長文 10.1週
1. 【1】明治十年(一八七七)に英語のソサイエティが社会という言葉に
翻訳され、明治十七年に
インディヴィデュアルが個人という言葉に訳された。しかし訳語が出来ても社会の内容も個人の内容も現在にいたるまで全く実質をもたなかった。【2】
西欧では個人という言葉が生まれてから九世紀もの
闘争を経てようやく個人は実質的な権利を手に入れたのである。日本で個人と社会の訳語が出来てもその内容は全く異なったものだった。なぜなら日本では古代からこの世を「世間」と見なす考え方が支配してきたからである。【3】では、この「世間」はどのような人間関係をもっていたのだろうか。そこにはまず
贈与・
互酬の関係が
貫かれていた。「世間」の中には自分が行った
行為に対して相手から何らかの返礼があることが期待されており、その期待は事実上義務化している。【4】例えばお中元や
お歳暮、
結婚の祝いや
香典などである。
2. 重要なのはその際の人間は人格としてそれらのやりとりをしているのではないという点である。
贈与・
互酬関係における人間とはその人が置かれている場を示している存在であって、人格ではないのである。【5】こうした
互酬関係と時間意識によって日本の世間はヨーロッパのような公共的な関係にはならず、私的な関係が常にまとわりついて世間を疑似公共性の世界としているのである。
3. 【6】
贈与の場合それは受け手の置かれている地位に送られるのであって、その地位から
離れれば
贈り物がこなくなっても仕方がないのである。
贈り物の価値に変動がある場合も受け手の地位に対する送り手の評価が変動している場合なのであり、あくまでも人格ではなく、場の変化に過ぎないのである。【7】しかし「世間」における
贈与は現世を
越えている場合もあり、あの世へ行った人に対する
贈与も行われている。
4. 日本における人間関係を考える場合、この
贈与・
互酬慣行を無視することは出来ない。【8】何らかの手助けをして
貰ったときなどにもお礼としてものなどを送ることがある。その場合にも返礼はしなければならないが、場合によっては礼状で済ますことも出来る。日本で人間関係を良く保ちたいと思えば、この慣行をうまく利用することが必要となる。【9】単に場に対する
贈り物であっても、自分の人格∵に
貰ったものとして丁重に礼状を書き、場合によっては返礼をするのである。これは
贈与・
互酬慣行を逆手にとった手であって、それによっては相手の敬意を受ける場合もある。
5. 【0】次に時間意識の問題がある。「世間」の中には共通の時間意識が流れている。日本人の
挨拶に「今後ともよろしくお願いします」という
挨拶があるが、これは日本特有のものであって、
欧米にはそれに当たる
挨拶はない。なぜなら日本人は「世間」という共通の時間の中で生きているので、初対面の人でも何時かまた会う機会があると思っている。しかし
欧米の人は一人一人の時間を生きているので、そのような共通の時間意識はない。
6. これと関連して日本では「先日はありがとうございました」という
挨拶がしばしば交わされる。しかし同じ
挨拶は
欧米にはないのである。
欧米ではそのときのお礼はそのときにするものであって、
遡ってお礼をいう習慣はない。日本の「今後ともよろしく」という
挨拶がお礼の
先払いであるとすると、「先日はありがとう」という
挨拶は過去の
行為に対するお礼の
後払いということになる。
7. 「世間」は広い意味で日本人の公共性の役割を果たしてきたが、
西欧のように市民を主体とする公共性ではなく、人格ではなく、それぞれの場をもっている個人の集合体として全体を
維持するためのものである。公共性という言葉は公として日本では大きな家という意味であり、最終的には天皇に帰着する性格をもっている。そこに
西欧との大きな
違いがある。現在でも公共性という場合、官を意味する場合が多い。「世間」は市民の公共性とはなっていないのである。
8.(
阿部謹也『近代化と世間』による)
長文 10.2週
1. 【1】文明人は時計によって時間を測る。それによって、一日は二十四時間に正確に区切られ、共通の時間が設定される。これは多くの人間が社会をつくっていくためには、非常に大切なことである。【2】これによって、われわれは友人と待ち合わせもできるし、学校も会社も、同一時刻に
一斉に始めることもできる。時計の発明によって、人類はどれほど時間が節約できるようになったかわからない、本当に便利なことだ。
2. 【3】ところで幼児たちは、大人のもつ時計によって区切られた時間とは異なる時間を生きているようだ。「きのう」とか「あした」とかの意味も、はっきりとしていない子もある。【4】「また、あしたにしようね」などと言っている子も、それは厳密にあしたということをさすのではなく、「近い将来」を意味していることも多い。
3. 【5】あるいは、何かに熱中していたが、何かで中断しなければならなくなったとき、「また、あしたにしよう」と言うのは、このことを言うことによって、中断することを自らに納得させようとする意味あいで言っている子もある。【6】この場合の「あした」は、二十四時間の経過後に存在する時期などではなく、断念しなければならないという気持ちと、何か希望を残しておきたいような気持ちの
交錯した現在の
状況をのべている表現なのである。
4. 【7】道くさをしたために
叱られる幼児たちが、悪かったという気持ちをあらわしながら、何とも納得のいきかねる表情をしていることがよくある。
彼らも
叱られながら、「おくれてしまった」「おそくなって悪かった」ということはよくわかっているのである。【8】しかし、なぜおそくなったのだろう。「ぼくは何もしてなかったのに」、「ちょっとだけ、おたまじゃくしを見てただけなのに」と思っているのである。たしかに子どもたちは「ちょっとだけ」何かをしていたのである。【9】しかし、残念なことに、それは大人のもっている時計では、「一時間」も道くさを食っていたことになるのだ。
