1. 【1】
甘いおしるこを食べているとだんだん
甘さを感じなくなります。これは、味覚が
疲労して
甘みの感度が落ちたからだとも考えられます。
途中に塩味の強い
漬物を食べるのは、味の
対比を作って、
甘味の感覚を
再覚醒させるためです。
2. 【2】トイレの
臭いは好ましいものではありません。しかし、しばらくすると、何も感じなくなって、平気で入っていられるようになります。
嗅覚は
非常に
疲労が速いので、トイレに入っても
臭いを気にせず、新聞を読んでいられるのです。【3】人間は一分間に二〇回も
呼吸しているので、
呼吸のたびごとにくさい
臭いをかいでいたのではたまりません。感覚器はむしろ自らの
疲労によって、
脳の
疲労を
防いでいるのです。このことから考えてみると感覚が
疲労しはじめているのに無理に同じ仕事を続けることは、あまりよいことだとは言えません。(
中略)
3. 【4】毎日同じ仕事を長く続けていると、それほど苦労しないのに
職場での仕事が楽になり、上手になってきます。このような人は
熟練工と言われ、大切にされます。人間
国宝と言われる人も、その道の
熟練工として、くり返しによって身についた
能力が土台になっているのでしょう。
4. 【5】同じ仕事を
繰り返していると、「もう分かっている」とか「またか」という
状況になるので、努力しないでも
習慣的に行動ができるようになります。これが
馴れの
現象であり、頭を使わなくてもすむので、頭を
経済的に働かせることができ、
脳に
余裕が生まれるのです。【6】
脳を休ませることによって、いざというときにはいつでも仕事ができるように、待機しているのです。
5. さまざまな
刺激にいちいち真正直に
反応していたのでは、
脳も
忙しすぎて
疲れてしまいます。【7】例えば、まじめな部下が細かいことまでいちいち
報告してきたら、上司はそのために
疲れて、
適切な
判断を下すことも
困難になってしまいます。そこで感覚器の方も「またあの人がきたか、どうせ同じことを言うだけだ」と
門前払い∵をしようとします。【8】はじめのうちはちょっと
呼んでもすぐ返事をしていましたが、またかと感ずると返事もしなくなります。返事をしてもらうためには、もっと大きな声で
呼ばなければなりません。すでに分かっている場合には、
脳に
負担をかけないために、むしろ
常套的な行動をとってしまうのです。【9】こうした感覚感度をみるのに
閾値という言葉が使われます。
閾とは、
越すか
越さないかの
境目の
値のことで、この
値を
越してきたものが
反応に
値する刺激の強さとなるのです。【0】
6. 「
馴れ」ている
事柄に対しては
誰もあまり気を使いません。これも
神経系の
疲労を
防ぐ方法なのです。
馴れていることはあえて努力しなくてもなしとげられるものなのです。
7. 四季の変わり目には
敏感だが、やがて真夏の暑さと、真冬の寒さに
耐えられるようになることを、気候順化と言います。同じことが身体にも起こります。四季の変化に対してもはじめのうちは
敏感ですが、
徐々に感覚が
鈍くなるのは、
刺激に対する
閾値が上がったことを意味しています。
8. はじめて
腕時計をはめたり入れ歯を入れたときは気になるものですが、やがて何も感じなくなります。これは
触覚の
馴れであり、やはり感覚
疲労の
効用と言えましょう。
9.(
渡辺俊男『人はどうして
疲れるのか』より)