長文集  11月4週  ○なかでも、二十歳になったばかりの(感)  mu2-11-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/09/13 14:36:06
 【1】なかでも、二十歳(はたち)になっ
たばかりの障害者の娘さんが車椅子でひとり
旅をする、その一部始終をとったフィルムが
素晴らしいものだった。京都を見てから、さ
らに田舎のお祖母(ばあ)ちゃんに会いに行
く、その旅の終り、娘さんは新しい経験で強
くなった、しかし苦しみと徒労感のあとすら
もきざまれている、気丈さと翳りのある美し
い表情で、旅が教えてくれたことを話した。
 【2】その言葉どおりここに書きしるすこ
とは、本人の承諾をえていない以上さしひか
えるが、次のような意味のことが語られて印
象に濃くきざまれたのである。障害を持って
いる人間もどんどん外に出て行って、自分の
したいと思うことをすればいいと思う。【3
】他人に迷惑をかけてもいい。健常者に手助
けをもとめて、たとえそれが迷惑をかけるこ
とになっても、自分の意志をとおして、本当
にやりたいことをやるといいと思う……
(中略)
 娘さんは出発をきめると、親を説きふせ、
自分で旅の予定地のホテルにも予約の電話を
かける。【4】集団でではなく、ひとり旅 
で、しかも車椅子のという条件に、電話の向
こうで突っけんどんにことわる相手もいれば
、部屋へ入るまでの通路がどういう構造にな
っているかを丹念に説明して、娘さんの宿泊
が可能であることを教えてくれる相手もいる

 【5】僕の娘も、サークルで障害者の仲間
たちとの旅を計画するシーズンになると、毎
日毎日、予定地の安い宿舎との談判を電話で
繰りかえしていた。その電話をやはり脇で聞
きながら、現在わが国の障害者が、そうした
所でどのようなあつかい方をされているかの
実態にふれる思いがしたものだった。【6】
しかし決してあたたかい対応を期待できない
電話に、こちらの条件をはっきり呈示しなが
らねばり強く交渉をつづける障害者の娘さん
を見ていると――ヴォランティアー側の僕の
娘もふくめて――、新世代の、ある強さとい
うものも感じないではいないのだった。
 【7】さて困難もあり感動もあった旅の終
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点に、娘さんは田舎のお祖母ちゃんの家へと
辿りつく。旧家の印象の、落着いた玄関で娘
∵さんは車椅子のまま待っている。【8】事
故の後、はじめて会うお祖母ちゃんが驚くの
ではないかと気にかけながら、しかし幼女の
頃、そのお祖母ちゃんに可愛がられた様子の
あきらかな娘さんは、ひとり車椅子でやって
来たことを誇らしくも感じている……。
 【9】そこへお祖母ちゃんは、着物の前が
はだけてしまいそうになるほど気持ちを急が
せて、這いながら迎えに出るのである。そし
て行なわれたほとんど言葉もない対面のなん
と感動的だったことだろう。【0】(中略)
 やがて炬燵を間にむかいあって坐ったふた
りは、とくに言葉をとりかわすというのでも
ない。老人性痴呆とはいわぬまでも、それに
近い状態で、家人に幼児あつかいされるかた
ちで暮している模様のお祖母ちゃんには、急
に言葉も出てきにくいはずだし、介ぞえ役の
お嫁さんが手ぎわよくかわりの発言をしてさ
ばいてしまうのであるから――話がそれるが
、僕は自分の身のまわりにも、このようにし
て言葉をもぎとられてしまう老婦人を見て来
た――。
 そのうち娘さんが、お祖母ちゃんのために
京都のお寺でお守りを買ってくれていたこと
がわかる。もらった包みからもどかしげにそ
れを取り出して喜びをあらわすお祖母ちゃん
は、その老年による障害、つまり老衰とそれ
に付随してのすべてを受容している人だと感
じとられてくる。(中略)
 この祖母と孫娘とが、ともに健康であった
として、かならずしもこれだけ深い理解関係
をかちとりうるときまっていなかっただろ 
う。祖母の方が、どうしても避けることので
きない老衰へとしだいに下降しつづけるので
あれば、それに反撥するのも、健康なさかり
の孫娘の自然な生理ではないか? しかし、
テレヴィ・フィルムのおたがいにその障害を
受容している老若の女性は、じつにあたたか
くおたがいを理解して、優しく向かいあい、
そのふたりをつつむ微光は尊敬をさそうほど
の上品さなのであった。

(大江健三郎の文章による)