長文 12.4週
1. 【1】牛の生き血を満たしたコップが目の前にさしだされたとき、頭に浮かんう  だのは「細菌さいきんがいっぱいだろうな」だった。
2. しかし、見つめているマサイの若者たちの手前、飲まないわけにいかない。思い切って一気に飲んだ。【2】意外に血のにおいはしない。私の懸命けんめいの表情がおかしかったのだろう、若者たちが手をたたいて笑った。
3. アフリカ特派員時代、マサイの伝統的な生活が見たくてケニアのサバンナを訪れた。出会った遊牧のマサイ青年たちに同行を認めてもらい、彼らかれ 一緒いっしょに野宿した。【3】その翌朝、生き血の接待にあずかったのである。
4. 伝統的な生活をするマサイの人々は、野菜や穀物をいっさい口にしない。土から生えてくるものは不浄ふじょうだとする教えがあるからだ。食べるのは肉、乳、血だけである。【4】それでも脚気かっけしょうのようなビタミン欠乏症けつぼうしょうにならないのは、牛が草を食べてとったビタミンを生き血から摂取せっしゅしているためだった。
5. 細菌さいきん恐れおそ がある牛の血など飲まず、新鮮しんせんな野菜を食べればいいではないか。【5】穀物や野菜は不浄ふじょうだなどという不合理な考えは捨てて……。そこまで考えてハッとした。
6. マサイが住むサバンナでは、雨が年間に三百ミリ程度しか降らない。平均千八百ミリといわれる日本の六分の一以下だ。【6】そんな土地で農耕に依存いぞんする生活を始めたら最後、たちまち干ばつに悩まさなや  れることになる。民族の存亡にも関わる問題だ。そのため彼らかれ は、「土から生えるものは不浄ふじょうだ」という教えで農業を遠ざけ、遊牧の生活に依拠いきょしているのではないか――。【7】牛の生き血を飲むのは、野蛮やばんで未開だからではない。そうしなければ生きていけない環境かんきょうに住む人々の、生活の知恵ちえだった。
7. 牛の血だけではない。アフリカ南西部のガボンでは、知らずにサルを食べてしまったことがある。【8】食事がすんでから、シチューの中身がサルの肉だったことを教えられた。なぜガボンの人々はサルなど食べるのだろう。
8. サバンナと逆に、ガボンは熱帯雨林帯にあり、年間降水量が五千ミリに達する。【9】ちょっと奥地おくちに入ると巨大きょだいな樹木がびっしり密生∵しており、農業をしたり、牛や羊を飼うような開けた土地を確保するのはむずかしい。人々は生きていくため、密林の中でたんぱく質を手に入れなければならない。密林のたんぱく質――それがサルだったのだ。
9. 【0】一方でアフリカには「食べない文化」もある。イスラムけん豚肉ぶたにくだ。
10.(中略)
11. ユダヤ教も豚肉ぶたにくを食べないのは同じだ。ある日、ユダヤ人の知人から「反芻はんすうしない動物は食べられないことになっている」と聞いて合点がいった。
12. 牛や羊、ヤギ、ラクダなどの反芻はんすうする動物は、草を食べて消化する能力がある。人間は草を消化できないから食べない。したがって、牛と人間が食物をめぐって競合することはない。しかし反芻はんすうしないぶたは草を食べることができず、穀物を食べる。したがって人間と競合する。
13. ユダヤ教やイスラム教が生まれた土地は砂漠さばく荒れ地あ ちだ。苦労してつくったわずかな穀物を、ぶたに取られてはたまらない。豚肉ぶたにくは、牛肉や羊肉にくらべてくさみがなく、やわらかい。権力者や金持ちは、庶民しょみんから穀物を奪っうば てでもぶたを育てようとするかもしれない。それを防ぐために「ぶたを食べてはいけない」と教えたのではないか――。
14. 食文化というのは、暑さ寒さや雨の量、地形風土、その他もろもろの環境かんきょう影響えいきょうを受けながら、長年かかってその地域で形成されてきたものだ。未開とか野蛮やばんとかいうレベルの問題ではないのである。
15. 気候や風土などの環境かんきょうは、食に影響えいきょう与えるあた  だけではない。人々の社会生活やものの考え方、宗教にも影響えいきょうしていく。
16. 特派員としてアフリカ大陸で八年暮らした。その中で、「食べる」とか「寝るね 」という行為こういを通じて「なぜ」を考え続けた。異文化と出会ったとき「野蛮やばん!」と切り捨ててしまってはいけない。「なぜ?」と考えていけば、その根っこにあるものにさわれるかもしれないのである。 (松本仁一「異文化の根っこ」による)