5. おたまじゃくしを見ていた子どもが、一時間を「ちょっとの間」と思ったように、われわれ大人でも、同じ一時間を、長く感じたり短く感じたりする。【0】時計の上では一時間であっても、経験するものにとっては、その一時間の厚みが異なるように感じられるのである。もちろん、時間そのものには厚みなどあるはずがないから、あくまで、それを経験するものの主観として、厚みが生じてくるのだ。
6. 何かひとつのことに熱中していると、時間が早くたっていくことは
誰もが知っていることである。といっても、何かひとつのことを∵していると、必ず
充実した時間を過ごしたことになるとは限らない。たとえば、テレビのドラマなどを見るともなく見ていると、ついひきこまれて終わりまで見てしまう。終わってみるといつの間にか一時間たってしまっている。しかし、このあとでは
充実感よりも
空虚な感じを味わうことだってある。時間は早くたったと感じられるが、その厚みの方はうすく感じられるのである。
7. あるいは、ひとつのことをしていても時間が長く感じられるときもある。その一番典型的な場合は、「待っている」時間である。
誰かが来るのを待っているとき、われわれはなかなか他のことができない。そわそわしながら待つ。しかもその間は
随分と長く感じられるのである。「待つ」ということだけをしているのだが、時間を長く感じてしまう。
8. これらのことを考えると、自分のしていることに、その主体性がどのように関係しているかにしたがって、時間の厚みが異なってくるらしいと思われる。「待つ」ことは、受動的なことである。その人がいつ来るかは、その人の行動にまかされているわけで、待っている方としては、ただそれにしたがって待つより仕方がないのである。これはテレビの場合でも同様である。テレビを見終わって
充実感のない場合は、私たちがテレビを見たのではなく、テレビが私たちをひきこんでしまったのである。私たちは受動的に見ていたのだ。(中略)
9. テレビは見たいが勉強はどうするのか、父親は野球が見たいが子供は
漫画が見たい。これをどう解決するか。食事中にテレビを見ないのはわが家のおきてである。ところが、食事時間にどうしても見たい番組ができた。これをどうするか。
10. これらの
葛藤と対決していくことによってこそ主体性が得られる。対決を通じて
獲得した時間、それは主体性の
関与するものとして、「厚み」をもった時間の体験となるのである。
11.(河合
隼雄「子どもの『時問』体験」より)
長文 10.3週
1. 【1】激しい雨が降りつづくなかで、乗っていた特急が停まった。これで三度目だなと私は思った。
豪雨地帯だということもあるけれど、この
紀伊半島を走る紀勢線と私とは、不思議に相性が悪いらしい。過去にも二度ほど不通になった経験があった。
2. 【2】この日も見知らぬ駅に特急は臨時停車したままで、車内には
土砂崩れのために停車しているという車内放送が何度か流れた。そのうち乗客たちに牛乳と
菓子パンが配られ、そしてさらに何時間かが過ぎ、復旧のみこみがないので臨時バスで輸送することが告げられた。
3. 【3】そういえば、山が
崩れるほどの
豪雨は、私の畑のある群馬県の上野村でも、何度か経験したことがある、と私は思いだしていた。道路が全く通行できなくなって、路上でどうすることもできなくなった日もあった。【4】ところが、同じような
豪雨による
土砂崩れでも、上野村で
遭遇したときと、この紀勢線の場合とでは、私の受け取り方が面白いように
違っていた。
4. 【5】汽車が
豪雨で停まったときは、そのことに対して私は不便を感じているのに、上野村での私は、雨が上がったあとの畑仕事の段取りなどを考えて、それはそれで結構楽しんでさえいたのである。【6】
豪雨は一方では私の行動を
阻害する困ったものになり、他方では村にいるときは、私は
豪雨もまた自然の営みと受け入れていて、この雨によって生まれた自分の仕事をも、当然の村の生活だと感じていた。
5. この
違いは、どこから生じているのだろうか。【7】そんなことを考えているうちに、「場所」という言葉が生まれてきた。
6. 村にいるときは、私は村という「場所」のなかで、ものごとを考えている。そして村という「場所」は、村人の暮らすところであるとともに、自然が暮らす「場所」でもある。【8】だから自然とともに「場所」を共有する人間が、自然の営みを受け入れ、その結果生じた仕事をこなしていくのはごく当たり前のことであって、何ら自然によって不便を強いられたことにはならないのである。
7. 【9】ところが汽車のなかでは、私は営みの「場所」をもたない旅人である。この汽車のなかは、私が生活する「場所」ではない。そのような「場所」をもたない人間としての感覚が
豪雨という現象を、不便なもののように感じさせる。∵
8. 【0】とすると、人間の思考のなかには、「場所」をもつ思考と、「場所」をもたない思考とが、あることにはならないだろうか。
9. ところで、そんなふうに考えていくと、私たちが学んできた近代思想は、「場所」をもたない思想だったという気がしてくるのである。近代社会は、共同体や地域とともにあった思想を否定し、「場所」をこえた共通の思想を、その意味で
普遍的な思想をつくりだそうとした。「場所」ごとにさまざまな思想があったのでは、近代的な世界を成立させることはできなかったのである。こうして「場所」に
影響されることのない人権思想や、近代的個人観などが生まれてきた。それとともに、私たちも、「場所」に
影響されることのない
普遍的な思想こそが、すぐれた思想だと思うようになった。
10. だがそれでよかったのだろうか。私が紀勢線のなかで感じていたのは、こんな思いだった。
豪雨を不便なことだと感じる「場所」をもたない思考と、
豪雨をも村の営みのなかに包みこんでいく「場所」をもった思考。そのどちらの思考のほうが、人間や自然にとって、自由な思考なのだろうか。
11. おそらく自由もまた、「場所」とともに成立する自由さと、「場所」をもたない自由さとは異なっているはずなのである、その「場所」のなかでは、人間が
