長文集  12月1週  ★自然科学の中の(感)  mu2-12-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】自然科学の中のどのような分野の研
究にあっても、研究がその分野の進展に対す
る何らかの貢献となることを目指している以
上、そこでは、科学者が行うことは、未知の
土地に踏みこむ探検家のすることに似た点が
あると言えよう。【2】当面の研究テーマの
中に新しい事実の発見をするとか、既知、あ
るいは、新発見の事実に対する新しい解釈や
理論を構築するとかいったことが、進歩への
寄与となるのであるから、研究の最前線に立
っていれば、科学者個人は自分固有の研究プ
ランや方法に従って研究を進めることになる
のは当然であろう。【3】そのとき、自分の
もつ研究に対する現状分析の結果や見通しが
、大きな役割を果たす。これらを持ち合わせ
ていなかったら、進歩への寄与となるような
研究成果があげられることなど、ほとんど期
待しえないからである。
 【4】このような分析や見通しが立てられ
るためには、何が自分にとって疑問なのか、
それをどのように解き明かしていったら研究
成果につながるのかといった、いわば現実的
なテーマヘの迫り方が重要となる。【5】し
たがって、この作業はきわめて個人的なもの
であって、客観的に誰にでも当てはめられる
というものではない、ということになる。
 【6】科学の研究というと、私たちがしば
しば聞かされるのは、大方に受け入れられる
ような一般的な方法があるというもので、そ
の典型的なものとして、帰納と演繹との二つ
の方法があげられる。【7】だが、これらの
方法が適用される以前になされるべきことの
あることが、忘れられてはならないと私は考
える。それは、これらの方法を研究に用いる
ことができるためには、科学者の心中に、研
究の出発点を決めるある種の仮説とかアイデ
アがなければならないからである。【8】も
しなかったとしたら、どのように研究を進め
ればよいのかとか、どんなデータを集めれば
よいか、あるいはま た、どのように理論的
に攻めていけばよいのかといった、研究の進
め方が確定されえないはずなのである。
 【9】こうした、研究を進めるに当たって
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の指針となる仮説やアイデアは、「作業仮説
」としばしば呼ばれるが、これなしには、私
たちには研究が進められないのだという大切
な事実を忘れてはならない。
 【0】この研究テーマの向こうに何かまだ
知られていないこととか、∵理解されていな
い何かがあると感じるのは、たぶん、きわめ
て個人的なもので、客観性などないものであ
ろう。個人のもつ現状分析の結果が、他の人
々とみな同じだったとしたら、ある科学者が
ある分野の研究の突破口を開くなどというこ
とは、なくなってしまうであろう。誰にも同
じことができるはずだ、ということになって
しまうからである。一人ひとりがまったく異
なった描像を研究の現場にあって持っている
からこそ、ある人には大発見に至る道が開か
れたりすることになるのである。
 ある分野の進歩に寄与することになった何
らかの研究成果をあげられた人々に、そのよ
うな成果をあげることになった手順、あるい
は、行き方を客観的に説明してみよと尋ねて
も、たぶん、その説明はできないであろう。
そこには、「何かあるに違いない」といった
信念が背景にあり、それからアイデアや作業
仮説がつくられていったのだからである。最
前線にあって、科学者がしていることを理解
するには、アインシュタインが言ったという
、「科学者の言うことよりも、彼らが実際に
やっていることを見る」ことが、大切なので
ある。研究成果があげられて、研究の経過が
系統的に、当の科学者によって語られるとき
にはすでに、研究の現場で実際に起こってい
たことはほとんどすべて忘れられてしまい、
客観性をもった説明だけが残ることになるか
らである。ここから、科学の研究は客観的に
進められるもので、科学には固有な研究方法
があるのに違いないという誤解が生まれてく
るのである。
 科学の研究は、「科学的」に進められるの
かという疑問については、その成果が客観的
で、大部分の科学者にとって、当然、あるい
は、必然なものとされ、受容されて初めて「
事実」として一応承認されるという実際の手
順から見れば、「そうだ」と答えたくなる。
だが、研究の現場で実際に起こっていること
と、あげられた成果の客観性の解釈とを混同
してはならない、と私は考えている。

(桜井邦朋「自然科学とは何か」より。一部
表記を改めたところがある。)