長文 6.4週
1. 【1】大学だけでなく、各地の保育園ほいくえん幼稚園ようちえん講演こうえんに行く機会もかなりあって、参観に来た母親と子どもの様子をそれとなく観察してきました。極端きょくたんにことば数が少ないお子さんの場合、母親のタイプは二通りに分けられるのではないかと思います。
2. 【2】一つは、お母さん自身も無口で引っ込み思案ひ こ じあん自己じこ主張しゅちょうが少なく、ウサギのようにほとんど声を出さないというケースです。おしめを換えるか  にも、授乳じゅにゅうするにも、くつをはかせるにも、すべて黙々ともくもく 行っている。【3】気質きしつ遺伝いでんなどもあるでしょうが、子どもの側からすれば、どういう局面でどういうことばを用いるのか、模範もはん示ししめ てもらうチャンスが少ないのですから、自分のことばが出てくるまでに、時間がかかるのは当然かもしれません。【4】ようするにこれは、マザリーズのところで述べの た「くりかえし」の不足だと思います。
3. もう一つはぎゃくに、母親がひどくおしゃべりで、子どもの自発せいを生かす「間」が不足している場合です。子どもは家で四六時中ことばのシャワーを浴びているはずなのに、なぜこんなに無口なのか。【5】ほんとにこれがあの母親の子なのかと、わが目わが耳を疑ううたが ことがあります。でも長い目で見ると、やはり、因果いんが関係の釣り合いつ あ が、ちゃんと保たたも れているのかもしれません。ふだんはほとんどおしゃべりしない子が、ある日突然とつぜん、母親のいないときにかぎって、せきを切ったように話しはじめる。【6】いったいこの子、どうなってるのと、まわりの人はびっくり。しばらくすると、ピタッとおさまって、何事もなかったかのようにまた無口な子どもにもどります。そういう子はえてして、大人になってからも、ふだんは寡黙かもくな、はにかみやと見なされている場合が多いようです。
4. 【7】母親との語らいが子どもののう活性かっせい化するという川島さんの実験データは、じつに興味深いきょうみぶか ものがあります。だとすれば、臨界りんかい期の中心に位置すると思われる大切な時期に、魔法使いまほうつか であるはずの母親が魔法まほうの力をふるうことを怠れおこた ば、刷り込みす こ の力ははたらかないわけです。∵
5. 【8】「三つ子のたましい百まで」ということは、三さいまでに学んだことが、百年分に匹敵ひってきする決定的な影響えいきょう与えるあた  ということではないでしょうか。ですから、もし母親が一分間、赤ちゃんに話しかけるとすれば、単純たんじゅん計算だけでもその約三十三倍、つまり三十三分間話しかけただけの効果こうかを生みます。【9】十分間話しかければ、三百三十分、五時間以上話しかけただけの質的しつてき影響えいきょう力をもつことになります。
6. すでにマザリーズのところで述べの たように、母親の話しかけには、くりかえしだけでなく「間」が大切ですが、間を生かすためには、母親の心がその場に居合わせるいあ   ことが肝心かんじんだと思います。【0】授乳じゅにゅうしながら赤ちゃんに優しくやさ  話しかければ、赤ちゃんは体の栄養分だけでなく、同時に「たましいかて」も吸収きゅうしゅうしているわけです。もしその時、母親が片手間かたてまに新聞を読んでいたり、テレビの画面に夢中むちゅうだったり、赤ちゃんから気がそれていたりしたらどうでしょう。そこには気持ちのキャッチボール、つまり心と心の対話が欠如けつじょしているのではないかと思います。赤ちゃんはおそらく、母親の気持ちが自分に、向けられていないことを感知し、心のどこかで欲求よっきゅう不満を覚えているにちがいありません。
7. ことばと心は、深いところでしっかりつながっています。育児や、家事、職業しょくぎょう趣味しゅみなどの明け暮れあ く で、どんなに忙しいいそが  母親でも、子どもに接するせっ  ときは一期一会、目を見つめながら、心をこめて話しかけたいものです。

8.(川島隆太りゅうた・安達忠夫ただお「『のうと音読』「講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ所収しょしゅうによる」)