制御できない自然の動きも不自由を強いるものではないのに、「場所」を失った感覚のなかでは、
制御不能な自然の動きが不自由なものとして感じられるように。
12. 人間同士の関係でも同じようなことがいえる。その「場所」のなかで暮らしているときは、不自由と感じることなく受け入れている決まりでも、その「場所」がなければ、人間たちに不自由を強いるものでしかないものは、たくさんあるはずである。
13. とすると、「場所」は自由にどのような
影響を
与えるものなのだろうか、このような視点から、私は近代的自由を検証しなおしてみようと思う。
14.(内山 節「自由論」より)
長文 10.4週
1. 【1】「ボランティアってのは、自分にとって一銭の得にもならないことを
一生懸命やっているみたいだ。だから、ボランティアは
偉い、感心だ」。こんなふうにいう人は好意的な人だ。【2】その気持ちが少し皮肉な側に
傾けば、ボランティアは「変わった人だ」、「物好きだ」となるかもしれないし、反発心が混じれば、ボランティアは「
偽善的だ」となりかねない。
2.「
偽善的だ」と言われたとき、ボランティアは
考え込んでしまうかもしれない。【3】自分がしていることが「見返り」を求めない「尊い」
行為だと言う自信はない。もしかすると自分は、自分の力を
誇示したいだけなのではないか、弱いものと接することで
優越感を感じたいだけではないか、「こんないいことをしましたよ」と周りの人に
自慢したいだけなのではないか……と考え出すと、自分でも不安になってしまう。
3. 【4】私は、ボランティアが行動するのはある種の「
報酬」を求めてであるからに
違いないと考える。私自身の限られた経験からもそう思うし、考え方の
枠組みとして、とりあえずそのような想定をしてから出発することが有効なアプローチであると思う。
4. 【5】ボランティアにとっての「
報酬」とは、もちろん、経済的なものだけとは限らない。その人によっていろいろなバリエーションが可能なものである。私は、ボランティアの「
報酬」とは次のようなものであると考える。【6】その人がそれを自分にとって「価値がある」と思い、しかも、それを自分一人で得たのではなく、だれか他の人の力によって
与えられたものだと感じるとき、その「
与えられた価値あるもの」がボランティアの「
報酬」である。
5. 【7】ボランティアはこの広い意味での「
報酬」を期待して、つまり、その人それぞれにとって、自分が価値ありと思えるものをだれかから
与えられることを期待して、行動するのである。その意味で、ボランティアは、新しい価値を発見し、それを授けてもらう人なのだ。
6. 【8】ボランティアの「
報酬」についてわかりにくいところがあるとしたら、その本質が「閉じて」いてしかも「開いて」いるとい∵う、一見相反する二つの力によって構成されているからではないだろうか。
7. 人が何に価値を見いだすかは、その人が自分で決めるものである。【9】他人に言われて、規則で決まっているから、はやっているからとかいう「外にある
権威」に従うのではなく、何が自分にとって価値があるかは、自分の「内にある
権威」に従って、つまり、独自の体験と論理と直感によって決めるものだ。その意味で、価値を認知する源は「閉じて」いる。
8. 【0】「内なる
権威」に基づいていること、自発的に行動すること、何かをしたいからすること、きれいだと思うこと、楽しいからすること、などが「強い」のは、それらの力の源が「閉じて」いて、外からの支配を受けないからだ。しかし、ボランティアが、相手から助けてもらったと感じたり、相手から何かを学んだと思ったり、だれかの役に立っていると感じてうれしく思ったりするとき、ボランティアは、かならずや相手との
相互関係の中で価値を見つけている。つまり、「開いて」いなければ「
報酬」は入ってこない。このように、ボランティアの「
報酬」は、それを価値ありと判断するのは自分だという意味で「閉じて」いるが、それが相手から
与えられたものだという意味で「開いて」いる。
9. 「外にある
権威」だけに基づいて行動すること、つまり「開いている」だけの価値判断によって行動するのは、わかりやすいことであるとともに、楽なことだ。うまくいかなくとも、自分のせいではないし、いつでも言い訳が用意されているのだから。また、自分の独自なるものを
賭ける必要がないから、傷つくこともない。しかし、「外にある
権威」だけに
準拠して判断をするということは、物事をある平面で切り取り、それと自分との関係性をはじめから限定してしまうことになる。それでは、何も新しいものは見つけられないし、だいいち、楽しくない。
10. 一方、「閉じて」いるだけのプロセスも、複雑なところはなくはっきりしているし、周りのことを考えなくていいわけだから楽なことである。しかし、そこからは
排他性とか独善しか生まれない。つまり、「開いている」だけ、または「閉じているだけ」の行動は、わかりやすく、楽であるかもしれないが、力と
魅力に欠けるということだ。新しい価値は「閉じている」ことと「開いている」ことが∵交差する
一瞬に開花する。
11. ボランティアの「
報酬」は「見つける」ものであると同時に「
与えられる」ものであるということは、新しい価値が「
報酬」として成立するには、ボランティアの力と相手の力が出会わなければならない、つまり、つながりがつけられなければならないということだ。
12.(金子
郁容『ボランティア――もうひとつの情報社会』による。本文を改めたところがある)
長文 11.1週
1. 【1】ひとは食べずには生きていけない。そして食べるためには、食べるものを作らなければならない。
狩猟民や採集民にしても、
獲物や採集物を、調理もせずに食べるのはまれであろう。【2】調理は、人間生活におけるもっとも
基礎的な行動であることは疑いない。火がしばしば文明の
象徴とされるのも、おそらくそういう理由からであろう。
2. が、この調理といういとなみに、
