1. 【1】
若い人たちにとっては、自分の
才能がどこにあるのかとか、はたして自分になんらかの意味で
才能というものがあるのか、ということは
非常に大きな問題だろうと思います。【2】それで、世の中で成功した人を見ていると、はじめから
才能が満ちあふれていて、何もまよいなくその道にずっと
邁進してきたように見えるかもしれない。
2. いや、なかにはそういう人もいるだろうと思います。【3】モーツァルトとかベートーベンとか、あるいはゴッホとか、たしかにいるとは思いますが、しかしそれはほんとに何億人に一人の希有な例であって、ほとんどの人はそうではない。
3. 【4】
現に例えば、音楽家で、あるいはシンガーとして成功しているとか作家として成功している、あるいは大会社の社長になっている、
証券界でディーラーとして何百億円もの
利益を上げているとか、そういうふうに成功している人をみると、【5】何か
揺るぎないものがあるようにみえるけれども、しかし、そういう
彼らにしてからが、おそらく、十代のころとか、大学を出てから数年の間のいわゆる
若い時代というのは、きっと、はたして自分はこの道に進んでよかったのだろうかとか、【6】ほんとは自分は別のところに
才能があるんじゃないだろうかとか、もっと自分にとってよい人生がどこかに用意されているような気がする、とかいうような気持ちの
揺れというかまよいのようなものは、かならずあったに
違いないんです。
4. 【7】だから、はじめから自分の
才能はこの
程度だ、とかいうふうに、自分で自分を決めつけてしまうことは、一種の敗北
主義で、もう
闘わずして敗れているようなものです。
5. 【8】一つの目安としては、三十
歳までに一つの方向が見えてくれば、その人にとっては、見極めは早いほうだ、とそのくらいの
巾で考えておくといいだろうと思います。
6. 【9】昔のように、例えば、小学校を出たらすぐ社会に出て、
丁稚奉公からはじめて、というようなことであれば、これは二十
歳にな∵るころには相当社会
経験を積んだ、一人前の社会人になり得るということだけど、いまは大半が大学まで行くような世の中になってきたので、おのずから
状況が変わったんです。
7. 【0】つまり、大学の卒業まではモラトリアムですから、とくに何も決めなくても
構わない。
8. そうすると、大学卒業が間近となるまで、あるいは
就職というものが目の前にぶら下がってくるまでは、
誰も、はたして自分の
才能はいずこにありや、なんていうことはそれほど切実に考えないですむわけです。
9. ほんとうに切実に考えるのは、卒業が間近になったころ、あるいは、卒業して
実際に社会に出てから、何かで
挫折感を味わって、そこではじめて、ウームこれでよかったのかと考えるチャンスがやってくる。つまり二十
歳から三十
歳の間ぐらいのところが一番いろいろ
揺れ動くところじゃなかろうかと思うんですね。
10.
才能というものは、
実際はブラックボックスのようなもので、本人が、
俺はこれに
才能があると思っているにもかかわらず、全然
才能のない場合もあり、本人は思いもかけないのに、たいへんに
才能があるという場合もあって、かならずしも、
自己評価と、人から見た
評価とは
一致しないものです。そこに
才能というものの、やっかいにしてしかしおもしろいところがあります。
11. だから、
私の意見はこうです。
12.
才能がどこにあるかは今すぐ自分だけでは分からないし、また、どの
程度の
才能であるかも
測れないけれども、しかし、たしかにそれぞれの人にはそれぞれの人の
才能というものがあり、得意・不得意、得手・不得手というものがあることも動かない事実です。そうでしょう?
13.(林望『
魅力ある
知性をつくる24の方法』による)