1. 【1】常識という言葉を辞書を開いて調べると、「
一般の人が持っている、また、持つべき知識・理解カ・判断力」といった
解釈をしている。
2. ただ、私個人の
解釈を言うなら「社会生活を営むうえで、当然知っている、と予想される知識」となるかもしれない。【2】この「当然知っている、と予想される」というところがこの言葉の難しいところだ。つまり、個人個人の考え方や生きてきた
環境が
違えば、この「当然知っている、と予想される」内容も少なからず
違ってきてしまうからだ。
3. 【3】私の父、京助は東北の岩手県出身、母は
生粋の
江戸っ子だった。この二人はしょっちゅう意見が
衝突していたが、それは正月の
雑煮は何を入れるか、といった大変ささいなことから始まっていた。【4】父は絶対
鮭の子を入れなくては正月のめでたい気分は味わえない、と言い、母はお
雑煮にそんな生ぐさいものを入れるなんて聞いたことがない、と反論する。
4. つまり、父にとっては
雑煮には
鮭の子を入れる、ということが「常識」なのであり、母にとっては入れないことが「常識」なのである。【5】そしておたがいに自分の「常識」が正しいと
思い込んでいる。相手も自分と同じ考え方をするはずだ、と予想し、それが外れると、「あの人は常識がない」という言い方をする。つまり「常識」とは大変個人的な考え方の尺度だ、と言えると思う。
5. 【6】「世間」という言葉がある。これを英語に訳すとWORLD(ワールド)になるが、「世界」と「世間」はちょっと
違う。「社会」とも似ているが、受ける感じはやはり
違う。土居
健郎氏の『
甘えの構造』によると、日本人の生活は一番内側に身内の世界があり、これは
遠慮がいらない。【7】その外側に世間があり、そこでは
窮屈な
心遣いをすべきである。そしてその外側にまったく
遠慮のいらない他人の世界があると考えられてきたのだそうだ。
6. 日本人にとって「常識」が大切になるのは、この「世間」の世界である。【8】ここでは身内の世界で学んだ「常識」がいろいろな形で試されることになる。「世間さまに笑われる」とか、「世間に出∵て
恥をかく」というような言葉はいかにも日本的だ。
7. しかしこの「世間」から
抜け出して、まったく他人の世界に行ってしまえば、「常識」はそれほど大切ではないという考えになってしまうようだ。【9】日本人は公徳心がないとよく言われる。公園や道路に空きカンを投げ捨てたりするのは、この辺に原因がありそうだ。「旅の
恥はかきすて」などとも言う。
誰も知っている人がいなければ、何をしてもいいというわけであろう。
8. 【0】
欧米にも我々のような社会生活を営むうえでの「常識」というのは当然ある。そしてそれは日本人の「常識」としばしば
食い違うのもおもしろい。たとえば、私があるアメリカ人に大変世話になって、その次にその人の妹に会った。
彼にはとても世話になったのでよろしく伝えてください、と
頼んだ。日本人なら至極あたり前のことだ。ところがその妹はつっけんどんに、私と兄とは別々の人間で関係ない。そのようなことを
頼まれるのは
迷惑なことだ、と言うのでびっくりした。アメリカ人にとってはそんなことを言われるのは、常識外れということらしい。私はつくづく難しいものだと思った。
9.「郷に入れば郷に従え」という。つまり、「常識」というのは、そのくらい地域や家庭によって
違う、ということだ。逆に言えば「常識」とは、必ずしも
普遍的な知識ではなく、また合理的ですぐれたルールというわけでもないのである。
10.(金田一
春彦「日本語を反省してみませんか」より)