奇妙なことが起こっている。【3】独身の人たちにかぎらず、料理をしないひとが増えてきたというのは、正確な数字情報はもっていないけれども、コンビニエンス・ストアやデパートの地下の食料品売り場、あるいは夜の居酒屋などの風景を見るかぎり、どうもたしかな事実のようである。【4】昼休みともなると、みずから調理したお弁当を開けるひとはさらに少なくなる。ほとんどのひとが社員食堂に行くか、弁当を買いに行く。パンや
スナック菓子ですませるひとも少なくない。
3. 【5】他方で、テレビをつければ、朝から晩おそくまで、料理番組やグルメ番組がずらっと並んでいる。ワイドショーがめじろ
押しの「主婦」の時間帯には、料理番組がもともと多い。が、最近は深夜十一時をまわってからの、それもたっぷり時間をとった番組が増えている。【6】料理のレシピを伝えるというより、あきらかにゲーム感覚のショーといった感じである。それに、ふだんとても手に入らないような食材を使っている。つまり
視聴者があとで作るであろうことは計算に入っていない。【7】そしてそれで番組がなりたっているということだ。
4. 作らないということは、食事の調理過程を外部に
委託するということだ。調理を家の外に出すということ、そのことの意味は想像以上に大きいようにおもう。
5. 【8】たしかに、むかしは調理も公共の場で、たとえば
露地の共同
炊事場でおこなわれることが多かった。それは戦後の二十年くらいまではふつうの光景だった。【9】その後料理の仕事は「マイホーム」に内部化されたのだが、現在ふたたびその過程が、わたしたちからは見えない場所に移動させられつつある。それはちょうど、かつて
排泄が野外や共同便所でなされ、
汲み取りもわたしたちの面前でなされていたのに、下水道の完備とともに
排泄物処理が見えない過程になったのと同じことである。∵
6. 【0】それとほぼ並行して、病人の世話が病院へと外部化された。出産や死という、人生でもっとものっぴきならない
瞬間も家庭の外へと去った。家で母親のうめき声を
聴くことも、赤ちゃんの
噴きだすような泣き声も
聴くことはなくなってしまった。いや、じぶんの身体でさえ、もはやじぶんでコントロールできず、体調がすぐれないときには、すぐに医院にかけつけるしまつだ。自己
治療、
相互治療の能力はほぼ
枯渇した、その点で、身体はもはやじぶんのものではない。
7. 誕生や病いや死は、人間が有限でかつ無力な存在であることを思い知らされる出来事である。同じように
排泄も、じぶんがほかならぬ自然の一メンバーであることが思い知らされるいとなみである。そういう出来事、そういういとなみが、「戦後」という社会のなかで次々に外部化していった。そして家庭内にのこされたそういう種類の最後のいとなみが、調理だった。
8. ひとは調理の過程で、じぶんが生きるために他のいのちを
破壊せざるをえないということ、そのときその生き物は
潭身の力をふりしぼって
抗うということを、身をもって学んだ。そしてじぶんもまたそういう生き物の一つでしかないということも。そういう体験の場所がいまじわりじわり消えかけている。見えない場所に
隠されつつある。このことがわたしたちの現実感覚にあたえる
影響は、けっして少なくないとおもう。
9.(
鷲田清一「
普通をだれも教えてくれない」より)
長文 11.2週
1. 【1】上野で絵を見たあと、夕方からは日比谷でチェコのヤナーチェク
弦楽四重奏団の演奏会をきいた。
2. モーツァルト、
ドヴォルジャーク、ブラームスの順に三曲きいたが、
ドヴォルジャークがいちばんであった。【2】実はこの日、はじめの二曲は二階席できいて、最後の曲を、
芝居でいえばカブリツキに当たるところの招待席できく
珍しい経験をした。そして、招待席と二階席とでは、どうも、音の大小ではなく、音色の質がかなり
違うということに気がついた。【3】正直なところ、私には、二階の方がまとまった印象をもつことができた。一階正面の最前列に座っていると、音楽がすこし近すぎるのではないかという感じである。おそらくそれは物理的で同時にまた心理的な問題であろう。
3. 【4】同じ音楽でも、あるときはひどく感心し、別のときはさほどでないことがある。それと似て、ある席ではすばらしい演奏が、ほかの席では何割か割引きしなくてはならぬということがないとは言えないだろう。
4. 【5】芸術において、作品は必ずしも絶対ではない。時、所を
超越して価値にすこしのくるいもないという芸術がないのは、どんな作品にも、それを受けとる人間の心が必要だからで、両者のふれ合うところにしか美は生まれない。
5. 【6】そんなことを考えるともなく考えていると、きょうめいということばが頭に
浮かんだ。
6. 人の意見に共鳴する、などと、いまでは
比喩として用いられるが、もともとは物理現象を指すことばであって、いまも物理学で共鳴という術語は生きている。
7. 【7】むかし中学校で共鳴の実験をしたものだ。
振動数の等しい二つの
音叉の一方を鳴らすと他方もつられて鳴り出す。その実験、やれと言われてやっただけで、別に不思議とも思わなかったが、いまから考えると、もったいないことをしたものだ。【8】もうすこしよく心に留めておけばよかったと
悔やまれる。いまやりたくてもだいいち
音叉がない。それはとにかく、
比喩であることすら忘れられて使われている。
8. 【9】共鳴ということばを、もう一度、物理の世界へお返ししてみると、そこに、われわれの芸術的感動の原理のようなものが、チラリと姿をのぞかせるように思われる。∵
9. われわれはみんな心の
奥に
音叉をもっている。【0】絵を見、音楽をきき、詩や小説を読む――そういう外からのいろいろの
刺激は意識されない波となってこの胸中の
音叉に達する。それによって、われわれは「心を動かし」、「感動し」、あるいは「心の
琴線にふれた」と言うが、要するにそれは共鳴である。
10. ただ、物理実験で使用する
音叉には
振動数がはっきりしているのに、心の
琴線が共鳴をおこす
振動数はまだはっきりしていない。それがとらえられれば、
