長文集  12月2週  ★常識という言葉を辞書(感)  mu2-12-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:22
 【1】常識という言葉を辞書を開いて調べ
ると、「一般の人が持っている、また、持つ
べき知識・理解カ・判断力」といった解釈を
している。
 ただ、私個人の解釈を言うなら「社会生活
を営むうえで、当然知っている、と予想され
る知識」となるかもしれない。【2】この「
当然知っている、と予想される」というとこ
ろがこの言葉の難しいところだ。つまり、個
人個人の考え方や生きてきた環境が違えば、
この「当然知っている、と予想される」内容
も少なからず違ってきてしまうからだ。
 【3】私の父、京助は東北の岩手県出身、
母は生粋の江戸っ子だった。この二人はしょ
っちゅう意見が衝突していたが、それは正月
の雑煮は何を入れるか、といった大変ささい
なことから始まっていた。【4】父は絶対鮭
の子を入れなくては正月のめでたい気分は味
わえない、と言い、母はお雑煮にそんな生ぐ
さいものを入れるなんて聞いたことがない、
と反論する。
 つまり、父にとっては雑煮には鮭の子を入
れる、ということが「常識」なのであり、母
にとっては入れないことが「常識」なのであ
る。【5】そしておたがいに自分の「常識」
が正しいと思い込んでいる。相手も自分と同
じ考え方をするはずだ、と予想し、それが外
れると、「あの人は常識がない」という言い
方をする。つまり「常識」とは大変個人的な
考え方の尺度だ、と言えると思う。
 【6】「世間」という言葉がある。これを
英語に訳すとWORLD(ワールド)になる
が、「世界」と「世間」はちょっと違う。「
社会」とも似ているが、受ける感じはやはり
違う。土居健郎氏の『甘えの構造』によると
、日本人の生活は一番内側に身内の世界があ
り、これは遠慮がいらない。【7】その外側
に世間があり、そこでは窮屈な心遣いをすべ
きである。そしてその外側にまったく遠慮の
いらない他人の世界があると考えられてきた
のだそうだ。
 日本人にとって「常識」が大切になるのは
、この「世間」の世界である。【8】ここで
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は身内の世界で学んだ「常識」がいろいろな
形で試されることになる。「世間さまに笑わ
れる」とか、「世間に出て∵恥をかく」とい
うような言葉はいかにも日本的だ。
 しかしこの「世間」から抜け出して、まっ
たく他人の世界に行ってしまえば、「常識」
はそれほど大切ではないという考えになって
しまうようだ。【9】日本人は公徳心がない
とよく言われる。公園や道路に空きカンを投
げ捨てたりするのは、この辺に原因がありそ
うだ。「旅の恥はかきすて」などとも言う。
誰も知っている人がいなければ、何をしても
いいというわけであろう。
 【0】欧米にも我々のような社会生活を営
むうえでの「常識」というのは当然ある。そ
してそれは日本人の「常識」としばしば食い
違うのもおもしろい。たとえば、私があるア
メリカ人に大変世話になって、その次にその
人の妹に会った。彼にはとても世話になった
のでよろしく伝えてください、と頼んだ。日
本人なら至極あたり前のことだ。ところがそ
の妹はつっけんどんに、私と兄とは別々の人
間で関係ない。そのようなことを頼まれるの
は迷惑なことだ、と言うのでびっくりした。
アメリカ人にとってはそんなことを言われる
のは、常識外れということらしい。私はつく
づく難しいものだと思った。
「郷に入れば郷に従え」という。つまり、「
常識」というのは、そのくらい地域や家庭に
よって違う、ということだ。逆に言えば「常
識」とは、必ずしも普遍的な知識ではなく、
また合理的ですぐれたルールというわけでも
ないのである。

(金田一春彦「日本語を反省してみませんか
」より)