1. 【1】たとえばサッカーのワールドカップを観る。多くの日本人がスタジアムやスポーツ・カフェや、あるいは
自宅などで
応援をしている。そして日本人がゴールした
瞬間、その
興奮と喜びは
一瞬にして全ての日本人の間をかけめぐります。【2】特にスタジアムにいる人などは、みごとに
嬉しいという
感情で一つになる。これは、
感情というものが
非常に伝わりやすい
性質を持っているからです。
2. 感覚とか考えていることとかは、なかなかダイレクトには伝わりません。【3】ところが
感情は
脳という
垣根を
越えて
瞬時に伝わっていく。この
性質については人間も他の動物も変わらないようです。
3. さてそれでは、この
感情が伝わるということがすなわち分かり合えるということなのか。同じ
感情さえ共有すれば人は
互いに優しくなれるのか。【4】もちろんそれは出発点ではあるかもしれませんが、単にそれだけのものではない。他人の気持ちが分かるというのは、それほど
単純な図式ではないのです。ただ、この共感回路というものがベースになっていることは
確かでしょう。【5】人が苦しんでいるのに何とも思わないほどに共感回路が働かなければ、それは
優しさとは
かけ離れたものになります。
4. 今もし、人の気持ちが分からない人が
増えているとしたら。
優しさが失われつつあるとしたら。それはきっと共感回路の
機能が低下しているからと言えるでしょう。
5. 【6】他人の心が分かるということが、なぜにこれほど
難しいことなのか。
感情などが
瞬時に伝わるという共感回路を持ちながらも、なかなか他人の心を
理解することができない。実はその理由は、人間にしか持ち得ないある
特性があるからです。
6. 【7】その
特性の正体はポーカー・フェイス。つまり心に
抱いている
感情と、表に出てくる顔の
表情にくい
違いがあるということです。他の動物は
感情の動きと
表情が
常に一致しています。
怒っている時はキバをむき出しにするし、喜んでいる時は体でそれを
表現する。【8】要するに
互いの顔や目、あるいは体の動きを見るだ∵けで相手の心が
理解できます。
7. ところが人間は、心の動きを表に出さず、
隠してしまうことができます。本当は悲しいのに笑顔をつくることができる。ものすごく
怒っているのに、冷静な
表情をつくることができる。【9】あるいは置かれた
状況に
応じて、その場に合った
表情をつくることもできます。たとえば
葬儀の場所などではそうです。
亡くなった人のことを大して知らなくても、また大した悲しみを覚えていなくても、意図的に悲しい
表情をつくることができる。【0】なかには本物の
涙を流せる人もいるでしょう。
8. こうしたポーカー・フェイスがあるからこそ、
互いに気持ちが分かり合うことが
難しくなる。また、分からないことによって
誤解が生じたりするのです。まずはこのポーカー・フェイスの
存在をよく
認識すること。他人の心というものは、必ずしも見かけとは
一致しないということ。そのことをよく
理解しておかなくては、社会生活は成り立っていきません。
9. 他人を思いやる気持ち。
互いに分かり合おうとする気持ち。それはまさに、見かけと
違う心の
状態をいかに
推測できるかということになるでしょう。そしてこの
推測する力の高い人ほど、人間関係力も高いということが言えるのです。
10. では、そうした力はどうすれば高めることができるのか。やはりそこには「感動」というものがあるような気がします。新しいものや美しいものに
触れて感動するというだけでなく、人間関係の中での感動を味わうこと。他人と心が通い合うことで、静かな感動を体感することが大切です。
11.(
茂木健一郎『感動する
脳』「PHP研究所」より)