1. 【1】ゴッホ(有名な画家)の絵は、
彼が生きているあいだは
一般大衆にはもちろん、セザンヌ(有名な画家)のような同時代の大天才にさえ、こんな
腐ったようなきたない絵はやりきれないとソッポをむかれました。当時はじっさい美しくなかったのです。【2】それが今日はだれにでも
絢爛たる
傑作と思われます。けっしてゴッホの作品自体が
変貌したわけではありません。むしろ色は日がたつにつれてかえってくすみ、あせているでしょう。だがそれが美しくなったのです。【3】社会の
現実として。こんなことはけっしてゴッホのばあいにかぎりません。受けとる側によって作品の
存在の根底から問題がくつがえされてしまう。
2. こうなると作品が
傑作だとか、
駄作だとかいっても、そのようにするのは作家自身ではなく、味わうほうの側だということがいえるのではありませんか。【4】そうすると
鑑賞――味わうということは、じつは
価値を
創造することそのものだとも考えるべきです。もとになるものはだれかが
創ったとしても、味わうことによって
創造に参加するのです。【5】だから、かならずしも自分で筆を
握り絵の具をぬったり、
粘土をいじったり、あるいは
原稿用紙に字を書きなぐったりしなくても、なまなましく
創造の喜びというものはあるわけです。
3. 【6】
私の言いたいのは、ただ
趣味的に受動的に、
芸術愛好家になるのではなく、もっと積極的に、自信をもって
創るという感動、それをたしかめること。作品なんて結果にすぎないのですから、かならずしも作品をのこさなければ
創造しなかった、なんて考える必要もありません。【7】
創るというのを、絵だとか音楽だとかいうカテゴリーにはめこみ、
私は詩だ、音楽だ、
踊りだ、というふうに
枠に入れて考えてしまうのもまちがいです。それは、やはり
職能的な
芸術のせまさにとらわれた古い考え方であって、そんなものにこだわり、自分を
限定して、かえってむずかしくしてしまうのはつまりません。∵
4. 【8】それに、また、絵を
描きながら、じつは音楽をやっているのかもしれない。音楽を聞きながら、じつはあなたは絵筆こそとっていないけれども、絵画的イメージを心に
描いているのかもしれない。つまり、そういう
絶対的な
創造の
意志、感動が問題です。
5. 【9】さらに、自分の生活のうえで、その生きがいをどのようにあふれさせるか、自分の
充実した生命、エネルギーをどうやって
表現していくか。たとえ、定着された形、色、音にならなくても、心の中ですでに
創作が行なわれ、
創るよろこびに生命がいきいきと
輝いてくれば、どんなにすばらしいでしょう。
6. 【0】だから、
創られた作品にふれて、自分自身の
精神に
無限のひろがりと
豊かないろどりをもたせることは、りっぱな
創造です。
7. つまり、自分自身の、人間形成、
精神の
確立です。自分自身をつくっているのです。すぐれた作品に身も
魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その
瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生きがいとなり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった
姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を
創造しているのです。
8.(
岡本太郎『今日の
芸術』より)