鑑賞が学問となるかもしれない。
11. 芸術的共鳴の成立する条件については何ひとつわかっていないが、
鑑賞者が作品、表現にあまり接近しすぎては共鳴に不便らしいこと、その
距離が美感に関係のあるらしいことなどは見当がつきそうである。ひょっとすると、共鳴によって芸術の
与える感動を説明できるかもしれない、そう思ったら、自分でもおかしいくらい心が高ぶって来た。
12.(
外山滋比古「きょうめい」より)
長文 11.3週
1. 【1】じつは、「正しい」という言葉には、真理という意味と正義という意味の二つが
含まれている。真理のほうは、どちらかというと、事実に
合致しているとか、論理的に整合的だとかいう意味であるため、客観的に証明できる可能性が高い。【2】しかし正義というのは、人間としてのあり方が正しいという道徳的な意味合いが強いので、主観的な色合いが強い。だから客観的に主張できないところがある。【3】そして正義を旗印にして不正義をしたり、
侵略することもできる。歴史を調べてみると、悪いことは必ず正義の旗印のもとになされたと言う人もいる。そこで、正義など
掲げる奴は悪い
奴ばかりだと言って、正義という言葉そのものに不信感をぶっつける人もいるくらいである。
2. 【4】正義というのは、人間として道理にかなっている、人間としてあるべき正しい姿に
合致しているということ。うそ、いつわり、ごまかし、
汚いことをしないという意味である。【5】自分が正しいということは、世の中のほうが
間違っている、それと対立している自分のほうが正しいという判断と感情をもつことである。その
間違っている世の中に合わせると、本来の自分が失われてしまうことになる。【6】正しいと思う自分を
貫くということが、「個性化」の道を歩むということである。
3. ただし、そのときに注意しなければならないことがある。それは第一に「正しさ」の主張が「ひとりよがり」になってはならないということである。【7】自分が「正しい」と思っていたことが、「正しくなかった」と思い知らされることもある。それが「一段上の基準や立場から自我が否定される」ということであり、自分の価値観を変えなければならないという体験である。【8】この体験も個性化の中でよく起きることである。このように自分の「正しさ」について
謙虚にならないといけないが、そうかといって、自分だけで正しいと思うように暮らしていれば事足りるというのではない。【9】自分だけ好きなように暮らすということだけでも、周囲の人たちの支持や理解がないと不可能である。本人が変わっていればいるほど、周囲の人たちの理解がないと、なかなか生きていくことさえ難しい。自分の「正しさ」をどれだけアピールできるかが大切なのである。【0】そしてそのためには、自分の「変わっている」ところが、どれだけ
普遍性をもっているか、そしてそれをどれだけ主張できるかが、も∵っとも大切なのである。
4. 以上のように「正しさ」を考えるときには、一方で自己主張し、他方では
謙虚になることが大切だが、しかしそういうことも、じつは「正しさ」や「価値」を追求しているからこそ起きるのである。「正しさ」そのもの、価値そのものを否定してしまっては、自分が「変わる」ということも起こりえないのである。
5. このごろ、「価値の多様化」とか、「多様な家族」とか、「人間いろいろあるのがいいんだ」などということを、したり顔に言う人がふえてきた。それらは「絶対に正しいことなんかないんだ」という意味を
含んだ言葉である。「絶対に正しいということはない」という命題は正しいと思うのだが、それがさらに進んで「正しいと思うことを主張してはいけない」となると、自己
矛盾を犯すことになる。「正しいと思うこと」を主張し合うのが「価値の多様化」ということではないだろうか。「正しいことは何だ」ということを追求してはいけないと言ったら、多様化もなにもあったものではない。各人が自分の正義を追求するからこそ、多様な価値観が生まれるのである。正義や真理を追究してはいけないとなったら、多様もなにも、価値そのものがなくなってしまう。「価値の多様化」を主張している人たちの多くの部分が、じつは価値の消失をひそかに願っているのかもしれない。
6. 結論を言えば、「個性化」にとっては、
普遍的な意味を追求するという姿勢が大切なのである。何が
普遍的なのか、正義感があるほうが
普通なのかないほうが
普通なのか、お
化粧をするほうが
普通なのかしないほうが
普通なのか、そういうことに絶対的な基準はない。でも、どちらが正しいか、という各人の観点は必要である。それが「個性」であり、何が正しいのかを追求することなしに個性化はありえない。答えがそれぞれ
違ったら、きちんと理論的にも感情的にも納得させることのできる内容をもって自己主張するべきである。何人を納得させればいいのか、ということではないが、まあ最低限一人くらいには納得させるものがなくてはならないだろう。
恋人、夫、妻、親、子……。そのうち一人も納得させられないようであれば、それは個性とは言えない。
7.(林道義「心の不思議を解き明かす」より)
長文 11.4週
1. 【1】なかでも、
二十歳になったばかりの障害者の
娘さんが
車椅子でひとり旅をする、その一部始終をとったフィルムが素晴らしいものだった。京都を見てから、さらに田舎のお
祖母ちゃんに会いに行く、その旅の終り、
娘さんは新しい経験で強くなった、しかし苦しみと徒労感のあとすらもきざまれている、
気丈さと
翳りのある美しい表情で、旅が教えてくれたことを話した。
2. 【2】その言葉どおりここに書きしるすことは、本人の
承諾をえていない以上さしひかえるが、次のような意味のことが語られて印象に
濃くきざまれたのである。障害を持っている人間もどんどん外に出て行って、自分のしたいと思うことをすればいいと思う。【3】他人に
迷惑をかけてもいい。健常者に手助けをもとめて、たとえそれが
迷惑をかけることになっても、自分の意志をとおして、本当にやりたいことをやるといいと思う……
3.(中略)
4.
