長文集  5月4週  ○樹木は生命の危険を感じると  na2-05-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2011/02/08 11:08:40
 【1】樹木は生命の危険を感じると早く子
孫を残さなければと多くの種子をつける。実
際、柿の実やどんぐりが豊作になるようにと
子どものころ木の幹を思いっきり蹴飛ばした
経験がある。
 戦後せっせと植えたスギも、林業が儲から
なくなって手入れがされなくなった。【2】
とくに間伐がされていないスギ林は、スギ同
士の過酷な生存競争でひょろひょろな木とな
り、ストレスが大きくなっている。こんな環
境によって、スギの木も生命の危険を感じ、
種子をたくさん残そうと雄花をたくさん付け
、花粉を大量に撒き散らしているということ
なのではないだろうか。
 【3】九州の熊本から九州自動車道を南下
すると、八代インターチェンジを過ぎてから
道路は山間に分け入っていく。多くのトンネ
ルと急カーブが続き、全長約六キロメートル
の肥後トンネルを抜けると、九州で有数の林
業地である人吉盆地に入る。【4】道路の両
側は急峻な山地が空を狭め、森林が天に伸び
ている。しかし、近 年、その風景に変化が
現れている。何気なく通る多くの人たちは気
付くことはないのかもしれないが、職業柄、
私にはどうしても気になってしまう。【5】
それは、至るところでかなりの面積にわたり
森林が伐採されていることだ。戦後、せっせ
と先人たちが植林したスギの林がようやく伐
採できるまでになって、利用されるようにな
ったという意味では好ましい現象だが、問題
なのは、伐採された箇所に植林された形跡が
ないことだ。
 【6】私たち、森林・林業にかかわるもの
からすれば、「伐( き)ったら植える」が
常識である。しかし、今やこのような常識が
常識でなくなってきている。それどころか、
これら植林放棄地の状況をみると、森林所有
者が森林を土地ごと手放すケースが増えてい
る。【7】これは、森林を買う木材生産業者
が、木材価格の下落に伴い、採算性を維持す
るためにより大きな面積の森林を買い入れよ
うとする意∵向があり、これが森林所有者の
森林を所有することへの負担感と相まって、
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土地ごとの売却を後押ししているようだ。
 【8】日本の文化は森と木の文化であると
いわれる。
 森林に恵まれた国土で、その資源を巧みに
利用してきたというのは当たり前だが、とく
に日本では、森林を形づくる樹木の種類が豊
富であることから、樹(じゅ)種の違いによ
る木材の性質も様々であり、その違いを上手
に使い分けてきた。【9】住まいや身の回り
の道具に至るまで、こんなものにはどの木を
使うという知恵は、すべての人がもっていた
。お櫃にコウヤマキ、まな板にイチョウ、つ
まようじにはクロモジ、下駄やたんすはキリ
、家の土台はクリなどだ。【0】
 また、木材を無駄なく使うということにも
意を用いてきた。まさに、日本人は木ととも
に生き、木によって生活を維持し、木の上手
な使い方をあみ出してきた民族である。
 しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失
われつつある。安価で均質に大量生産できる
石油化学製品などの代替品が私たちの日常に
氾濫するようになったからだ。木材にしても
、外国からやってくるものが八割以上を占め
るようになっている。このままでは、日本の
木の文化は、文化財や美術品などの特殊な伝
統文化に残されるだけになるのかもしれない

 こうなると、国内の木材はますます使われ
ず、価格も下落していくだろう。結果、国内
の森林を守ってきた林業も立ち行かなくな 
る。そして、間伐などの手入れもされず森林
の放棄が拡大していくことになる。
 私たちにとってなくてはならない森林が、
今、危機に瀕してい る。

(矢部三雄『恵みの森 癒しの木』(講談社
+α新書)より)