1. 【1】表面的な生活の上では、人間というものは、案外に早く
適応するものだ。二十年前のことなど、すっかり
忘れて、今の生活にどっぷりつかることが
可能である。
2. しかし、心の底のほうは、それほど早くは、変われないのではないだろうか。【2】さらに、人間たちの心の共通の底、いわば人間たちの文化と力とか、
情感とかいったものは、それほど変われないのではないだろうか。
3. これも、表面的には
風俗はめまぐるしく変わる。流行のうつり変わりは早い。それにともなって、生活
態度も変わる。【3】表面的に見るかぎり、人間の
価値観が、どんどん変わっているように見える。
4. とくに
若者の場合、古いものを持たないだけに、その時代の
表層感覚をものにすることは
簡単である。いつでもおとなたちは
若者を特別の目で見ようとする。【4】ぼくの
若い時代だってアプレ(戦後
派)と
呼ばれたものだ。
5. それでも、
表層意識ではなくて、人間たちに共通の、
深層の
無意識にとっては、時間の流れは意外におそいのではないだろうか。それが、文化といった形になるには、ゆっくりとした時間が必要なのではないか。【5】それで、あまり急速な変化は、
深層の
無意識によって
裏ぎられたりする。
6. ぼくはなにも、いままでの
秩序感覚を
絶対的なものと、考えるわけではない。それも、
表層のもので、
秩序感覚なんてのは、どんどん変わったところで、人間はそれに
適応できるものだ。【6】たとえば、都市化が進めば、たいていの人間は、とくに
若者は、都市的な感覚で
暮らせるようになるものだ。都市には都市なりの
秩序感覚が生まれる。それでもぼくには、その
深層の
無意識は、そんなに急には変わらないのではないか、と思えるのだ。
7. 【7】たとえばぼくは、月に何回かは、東京と京都を日帰りで
往復するような生活が
表層では自然なようになってしまった。しかし、∵なにかしら
深層では、そうした時間でそれだけの
距離を
往復することへの
抵抗がある。【8】
移動が
可能になった便利さへの
抵抗、そんなものを感じてしまうのである。
8. もっとすごい人だと、昨日はパリ、今日は東京、明日はニューヨーク、なんて人もあるかもしれない。そのうちに、それが
珍しいことでなくなるかもしれない。【9】しかしそれは、何万年もの間、自分の目のとどく
範囲をテリトリー(なわばり)として生きてきた、このヒトという生物にとって、
異様なことのような気がしないか。
9. それほどでなくても、東京の友人と、電話で話すことは、いまではなんでもなくなった。【0】これだって、二十年前だと、「
長距離電話」はかなり
特殊なものだったわけで、ずいぶん便利になった。しかしこれだけの
距離の人間がいつでも声をかわしうるということは、いくらか
異様なことである。
10. 飛行機による
遠距離の
移動とか、電話による
遠距離の交信とか、そうした文明の
利益を、べつになんの気なしに受けながら、ときにぼくには、心の底のヒトが、なにか
抵抗しているような気がする。
11. 山であったところが、町に変わる。ぼくは山の緑が好きだが、そうしたことを別にしても、あれだけの山林が、これだけの時間に、市街に変化してよいのだろうか、いつもそんな気がする。
12. 戦後の日本にしても、農村から都市への人の流れが、あまり急速だったような気がする。ひとびとの生活はそれに
適応しているが、文化がそれにおいつけないでいるのではないだろうか。戦後日本の
物質的変化のスピードに、
精神的変化はおいついていないような気がぼくにはするのだ。
13. たぶん、社会の急速な変化は、いろいろとチグハグなものをもたらすのだろう。そのチグハグがおもしろいとも言えるし、そうしたものが進歩へのブレーキの役を果たすとも考えられよう。そうしたものが見えてきたのも、いまの時代である。
14.(森
毅の文章より)