1明治十年(一八七七)に英語のソサイエティが社会という言葉に翻訳され、明治十七年にインディヴィデュアルが個人という言葉に訳された。しかし訳語が出来ても社会の内容も個人の内容も現在にいたるまで全く実質をもたなかった。2西欧では個人という言葉が生まれてから九世紀もの闘争を経てようやく個人は実質的な権利を手に入れたのである。日本で個人と社会の訳語が出来てもその内容は全く異なったものだった。なぜなら日本では古代からこの世を「世間」と見なす考え方が支配してきたからである。3では、この「世間」はどのような人間関係をもっていたのだろうか。そこにはまず贈与・互酬の関係が貫かれていた。「世間」の中には自分が行った行為に対して相手から何らかの返礼があることが期待されており、その期待は事実上義務化している。4例えばお中元やお歳暮、結婚の祝いや香典などである。
重要なのはその際の人間は人格としてそれらのやりとりをしているのではないという点である。贈与・互酬関係における人間とはその人が置かれている場を示している存在であって、人格ではないのである。5こうした互酬関係と時間意識によって日本の世間はヨーロッパのような公共的な関係にはならず、私的な関係が常にまとわりついて世間を疑似公共性の世界としているのである。
6贈与の場合それは受け手の置かれている地位に送られるのであって、その地位から離れれば贈り物がこなくなっても仕方がないのである。贈り物の価値に変動がある場合も受け手の地位に対する送り手の評価が変動している場合なのであり、あくまでも人格ではなく、場の変化に過ぎないのである。7しかし「世間」における贈与は現世を越えている場合もあり、あの世へ行った人に対する贈与も行われている。
日本における人間関係を考える場合、この贈与・互酬慣行を無視することは出来ない。8何らかの手助けをして貰ったときなどにもお礼としてものなどを送ることがある。その場合にも返礼はしなければならないが、場合によっては礼状で済ますことも出来る。日本で人間関係を良く保ちたいと思えば、この慣行をうまく利用することが必要となる。9単に場に対する贈り物であっても、自分の人格
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