現実感覚にあたえる影響は、けっし
て少なくないとおもう。

(鷲田清一「普通をだれも教えてくれない」
より)