1. 【1】
樹木は生命の
危険を感じると早く子孫を残さなければと多くの種子をつける。
実際、
柿の実やどんぐりが
豊作になるようにと子どものころ木の
幹を思いっきり
蹴飛ばした
経験がある。
2. 戦後せっせと植えたスギも、林業が
儲からなくなって手入れがされなくなった。【2】とくに
間伐がされていないスギ林は、スギ同士の
過酷な
生存競争でひょろひょろな木となり、ストレスが大きくなっている。こんな
環境によって、スギの木も生命の
危険を感じ、種子をたくさん残そうと
雄花をたくさん付け、花粉を大量に
撒き散らしているということなのではないだろうか。
3. 【3】九州の
熊本から九州自動車道を南下すると、八代インターチェンジを
過ぎてから道路は山間に分け入っていく。多くのトンネルと急カーブが続き、全長約六キロメートルの
肥後トンネルを
抜けると、九州で有数の林業地である
人吉盆地に入る。【4】道路の両側は
急峻な山地が空を
狭め、森林が天に
伸びている。しかし、近年、その風景に変化が
現れている。何気なく通る多くの人たちは気付くことはないのかもしれないが、
職業柄、
私にはどうしても気になってしまう。【5】それは、
至るところでかなりの面積にわたり森林が
伐採されていることだ。戦後、せっせと先人たちが植林したスギの林がようやく
伐採できるまでになって、利用されるようになったという意味では好ましい
現象だが、問題なのは、
伐採された
箇所に植林された
形跡がないことだ。
4. 【6】
私たち、森林・林業にかかわるものからすれば、「
伐ったら植える」が
常識である。しかし、今やこのような
常識が
常識でなくなってきている。それどころか、これら植林
放棄地の
状況をみると、森林所有者が森林を土地ごと手放すケースが
増えている。【7】これは、森林を買う木材生産業者が、木材
価格の下落に
伴い、
採算性を
維持するためにより大きな面積の森林を買い入れようとする意∵向があり、これが森林所有者の森林を所有することへの
負担感と相まって、土地ごとの
売却を
後押ししているようだ。
5. 【8】日本の文化は森と木の文化であるといわれる。
6. 森林に
恵まれた国土で、その
資源を
巧みに利用してきたというのは当たり前だが、とくに日本では、森林を形づくる
樹木の種類が
豊富であることから、
樹種の
違いによる木材の
性質も様々であり、その
違いを上手に使い分けてきた。【9】住まいや身の回りの道具に
至るまで、こんなものにはどの木を使うという
知恵は、すべての人がもっていた。
お櫃にコウヤマキ、まな板にイチョウ、つまようじにはクロモジ、
下駄やたんすはキリ、家の土台はクリなどだ。【0】
7. また、木材を
無駄なく使うということにも意を用いてきた。まさに、日本人は木とともに生き、木によって生活を
維持し、木の上手な使い方をあみ出してきた民族である。
8. しかし、ここ数十年、木の文化は急速に失われつつある。
安価で
均質に大量生産できる石油化学
製品などの
代替品が
私たちの
日常に
氾濫するようになったからだ。木材にしても、外国からやってくるものが八
割以上を
占めるようになっている。このままでは、日本の木の文化は、
文化財や
美術品などの
特殊な
伝統文化に残されるだけになるのかもしれない。
9. こうなると、国内の木材はますます使われず、
価格も下落していくだろう。結果、国内の森林を守ってきた林業も立ち行かなくなる。そして、
間伐などの手入れもされず森林の
放棄が
拡大していくことになる。
10.
私たちにとってなくてはならない森林が、今、
危機に
瀕している。
11.(矢部
三雄『
恵みの森
癒しの木』(
講談社+α新書)より)