娘さんは出発をきめると、親を説きふせ、自分で旅の予定地のホテルにも予約の電話をかける。【4】集団でではなく、ひとり旅で、しかも
車椅子のという条件に、電話の向こうで
突っけんどんにことわる相手もいれば、部屋へ入るまでの通路がどういう構造になっているかを
丹念に説明して、
娘さんの
宿泊が可能であることを教えてくれる相手もいる。
5. 【5】
僕の
娘も、サークルで障害者の仲間たちとの旅を計画するシーズンになると、毎日毎日、予定地の安い宿舎との談判を電話で
繰りかえしていた。その電話をやはり
脇で聞きながら、現在わが国の障害者が、そうした所でどのようなあつかい方をされているかの実態にふれる思いがしたものだった。【6】しかし決してあたたかい対応を期待できない電話に、こちらの条件をはっきり
呈示しながらねばり強く
交渉をつづける障害者の
娘さんを見ていると――
ヴォランティアー側の
僕の
娘もふくめて――、新世代の、ある強さというものも感じないではいないのだった。
6. 【7】さて困難もあり感動もあった旅の終点に、
娘さんは田舎のお祖母ちゃんの家へと
辿りつく。旧家の印象の、落着いた
玄関で
娘∵さんは
車椅子のまま待っている。【8】事故の後、はじめて会うお祖母ちゃんが
驚くのではないかと気にかけながら、しかし幼女の
頃、そのお祖母ちゃんに可愛がられた様子のあきらかな
娘さんは、ひとり
車椅子でやって来たことを
誇らしくも感じている……。
7. 【9】そこへお祖母ちゃんは、着物の前がはだけてしまいそうになるほど気持ちを急がせて、
這いながら
迎えに出るのである。そして行なわれたほとんど言葉もない対面のなんと感動的だったことだろう。【0】(中略)
8. やがて
炬燵を間にむかいあって
坐ったふたりは、とくに言葉をとりかわすというのでもない。老人性
痴呆とはいわぬまでも、それに近い状態で、家人に幼児あつかいされるかたちで暮している模様のお祖母ちゃんには、急に言葉も出てきにくいはずだし、
介ぞえ役のお
嫁さんが手ぎわよくかわりの発言をしてさばいてしまうのであるから――話がそれるが、
僕は自分の身のまわりにも、このようにして言葉をもぎとられてしまう老婦人を見て来た――。
9. そのうち
娘さんが、お祖母ちゃんのために京都のお寺でお守りを買ってくれていたことがわかる。もらった包みからもどかしげにそれを取り出して喜びをあらわすお祖母ちゃんは、その老年による障害、つまり
老衰とそれに
付随してのすべてを受容している人だと感じとられてくる。(中略)
10. この祖母と
孫娘とが、ともに健康であったとして、かならずしもこれだけ深い理解関係をかちとりうるときまっていなかっただろう。祖母の方が、どうしても
避けることのできない
老衰へとしだいに下降しつづけるのであれば、それに
反撥するのも、健康なさかりの
孫娘の自然な生理ではないか? しかし、
テレヴィ・フィルムのおたがいにその障害を受容している老若の女性は、じつにあたたかくおたがいを理解して、優しく向かいあい、そのふたりをつつむ
微光は尊敬をさそうほどの上品さなのであった。
11.(
大江健三郎の文章による)
長文 12.1週
1. 【1】自然科学の中のどのような分野の研究にあっても、研究がその分野の進展に対する何らかの
貢献となることを目指している以上、そこでは、科学者が行うことは、未知の土地に
踏みこむ探検家のすることに似た点があると言えよう。【2】当面の研究テーマの中に新しい事実の発見をするとか、
既知、あるいは、新発見の事実に対する新しい
解釈や理論を構築するとかいったことが、進歩への
寄与となるのであるから、研究の最前線に立っていれば、科学者個人は自分固有の研究プランや方法に従って研究を進めることになるのは当然であろう。【3】そのとき、自分のもつ研究に対する現状
分析の結果や見通しが、大きな役割を果たす。これらを持ち合わせていなかったら、進歩への
寄与となるような研究成果があげられることなど、ほとんど期待しえないからである。
2. 【4】このような
分析や見通しが立てられるためには、何が自分にとって疑問なのか、それをどのように解き明かしていったら研究成果につながるのかといった、いわば現実的なテーマヘの
迫り方が重要となる。【5】したがって、この作業はきわめて個人的なものであって、客観的に
誰にでも当てはめられるというものではない、ということになる。
3. 【6】科学の研究というと、私たちがしばしば聞かされるのは、大方に受け入れられるような
一般的な方法があるというもので、その典型的なものとして、帰納と
演繹との二つの方法があげられる。【7】だが、これらの方法が適用される以前になされるべきことのあることが、忘れられてはならないと私は考える。それは、これらの方法を研究に用いることができるためには、科学者の心中に、研究の出発点を決めるある種の仮説とかアイデアがなければならないからである。【8】もしなかったとしたら、どのように研究を進めればよいのかとか、どんなデータを集めればよいか、あるいはまた、どのように理論的に
攻めていけばよいのかといった、研究の進め方が確定されえないはずなのである。
4. 【9】こうした、研究を進めるに当たっての指針となる仮説やアイデアは、「作業仮説」としばしば呼ばれるが、これなしには、私たちには研究が進められないのだという大切な事実を忘れてはならない。
5. 【0】この研究テーマの向こうに何かまだ知られていないこととか、∵理解されていない何かがあると感じるのは、たぶん、きわめて個人的なもので、客観性などないものであろう。個人のもつ現状
分析の結果が、他の人々とみな同じだったとしたら、ある科学者がある分野の研究の
突破口を開くなどということは、なくなってしまうであろう。
誰にも同じことができるはずだ、ということになってしまうからである。一人ひとりがまったく異なった
描像を研究の現場にあって持っているからこそ、ある人には大発見に至る道が開かれたりすることになるのである。
6. ある分野の進歩に
寄与することになった何らかの研究成果をあげられた人々に、そのような成果をあげることになった手順、あるいは、行き方を客観的に説明してみよと
