長文集  11月3週  ★じつは、「正しい」という言葉には(感)  mu2-11-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】じつは、「正しい」という言葉には
、真理という意味と正義という意味の二つが
含まれている。真理のほうは、どちらかとい
うと、事実に合致しているとか、論理的に整
合的だとかいう意味であるため、客観的に証
明できる可能性が高い。【2】しかし正義と
いうのは、人間としてのあり方が正しいとい
う道徳的な意味合いが強いので、主観的な色
合いが強い。だから客観的に主張できないと
ころがある。【3】そして正義を旗印にして
不正義をしたり、侵略することもできる。歴
史を調べてみると、悪いことは必ず正義の旗
印のもとになされたと言う人もいる。そこで
、正義など掲げる奴は悪い奴ばかりだと言っ
て、正義という言葉そのものに不信感をぶっ
つける人もいるくらいである。
 【4】正義というのは、人間として道理に
かなっている、人間としてあるべき正しい姿
に合致しているということ。うそ、いつわ 
り、ごまかし、汚いことをしないという意味
である。【5】自分が正しいということは、
世の中のほうが間違っている、それと対立し
ている自分のほうが正しいという判断と感情
をもつことである。その間違っている世の中
に合わせると、本来の自分が失われてしまう
ことになる。【6】正しいと思う自分を貫く
ということが、「個性化」の道を歩むという
ことである。
 ただし、そのときに注意しなければならな
いことがある。それは第一に「正しさ」の主
張が「ひとりよがり」になってはならないと
いうことである。【7】自分が「正しい」と
思っていたことが、「正しくなかった」と思
い知らされることもある。それが「一段上の
基準や立場から自我が否定される」というこ
とであり、自分の価値観を変えなければなら
ないという体験である。【8】この体験も個
性化の中でよく起きることである。このよう
に自分の「正しさ」について謙虚にならない
といけないが、そうかといって、自分だけで
正しいと思うように暮らしていれば事足りる
というのではない。【9】自分だけ好きなよ
うに暮らすということだけでも、周囲の人た
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
ちの支持や理解がないと不可能である。本人
が変わっていればいるほど、周囲の人たちの
理解がないと、なかなか生きていくことさえ
難しい。自分の「正しさ」をどれだけアピー
ルできるかが大切なのである。【0】そして
そのためには、自分の「変わっている」とこ
ろが、どれだけ普遍性をもっているか、そし
てそれをどれだけ主張できるかが、も∵っと
も大切なのである。
 以上のように「正しさ」を考えるときには
、一方で自己主張し、他方では謙虚になるこ
とが大切だが、しかしそういうことも、じつ
は「正しさ」や「価値」を追求しているから
こそ起きるのである。「正しさ」そのもの、
価値そのものを否定してしまっては、自分が
「変わる」ということも起こりえないのであ
る。
 このごろ、「価値の多様化」とか、「多様
な家族」とか、「人間いろいろあるのがいい
んだ」などということを、したり顔に言う人
がふえてきた。それらは「絶対に正しいこと
なんかないんだ」という意味を含んだ言葉で
ある。「絶対に正しいということはない」と
いう命題は正しいと思うのだが、それがさら
に進んで「正しいと思うことを主張してはい
けない」となると、自己矛盾を犯すことにな
る。「正しいと思うこと」を主張し合うのが
「価値の多様化」ということではないだろう
か。「正しいことは何だ」ということを追求
してはいけないと言ったら、多様化もなにも
あったものではない。各人が自分の正義を追
求するからこそ、多様な価値観が生まれるの
である。正義や真理を追究してはいけないと
なったら、多様もなにも、価値そのものがな
くなってしまう。「価値の多様化」を主張し
ている人たちの多くの部分が、じつは価値の
消失をひそかに願っているのかもしれない。
 結論を言えば、「個性化」にとっては、普
遍的な意味を追求するという姿勢が大切なの
である。何が普遍的なのか、正義感があるほ
うが普通なのかないほうが普通なのか、お化
粧をするほうが普通なのかしないほうが普通
なのか、そういうことに絶対的な基準はな 
い。でも、どちらが正しいか、という各人の
観点は必要である。それが「個性」であり、
何が正しいのかを追求することなしに個性化
はありえない。答えがそれぞれ違ったら、き
ちんと理論的にも感情的にも納得させること
のできる内容をもって自己主張するべきであ
る。何人を納得させればいいのか、というこ
とではないが、まあ最低限一人くらいには納
得させるものがなくてはならないだろう。恋
人、夫、妻、親、子……。そのうち一人も納
得させられないようであれば、それは個性と
は言えない。

(林道義「心の不思議を解き明かす」より)