長文 4.2週
1. 【1】あることがらや出来事をわたしたちが他の人に伝えたいと思った時、大きくわけてふたとおりの方法が考えられます。一つはそれを写真やビデオに写して見てもらうということです。もう一つの方法は、手紙を書いたり電話をしたりして、読んだり聞いたりしてもらうということ」です。【2】かりに、前者を「映像えいぞうによる伝達」、後者を「言葉による伝達」と呼ぶよ ことにしましょう。
2. さて「映像えいぞうによる伝達」と「言葉による伝達」を比較ひかくした場合、どちらが、ことがらや出来事を正しく伝えることができるかと質問しつもんされたら、みなさんはどう答えますか。
3. 【3】最近は、テレビやビデオなどの目覚ましい発達にともなって、映像えいぞうの力をわたしたちもいやというほど見せつけられることがしばしばです。特に、衛星えいせい放送が可能かのうになってから、わたしたちは、世界で起きている出来事をいながらにして同時中継ちゅうけいで見ることができるようになりました。【4】ごく最近の中国の天安門事件じけんの時も、そこに集まった群衆ぐんしゅう熱狂ねっきょう的な姿すがたや、その後の軍隊の出動の様子などは、まるでわたしたちがそこにいるかのような錯覚さっかく与えるあた  ほど生々しいものでした。【5】そうした、生々しいリアルな映像えいぞう接するせっ  と、その迫力はくりょく圧倒あっとうされてしまい、「映像えいぞうによる伝達」の前では、「言葉による伝達」もかげがうすくなってしまうように思えます。そして、さきほどの質問しつもんにも、文句もんくなしに「映像えいぞうによる伝達」に軍配をあげることになりそうです。【6】昔から「百聞は一見にしかず」ということわざもあり、「映像えいぞうによる伝達」の優位ゆういは、疑えうたが ないことなのかも知れません。
4. しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。ほんとうに「言葉による伝達」は、おとっているのでしょうか。【7】たとえば、みなさんのことを全く知らない人に、みなさんの家族の紹介しょうかいをしようという時、家族全員のそろった写真をとって送れば、一番てっとり早いし、なによりも分かりやすいように見えます「しかし、それで、ほんとうにみなさんの家族を相手の人によく理解りかいしてもらえるでしょうか。【8】なるほど家族それぞれの顔や姿すがたなどは、言葉で説明する∵より分かりやすいでしょう。そして、家族全体の持っている雰囲気ふんいきのようなものも、ある程度  ていどはその写真によって伝わることでしょう。しかし、それ以上のことになるとどうでしょうか。【9】その写真ではみんなニコニコ笑っていても、ひょっとしたら、兄と弟は口もきかないような関係にあるかも知れません。父は、実際じっさいには病気がちで、家族のみんなが心配しているような状態じょうたいにあるかも知れません。【0】母は、心の中では、夫の病気や子供こどもたちのことをいつも気にして、疲れつか ぎみかも知れません。そうした、少し入り組んだことは、やはり一まいの写真では表現ひょうげんすることはできないでしょう。その写真をみた人は、「ああ、幸せそうな家族だな」というふうに理解りかいして、それで終わりということになりかねません。
5. それに対して、言葉で書いた文章では、家族の顔や姿すがたを十分には伝えることはできないでしょうが、家族の中のかなり複雑ふくざつな問題でも、説明することができます。それによって、写真では伝わらない家族のほんとうの姿すがたを相手に伝え、理解りかいしてもらうことができるのです。
6. 映像えいぞう瞬間しゅんかん的に人をとらえ、その中に引きこみます。その魅力みりょくわたしたちはよく知っています。そして何よりも、映像えいぞうはリアルです。しかし、そこに落とし穴お  あながあることも事実なのです。つまり、わたしたちはしばしば、映像えいぞうを「現実げんじつそのもの」と思ってしまうというあやまちをおかしてしまうのです。
7.(中略ちゅうりゃく
8. 「映像えいぞうによる伝達」と「言葉による伝達」では、いちがいにどちらがすぐれているとは言えないでしょう。しかし、「映像えいぞうの時代」などと言われる現代げんだい社会では、わたしたちは、ともすれば「映像えいぞうによる伝達」を過信かしんしがちです。「文章のウソ」以上に「映像えいぞうのウソ」は危険きけんなのです。わたしたちは、そういう「映像えいぞうによる伝達」の危険きけんせいをよくわきまえて、常につね 真実とは何かを考えるように心がけなければなりません。