1. 【1】牛の生き血を満たしたコップが目の前にさしだされたとき、頭に
浮かんだのは「
細菌がいっぱいだろうな」だった。
2. しかし、見つめているマサイの若者たちの手前、飲まないわけにいかない。思い切って一気に飲んだ。【2】意外に血のにおいはしない。私の
懸命の表情がおかしかったのだろう、若者たちが手をたたいて笑った。
3. アフリカ特派員時代、マサイの伝統的な生活が見たくてケニアのサバンナを訪れた。出会った遊牧のマサイ青年たちに同行を認めてもらい、
彼らと
一緒に野宿した。【3】その翌朝、生き血の接待にあずかったのである。
4. 伝統的な生活をするマサイの人々は、野菜や穀物をいっさい口にしない。土から生えてくるものは
不浄だとする教えがあるからだ。食べるのは肉、乳、血だけである。【4】それでも
脚気や
壊血
症のようなビタミン
欠乏症にならないのは、牛が草を食べてとったビタミンを生き血から
摂取しているためだった。
5.
細菌の
恐れがある牛の血など飲まず、
新鮮な野菜を食べればいいではないか。【5】穀物や野菜は
不浄だなどという不合理な考えは捨てて……。そこまで考えてハッとした。
6. マサイが住むサバンナでは、雨が年間に三百ミリ程度しか降らない。平均千八百ミリといわれる日本の六分の一以下だ。【6】そんな土地で農耕に
依存する生活を始めたら最後、たちまち干ばつに
悩まされることになる。民族の存亡にも関わる問題だ。そのため
彼らは、「土から生えるものは
不浄だ」という教えで農業を遠ざけ、遊牧の生活に
依拠しているのではないか――。【7】牛の生き血を飲むのは、
野蛮で未開だからではない。そうしなければ生きていけない
環境に住む人々の、生活の
知恵だった。
7. 牛の血だけではない。アフリカ南西部のガボンでは、知らずにサルを食べてしまったことがある。【8】食事がすんでから、シチューの中身がサルの肉だったことを教えられた。なぜガボンの人々はサルなど食べるのだろう。
8. サバンナと逆に、ガボンは熱帯雨林帯にあり、年間降水量が五千ミリに達する。【9】ちょっと
奥地に入ると
巨大な樹木がびっしり密生∵しており、農業をしたり、牛や羊を飼うような開けた土地を確保するのはむずかしい。人々は生きていくため、密林の中でたんぱく質を手に入れなければならない。密林のたんぱく質――それがサルだったのだ。
9. 【0】一方でアフリカには「食べない文化」もある。イスラム
圏の
豚肉だ。
10.(中略)
11. ユダヤ教も
豚肉を食べないのは同じだ。ある日、ユダヤ人の知人から「
反芻しない動物は食べられないことになっている」と聞いて合点がいった。
12. 牛や羊、ヤギ、ラクダなどの
反芻する動物は、草を食べて消化する能力がある。人間は草を消化できないから食べない。したがって、牛と人間が食物をめぐって競合することはない。しかし
反芻しない
豚は草を食べることができず、穀物を食べる。したがって人間と競合する。
13. ユダヤ教やイスラム教が生まれた土地は
砂漠の
荒れ地だ。苦労してつくったわずかな穀物を、
豚に取られてはたまらない。
豚肉は、牛肉や羊肉にくらべてくさみがなく、やわらかい。権力者や金持ちは、
庶民から穀物を
奪ってでも
豚を育てようとするかもしれない。それを防ぐために「
豚を食べてはいけない」と教えたのではないか――。
14. 食文化というのは、暑さ寒さや雨の量、地形風土、その他もろもろの
環境の
影響を受けながら、長年かかってその地域で形成されてきたものだ。未開とか
野蛮とかいうレベルの問題ではないのである。
15. 気候や風土などの
環境は、食に
影響を
与えるだけではない。人々の社会生活やものの考え方、宗教にも
影響していく。
16. 特派員としてアフリカ大陸で八年暮らした。その中で、「食べる」とか「
寝る」という
行為を通じて「なぜ」を考え続けた。異文化と出会ったとき「
野蛮!」と切り捨ててしまってはいけない。「なぜ?」と考えていけば、その根っこにあるものにさわれるかもしれないのである。 (松本仁一「異文化の根っこ」による)