尋ねても、たぶん、その説明はできないであろう。そこには、「何かあるに
違いない」といった信念が背景にあり、それからアイデアや作業仮説がつくられていったのだからである。最前線にあって、科学者がしていることを理解するには、アインシュタインが言ったという、「科学者の言うことよりも、
彼らが実際にやっていることを見る」ことが、大切なのである。研究成果があげられて、研究の経過が系統的に、当の科学者によって語られるときにはすでに、研究の現場で実際に起こっていたことはほとんどすべて忘れられてしまい、客観性をもった説明だけが残ることになるからである。ここから、科学の研究は客観的に進められるもので、科学には固有な研究方法があるのに
違いないという誤解が生まれてくるのである。
7. 科学の研究は、「科学的」に進められるのかという疑問については、その成果が客観的で、大部分の科学者にとって、当然、あるいは、必然なものとされ、受容されて初めて「事実」として一応承認されるという実際の手順から見れば、「そうだ」と答えたくなる。だが、研究の現場で実際に起こっていることと、あげられた成果の客観性の
解釈とを混同してはならない、と私は考えている。
8.(
桜井邦朋「自然科学とは何か」より。一部表記を改めたところがある。)
長文 12.2週
1. 【1】常識という言葉を辞書を開いて調べると、「
一般の人が持っている、また、持つべき知識・理解カ・判断力」といった
解釈をしている。
2. ただ、私個人の
解釈を言うなら「社会生活を営むうえで、当然知っている、と予想される知識」となるかもしれない。【2】この「当然知っている、と予想される」というところがこの言葉の難しいところだ。つまり、個人個人の考え方や生きてきた
環境が
違えば、この「当然知っている、と予想される」内容も少なからず
違ってきてしまうからだ。
3. 【3】私の父、京助は東北の岩手県出身、母は
生粋の
江戸っ子だった。この二人はしょっちゅう意見が
衝突していたが、それは正月の
雑煮は何を入れるか、といった大変ささいなことから始まっていた。【4】父は絶対
鮭の子を入れなくては正月のめでたい気分は味わえない、と言い、母はお
雑煮にそんな生ぐさいものを入れるなんて聞いたことがない、と反論する。
4. つまり、父にとっては
雑煮には
鮭の子を入れる、ということが「常識」なのであり、母にとっては入れないことが「常識」なのである。【5】そしておたがいに自分の「常識」が正しいと
思い込んでいる。相手も自分と同じ考え方をするはずだ、と予想し、それが外れると、「あの人は常識がない」という言い方をする。つまり「常識」とは大変個人的な考え方の尺度だ、と言えると思う。
5. 【6】「世間」という言葉がある。これを英語に訳すとWORLD(ワールド)になるが、「世界」と「世間」はちょっと
違う。「社会」とも似ているが、受ける感じはやはり
違う。土居
健郎氏の『
甘えの構造』によると、日本人の生活は一番内側に身内の世界があり、これは
遠慮がいらない。【7】その外側に世間があり、そこでは
窮屈な
心遣いをすべきである。そしてその外側にまったく
遠慮のいらない他人の世界があると考えられてきたのだそうだ。
6. 日本人にとって「常識」が大切になるのは、この「世間」の世界である。【8】ここでは身内の世界で学んだ「常識」がいろいろな形で試されることになる。「世間さまに笑われる」とか、「世間に出∵て
恥をかく」というような言葉はいかにも日本的だ。
7. しかしこの「世間」から
抜け出して、まったく他人の世界に行ってしまえば、「常識」はそれほど大切ではないという考えになってしまうようだ。【9】日本人は公徳心がないとよく言われる。公園や道路に空きカンを投げ捨てたりするのは、この辺に原因がありそうだ。「旅の
恥はかきすて」などとも言う。
誰も知っている人がいなければ、何をしてもいいというわけであろう。
8. 【0】
欧米にも我々のような社会生活を営むうえでの「常識」というのは当然ある。そしてそれは日本人の「常識」としばしば
食い違うのもおもしろい。たとえば、私があるアメリカ人に大変世話になって、その次にその人の妹に会った。
彼にはとても世話になったのでよろしく伝えてください、と
頼んだ。日本人なら至極あたり前のことだ。ところがその妹はつっけんどんに、私と兄とは別々の人間で関係ない。そのようなことを
頼まれるのは
迷惑なことだ、と言うのでびっくりした。アメリカ人にとってはそんなことを言われるのは、常識外れということらしい。私はつくづく難しいものだと思った。
9.「郷に入れば郷に従え」という。つまり、「常識」というのは、そのくらい地域や家庭によって
違う、ということだ。逆に言えば「常識」とは、必ずしも
普遍的な知識ではなく、また合理的ですぐれたルールというわけでもないのである。
10.(金田一
春彦「日本語を反省してみませんか」より)
長文 12.3週
1. 【1】二一世紀を資源
循環型社会に
転換させていくために守らなくてはならない常識を広く
浸透させるためには、
環境倫理の確立が望まれる。具体的には、
環境倫理を国民の守るべき最優先モラルのひとつとして位置づけ、幼児から
環境教育を
徹底させることが必要だ。
2.【2】『
大江戸リサイクル事情』『
大江戸エネルギー事情』などの著書がある作家の石川
英輔氏によると、
江戸時代は、世界に例のないような見事な資源
循環型の社会をつくりあげていたとして、様々な事例を
紹介している。【3】資源を大切に使う、
無駄なくリサイクルさせるといった「もったいない精神」が、人々の心の中に自然な形で息づいていた。
3. たとえば、農産物の消費地である
江戸と、人間の
排泄物である下肥を肥料として使う農村との間では、完
壁といってよいほどのしっかりしたリサイクルの輪ができていた。【4】下肥を運ぶ「部切船」が
頻繁に
江戸と農村を行き来していた。下肥を使う習慣のなかった西洋では、同じ時代、
排泄物を川や
排水用の
溝に一方的に捨てていたので、たとえばパリのセーヌ川やロンドンのテームズ川は
汚物が
