1. 【1】相手あっての文章という考えに立つと、文章は料理のようなものだということがわかってくる。
2. 料理は作った人も食べる。味見や毒味もする。しかし、料理は食べてくれる人がなくては
張り合いがない。【2】料理の先生が、
独り暮しの自分のマンションではインスタント・ラーメンを食べているという話がある。教わりたい人がいるから、先生にもなる。うまいと感心してくれる人がいるからこそ、
腕を
振るってめんどうな料理もこしらえる。【3】自分ひとりだけ食べるのでは、とてもそんな手間ひまをかける気がしないというのであろう。
3. 文章は料理、とすると、まず、食べられなくてはいけない。何を言っているのか、わからない。これでは料理ではない。スープなのか、
みそ汁なのかわからないのでは食べる方は
迷惑である。
4. 【4】
若い人の書く文章に、
誤字、
脱字、当て字が多いと言われる。ご飯の中に石が入っているようなもので、石が歯にカチッと当たるのはたいへん気になる。そういう
混ざりものをなくさないと、せっかくの料理も台なしになってしまう。【5】文章が料理だとすると、
ある程度、栄養があり、ハラもふくれないといけない。見てくれだけの料理というのもあるが、本当に相手のことを考えていない。文章で言うと、しっかりした
内容があることであろう。【6】いくら
表現にこってみても、中身がなくては
困る。何を言っているのかが読む側にはっきり伝わり、なるほどと
納得するのがいい文章となる。
5. 料理で、いちばん大切なのは、おいしい、ということである。いくら栄養があっても、うまくなくては落第。【7】つい食べ
過ぎてしまうようなものが上手な料理というものである。もうやめておきたいと思いながら、つい、もうすこし、もうすこし、と後を引くような
ご馳走を作るのが本当の名コックだ。
6. 文章もその通り。
7. 【8】いくら、りっぱなことが書いてあっても、三行読んだら、あとはごめん、と読者が思うようなのではしかたがない。先、先が読みたくなって、気がついてみたらもう終わっていた。ああ、おもしろかった。こういう文章ならいくら読んでもいい。【9】そういう気持を
与えたら名文と言ってよい。∵
8. いまの文章は、多く、読者に対するそういうサービスの
精神に欠けているように思われる。自分の書きたいことを一方的にのべる。身勝手なのである。同じことなら、おもしろく読んでもらおうという親切心が足りない。
9. 【0】いま、クッキングスクールで料理の勉強をする人はたくさんいるが、文章の料理を教えるところは、ごくすこししかない。おもしろい文章を書こうと思う人がすくないからであろうか。
10. ちょっと
断っておかなくてはならないのは、その「おもしろさ」である。
11. おもしろいというと、すぐ、おもしろおかしく、
吹き出したり、ころげ回って笑ったりすることを連想しがちである。そういうおもしろさもないわけではないが、ここで言っているおもしろさは、相手の関心をひくもの、といったほどの意味。読まずにはいられない、放ってはおかれないという気持を読む人に
与えるもの、それがおもしろさである。
興味深いもの、知的な
快い刺激を感じさせるものは、すべて、おもしろいものになる。どんなに固い
学術論文でも、こういう意味ではきわめておもしろい、
興味しんしんの文章でありうる。
12. 文章は料理のように、おいしく、つまり、おもしろくなくては話にならない。
13.(
外山滋比古 「料理のように」 一部改変)