長文 4.1週
1. 【1】たとえば粗大そだいゴミのゴミ捨てす 場へ行くと、まだまだ使えるものがいっぱい捨てす てある。それは環境かんきょう汚染おせんするわけです。そんなことならばもうちょっと高くても品質ひんしつのいいものを買って、おじいさんから孫まで生活の思い出の残るものをずっと伝えていけば家具なども捨てす なくていい。【2】そうすればゴミ捨てす 場もそれだけよけいな負担ふたん背負わせお ずにすむわけです。けれども、日本人は使っては捨てす 、使っては捨てす という生活に疑問ぎもんを持っていません。
2. 【3】何年も寸法すんぽうひとつ狂わくる ずに、引き出しもとびらもピッタリとしている家具への愛着は、毎日の暮らしく  、人生、自分の世界をつくっていたものへの愛でもあり、そういう年月に耐えるた  ものをつくった人の腕前うでまえに対する尊敬そんけいでもあるわけです。
3. 【4】たとえば何代も読みつがれる名作といわれる文学作品は、アブクのように消えるいわゆる「よみもの」よりも多くの人に長く愛され、尊敬そんけいされているでしょう。いつまでも本棚ほんだなに置いておきたいと思うでしょう。【5】そこから得たものは、それぞれの人格じんかくの中に深くはいりこんで、読者の人間を豊かゆた にしたでしょう。すぐに忘れ去るわす さ 一過いっかせいのよみものとは、違うちが ものだと思います。それはモノに対しても同じであるはずなんです。
4. 【6】では、ほんとうの豊かゆた さ、なんとなく豊かゆた な気持ちで毎日が送れる時とはどういうときかと考えてみますと、『パパラギ』という本をお読みになった方がいらっしゃるかどうかわかりませんが、南のある島の酋長しゅうちょうが書いた本です。【7】その中でこういうことを言っている。人間というのは頭だけで生きているのではない。足だけで生きているのでもないし、手だけで生きているわけでもない。心もあるし、身体もあるし、頭もある。【8】頭も手も心で感じることも、目も耳も全部が同時に満足することが必要だ、ひとつに統一とういつされた満足感が必要だ。そういう生活が人間として幸せで豊かゆた な生活なんだと言っている。
5. 頭だけあるいは手だけを酷使こくしして、ほかのところを顧みかえり ないと、人間は必ず病気になり、健康な心と身体を失う、と言っています。∵【9】つまり人間は、全体で生きていて、全体を働かせ、全体を楽しませ、全体がひとつとなって幸せになることが豊かゆた なのだと言っているのです。一部分だけが満足している状態じょうたいは、病気だと言っているのです。【0】
6. 同じことは教育の中にもあります。教育は全人格じんかく発展はってん、人間としての成長を促すうなが ものですが、現在げんざい、日本の教育は偏差へんさの点をとる教育になっています。だから学校は楽しくない。人間の子として楽しくないのです。
7. また、日本は労働時間が非常ひじょうに長いです。残業をすれば残業手当てももらえます。お金だけ、あるいは企業きぎょうの中で出世することだけを考えれば、頭と職業しょくぎょうに必要な手、目だけを働かせて「職業しょくぎょうバカ」になることもできる。それが日本ではたいへんいいことだと考えられている。あの人は会社のためにつまも子も忘れわす 、一身を捧げささ て、ただただ会社のために尽くしつ  てきた。企業きぎょうにとってはいい社員であるのですが、そういうのは豊かゆた ではないと『パパラギ』は言っている。
8. つまり、会社人間は、ある専門せんもん的なことについてはベテランになっていくし、お金も儲けるもう  かもしれません。しかし、もしその人が学校を出てからまともな本を一さつも読んでいない。自分の仕事にかかわるものは読んでいるかもしれないが、人間の土台になる教養というものは、何も身につけていない。会社で働くだけで、それこそ図書館にも行かないし、山登りもしないし、音楽会にも行かないし、地域ちいき社会のために何かをするということもしない。ただ会社で働くだけ。だとしたら、まったく豊かゆた ではありません。それは人間としての生活ではないからです。

9.(暉峻てるおか淑子いつこ『ほんとうの豊かゆた さとは』「岩波ブックレット」より、一部改変)