腐敗し、住民は
悪臭に
悩まされた。【5】このころの
江戸は、資源のリサイクルが
徹底し、世界一清潔な都市だった。
4. 明治に入ってからも、日本人の伝統的な節約心、もったいない精神は脈々と生き続けてきた。それがすたれてしまったのは、第二次世界大戦後、高度成長の時代に入ってからである。【6】「大きいことはいいことだ」といったテレビコマーシャルが一世を
風靡し、バブル期には、ガソリン消費量の大きい三ナンバー(大型車)がもてはやされた。冷蔵庫も電力消費量の大きい大型のものがよく売れるようになった。【7】使い勝手のよい「使い捨て商品」が
奨励され、家電類やワープロ、パソコンなども
頻繁にモデルチェンジが行われ、新製品が次々登場した。
5. 【8】大量生産、大量消費の経済の歯車が順調に回転するためには、製品を量産することが欠かせなかったし、そのためには、まだ使える製品をせっせと捨てさせることが、新しいマーケティングの手法∵として
歓迎された。【9】消費者も、便利な使い捨て文化に
浸ることが、時代の
先端を行く消費行動と
思い込んでいた。それが、当時を支配する時代の空気だったのである。だがそうした一方通行型の経済システムが長く続くはずはなかった。地球の資源は無限ではなく有限であり、
酷使すれば
劣化する存在でもあるからだ。
6. 【0】日本人にとって、
環境倫理の確立はそれほど難しいことではないだろう。日本人にはもともと、資源を大切に長持ちさせて使う、
無駄をなくす、リサイクルさせる、
環境を悪化させない――といったもったいない精神が伝統的に身についている。それが戦後の数十年の間、
脇道に
逸れてしまった。それを元の
軌道に
戻せばよい。今でも、地方に行くと、もったいない精神を身につけたお年寄りが多い。
彼らは、小さい時から、親や小学校の先生から物を大切に使うこと、
環境を
汚さないことなどを
徹底的に学びながら育った。同じような
環境教育が今、再び求められている。
7.(三橋規
宏「ゼロエミッションと日本経済」より)
長文 12.4週
1. 【1】牛の生き血を満たしたコップが目の前にさしだされたとき、頭に
浮かんだのは「
細菌がいっぱいだろうな」だった。
2. しかし、見つめているマサイの若者たちの手前、飲まないわけにいかない。思い切って一気に飲んだ。【2】意外に血のにおいはしない。私の
懸命の表情がおかしかったのだろう、若者たちが手をたたいて笑った。
3. アフリカ特派員時代、マサイの伝統的な生活が見たくてケニアのサバンナを訪れた。出会った遊牧のマサイ青年たちに同行を認めてもらい、
彼らと
一緒に野宿した。【3】その翌朝、生き血の接待にあずかったのである。
4. 伝統的な生活をするマサイの人々は、野菜や穀物をいっさい口にしない。土から生えてくるものは
不浄だとする教えがあるからだ。食べるのは肉、乳、血だけである。【4】それでも
脚気や
壊血
症のようなビタミン
欠乏症にならないのは、牛が草を食べてとったビタミンを生き血から
摂取しているためだった。
5.
細菌の
恐れがある牛の血など飲まず、
新鮮な野菜を食べればいいではないか。【5】穀物や野菜は
不浄だなどという不合理な考えは捨てて……。そこまで考えてハッとした。
6. マサイが住むサバンナでは、雨が年間に三百ミリ程度しか降らない。平均千八百ミリといわれる日本の六分の一以下だ。【6】そんな土地で農耕に
依存する生活を始めたら最後、たちまち干ばつに
悩まされることになる。民族の存亡にも関わる問題だ。そのため
彼らは、「土から生えるものは
不浄だ」という教えで農業を遠ざけ、遊牧の生活に
依拠しているのではないか――。【7】牛の生き血を飲むのは、
野蛮で未開だからではない。そうしなければ生きていけない
環境に住む人々の、生活の
知恵だった。
7. 牛の血だけではない。アフリカ南西部のガボンでは、知らずにサルを食べてしまったことがある。【8】食事がすんでから、シチューの中身がサルの肉だったことを教えられた。なぜガボンの人々はサルなど食べるのだろう。
8. サバンナと逆に、ガボンは熱帯雨林帯にあり、年間降水量が五千ミリに達する。【9】ちょっと
奥地に入ると
巨大な樹木がびっしり密生∵しており、農業をしたり、牛や羊を飼うような開けた土地を確保するのはむずかしい。人々は生きていくため、密林の中でたんぱく質を手に入れなければならない。密林のたんぱく質――それがサルだったのだ。
9. 【0】一方でアフリカには「食べない文化」もある。イスラム
圏の
豚肉だ。
10.(中略)
11. ユダヤ教も
豚肉を食べないのは同じだ。ある日、ユダヤ人の知人から「
反芻しない動物は食べられないことになっている」と聞いて合点がいった。
12. 牛や羊、ヤギ、ラクダなどの
反芻する動物は、草を食べて消化する能力がある。人間は草を消化できないから食べない。したがって、牛と人間が食物をめぐって競合することはない。しかし
反芻しない
豚は草を食べることができず、穀物を食べる。したがって人間と競合する。
13. ユダヤ教やイスラム教が生まれた土地は
砂漠の
荒れ地だ。苦労してつくったわずかな穀物を、
豚に取られてはたまらない。
豚肉は、牛肉や羊肉にくらべてくさみがなく、やわらかい。権力者や金持ちは、
庶民から穀物を
奪ってでも
豚を育てようとするかもしれない。それを防ぐために「
豚を食べてはいけない」と教えたのではないか――。
14. 食文化というのは、暑さ寒さや雨の量、地形風土、その他もろもろの
環境の
影響を受けながら、長年かかってその地域で形成されてきたものだ。未開とか
野蛮とかいうレベルの問題ではないのである。
15. 気候や風土などの
環境は、食に
影響を
与えるだけではない。人々の社会生活やものの考え方、宗教にも
影響していく。
16. 特派員としてアフリカ大陸で八年暮らした。その中で、「食べる」とか「
寝る」という
行為を通じて「なぜ」を考え続けた。異文化と出会ったとき「
野蛮!」と切り捨ててしまってはいけない。「なぜ?」と考えていけば、その根っこにあるものにさわれるかもしれないのである。 (松本仁一「異文化の根っこ」による)