1. 【1】なかでも、
二十歳になったばかりの障害者の
娘さんが
車椅子でひとり旅をする、その一部始終をとったフィルムが素晴らしいものだった。京都を見てから、さらに田舎のお
祖母ちゃんに会いに行く、その旅の終り、
娘さんは新しい経験で強くなった、しかし苦しみと徒労感のあとすらもきざまれている、
気丈さと
翳りのある美しい表情で、旅が教えてくれたことを話した。
2. 【2】その言葉どおりここに書きしるすことは、本人の
承諾をえていない以上さしひかえるが、次のような意味のことが語られて印象に
濃くきざまれたのである。障害を持っている人間もどんどん外に出て行って、自分のしたいと思うことをすればいいと思う。【3】他人に
迷惑をかけてもいい。健常者に手助けをもとめて、たとえそれが
迷惑をかけることになっても、自分の意志をとおして、本当にやりたいことをやるといいと思う……
3.(中略)
4.
娘さんは出発をきめると、親を説きふせ、自分で旅の予定地のホテルにも予約の電話をかける。【4】集団でではなく、ひとり旅で、しかも
車椅子のという条件に、電話の向こうで
突っけんどんにことわる相手もいれば、部屋へ入るまでの通路がどういう構造になっているかを
丹念に説明して、
娘さんの
宿泊が可能であることを教えてくれる相手もいる。
5. 【5】
僕の
娘も、サークルで障害者の仲間たちとの旅を計画するシーズンになると、毎日毎日、予定地の安い宿舎との談判を電話で
繰りかえしていた。その電話をやはり
脇で聞きながら、現在わが国の障害者が、そうした所でどのようなあつかい方をされているかの実態にふれる思いがしたものだった。【6】しかし決してあたたかい対応を期待できない電話に、こちらの条件をはっきり
呈示しながらねばり強く
交渉をつづける障害者の
娘さんを見ていると――
ヴォランティアー側の
僕の
娘もふくめて――、新世代の、ある強さというものも感じないではいないのだった。
6. 【7】さて困難もあり感動もあった旅の終点に、
娘さんは田舎のお祖母ちゃんの家へと
辿りつく。旧家の印象の、落着いた
玄関で
娘∵さんは
車椅子のまま待っている。【8】事故の後、はじめて会うお祖母ちゃんが
驚くのではないかと気にかけながら、しかし幼女の
頃、そのお祖母ちゃんに可愛がられた様子のあきらかな
娘さんは、ひとり
車椅子でやって来たことを
誇らしくも感じている……。
7. 【9】そこへお祖母ちゃんは、着物の前がはだけてしまいそうになるほど気持ちを急がせて、
這いながら
迎えに出るのである。そして行なわれたほとんど言葉もない対面のなんと感動的だったことだろう。【0】(中略)
8. やがて
炬燵を間にむかいあって
坐ったふたりは、とくに言葉をとりかわすというのでもない。老人性
痴呆とはいわぬまでも、それに近い状態で、家人に幼児あつかいされるかたちで暮している模様のお祖母ちゃんには、急に言葉も出てきにくいはずだし、
介ぞえ役のお
嫁さんが手ぎわよくかわりの発言をしてさばいてしまうのであるから――話がそれるが、
僕は自分の身のまわりにも、このようにして言葉をもぎとられてしまう老婦人を見て来た――。
9. そのうち
娘さんが、お祖母ちゃんのために京都のお寺でお守りを買ってくれていたことがわかる。もらった包みからもどかしげにそれを取り出して喜びをあらわすお祖母ちゃんは、その老年による障害、つまり
老衰とそれに
付随してのすべてを受容している人だと感じとられてくる。(中略)
10. この祖母と
孫娘とが、ともに健康であったとして、かならずしもこれだけ深い理解関係をかちとりうるときまっていなかっただろう。祖母の方が、どうしても
避けることのできない
老衰へとしだいに下降しつづけるのであれば、それに
反撥するのも、健康なさかりの
孫娘の自然な生理ではないか? しかし、
テレヴィ・フィルムのおたがいにその障害を受容している老若の女性は、じつにあたたかくおたがいを理解して、優しく向かいあい、そのふたりをつつむ
微光は尊敬をさそうほどの上品さなのであった。
11.(
大江健三郎の文章による)